珈琲の大霊師025

 朝食は、リルケが作ったという小さいけれど賑やかな庭に面した屋根の下、木製のテーブルに絹のテーブルクロス、間伐材とツタを丁寧に組んで作られたイスという味のある森林家具に囲まれてのものとなった。

「シルバーアップルのアップルパイに、シェルフの花弁を練りこんだパン。こっちは山の幸のスープ。100種類の花の蜜を集めたフラワーシロップも自由に使っておくれ」

 しとしとと降る雨の下、思った以上のボリュームと彩りのある朝食がテーブルの上に並ぶ。モカナは目を輝かせて、どれから手をつけようか迷っている。

「アップルパイ美味しそうですね」

「じゃあ、ボクアップルパイから・・・」

「あら、このパン本当に花弁が入ってるんですね。良い香り・・・・・・」

「う・・・・・・、ボ、ボクやっぱりこっちから・・・・・・」

「キノコと山菜を、ヤギと牛の乳で煮たスープですか?ベーコンも入ってますね。食欲をそそりますね~」

「う、うう・・・・・・」

「まあ、なんて華やかな香りなんでしょう。さすがは100種類の蜜だけありますねぇ」

「うわーん!何から食べればいいのー!?」

 本気でモカナは泣き出しそうになっている。とりあえず手近な物から食えばいいだろうに。

 まあ、俺が口をつければそれを倣って手をつけるんだろうな。

 まずは、スープからだな。

「・・・・・・ズズ。へえ、随分しっかりした味なんだな。このコクは何なんだ?」

 最初に来るのは、思った以上に濃厚な乳と何かのダシの味。それがクリーミーに溶けて、そこにベーコンの味が浸みた山菜類が程よい塩味と共に乗ってくる。そんな味だ。美味い。

「ああ、そっちのお嬢さんは惜しかったね。確かにヤギと牛の乳だけど、これはチーズを使ってるんだよ」

「なるほど、チーズですか」

「へえ、これがヤギのチーズか。マルクじゃあまり見かけない物だからなぁ」

 しかもべらぼうに高い。こんな宿で出るくらいだから、きっと山の方じゃごく当たり前に作られてる物なんだろうな。

「ここらのヤギや牛は、放牧用の花畑で放し飼いになってるんだよ。花を食べて育つ家畜を食べられるのは、ここくらいなもんだよ?」

 そりゃ、確かに珍しい。どの程度味に差があるのか食べ比べてみたいもんだな。

 えんえんと同じペースで降り続ける雨の中、美味い食事に会話も弾んだ。

 モカナは、お腹がいっぱいになったのかやっと小さいけれど鮮やかな色合いの庭に気がついたらしかった。

「良く見ると、素敵なお庭ですね~。花の一つ一つが、ちゃんと主人公になってるんですね」

 そう。この庭は随分考えられて作られている。眺めていれば、自然とそれに気がつく。同じような背丈の植物を隣同士に植えず、背の差を作る事でどの花も見えるように工夫されて配置してるらしい。

 それだけでなく、色の偏りがありすぎないよう。かといってゴチャゴチャにならないよう、束になって植えられていた。

「これは、うちの娘が作ってくれたんだよ。今は、遠くにいるんだけどね」

 そう、女将はまた寂しげに笑って俺を見た。

 女将は、やはりリルケは死んでいると考えているのだろう。

 あの、白昼夢で見たリルケは、亡霊には見えなかったが・・・・・・。あれは、一体何なのか?

 雨は、ずっと同じ音を立てて葉や花の上を跳ね回っている。そこを跳ねるようにはしゃぐリルケの姿が、一瞬脳裏に浮かんだ。

 雨は止まず、山間のこの村では土砂崩れが心配される。要するに、足止めを食らったわけだ。

 モカナは飽きもせずに庭を眺めているし、リフレールは後学の為とか言ってこの雨の中をこの村の調査に行った。あいつは王族だし、何処で何がどの程度取引されているか知ってるというのは確かに有用なんだろうな。

 俺はというと、

「へえ、変わった事をするんだねぇ。豆を煎るのかい」

 宿の台所を借りて、コーヒーを淹れている。マルクを発ってから、キャンプの度に挑戦する事にしているんだが、釜や暖炉によっても火加減が違うし、焚き火に至っては同じようにできっこないからな。どんな状況でも上手い珈琲を淹れるには、まだまだ練習が足りないな。

 俺が珈琲を淹れようとすると必ず横に来ようとするモカナだが、最近あいつが見てると緊張する気がしてどっか行けと言ってある。

 まあ、必ず飲ませるんだが。

 豆は、例の水宮の屋上で作ってたやつだ。俺はこの豆に、密かに名前をつけている。『アクティオ・サンガ』古代語で水宮の太陽という意味だ。実際水宮の太陽と風に長い間晒されてた物だし、我ながら良いネーミングセンスだと思う。

「ああ。珈琲って飲み物だ。上手く淹れられりゃあ、花茶より美味いぜ?」

 といっても、俺はさほど花茶には詳しくない。確か、薬効のある野草の花や葉を湯で抽出したものだったか?

 花茶と緑茶は、この大陸の主要な飲料物の双璧だ。といっても、花茶はハッキリ言ってあまり美味くない。どうしても薬っぽいんだよなぁ。緑茶は渋いしな。

「へえ。この街で花茶より美味いなんて言うじゃないか。あんた、ここの一番花茶を飲んだ事あるのかい?」

「いや、無いな。そんなに美味いのか?花茶ってのは、不味いもんとばかり思ってたんだが」

「合わせ方によっちゃ美味しくもなるのさ。ただまあ、薬効を度外視する事になったりするけどねぇ」

「へぇ~」

 後半は殆ど聞いちゃいない。どうせ、モカナのコーヒーより美味いはずがないからな。

 じっと珈琲豆を煮る鍋を見つめる。この豆を取り出すタイミングが命だ。何度か淹れて分かった事だが、どうも長く漬け過ぎると妙な味が出てくる。俺はこれを雑味と呼んでいる。

「にしても・・・・・・黒いねぇ。こりゃ抵抗あるよ?」

 女将が苦笑いした。そんな事ぁ百も承知だ。だが、それも美味い珈琲を飲むまでの話だ。あの味さえ出せれば、必ず珈琲を認めざるを得ない。

 豆を取り出すタイミングは、香りと勘だ。

 よしっ!

 鍋を左手、布袋を右手に、鍋から黒い液体を布袋に少しずつ空けていく。その下には俺のカップが置いてある。

 そこに、布袋で漉された珈琲が一筋の線になって注がれていく。俺は、この瞬間が一番緊張するが、一番好きな瞬間でもある。香りが一面に広がるのも、この瞬間だからだ。

 気付くと深呼吸している。自分の意志ですらなく、そうしてしまう。この珈琲の魔力に抗えない。抗う気も無いが。

カップになみなみと珈琲が満ち、女将の好奇の視線が黒光りする液面に注がれた。

ジョージは少しだけ珈琲を分けると、にやりと女将に笑いかけ、庭へと戻る。

台所には、珈琲を一口飲むなり唸って固まってしまった女将だけが残されたのだった。

 さて、と雨に晒される庭に戻り、モカナのテーブルにカップを置く。相変わらず無防備な背中だ。首筋に水でも垂らしてやりたくなる。

「あ!ジョージさん・・・・・・珈琲だぁ!!ありがとうございます!」

 日焼けた顔がにこぉと歪む。そのあどけなさに思わず頭をがしがし撫でると、モカナは少し気恥ずかしそうに俯いた。

「庭、楽しいか?」

 自分で淹れた珈琲を口に含んで、熱い吐息を1つ。・・・・・・悪く無い味だ。最初のモカナの珈琲には遠く及ばないが。

 モカナが同じように珈琲をすすって、小さく頷くのを見て心の中でガッツポーズした。

「はい。ずっと見てると、なんだかこの庭を造った人がどんな気持ちで造ったのか分かるような気がして」

「そっか。・・・・・・そうだな」

 確かに、じっくり眺めているとその裏にどんな意図があるのか見えてくるような気がした。

 モカナがまたじっと庭を見始めるのを見て、少し離れた所にある椅子に座る。

 自分が淹れた珈琲を片手に、脚を組んでのんびりと雨天のお庭観賞。なんとなく優雅な気分になるじゃないか。

 たまには、こういう日もいいもんだ。気分が良い。

 と、目を閉じた瞬間、僅かな違和感と共に、声が、降ってきた。

「ジョージさんって言うのかー。珈琲・・・・・・お母さんも唸ってたけど、どんな味がするのかな?」

 その声には聞き覚えがあった。慌てて目を開けると、辺りはいつの間にか青く染まり、目の前に昨夜の少女の顔があった。

 咄嗟に身構える俺に、リルケは慌てた様子でうろたえた。

「あ、ごめんなさい!怪しくないです。私、ここの宿屋の娘でリルケって」

「自己紹介は聞いた。だが、俺が聞いたリルケってのは人間のはずなんだが?お前は違うだろ」

 敵意は感じられない。危険は無いのだろうが、相手は恐らく化物の類だからな。人間と同じように感じるとは限らない。

 まあ、それを言えば武器が同じように通じるかも怪しい所なんだが。

「えっと、話せば長くなるんですけど、私、今は花の精なんです」

「花の精?精霊か?」

「あ、いえ。そんな高等なものじゃなくて、もっと弱いものです。えっと、時々凄く元気な植物とかありますよね?群生してても、頭一つ抜けてるような。そういう植物には、大体その植物の魂の他に私達みたいな花の精がついてて、私達の存在の力が植物に流れてるんです」

 ・・・・・・さも当然のように言ってるが、初耳だ。この村ではよくある話なのか?そもそも、植物の知識なんざ無えからなぁ・・・・・・。

 とりあえずは、相手の話に乗るか。こっちからどうにかする方法も分からないしな。

「・・・分かった。お前が花の精だとして、俺に何か用があるみたいだったが?」

「はい。聞いてもらえるんですか?」

「魂寄越せとかいうのは勘弁してくれよ?」

「そんな事しませんよ!!」

 随分と失礼な事を言ったようだ。心外と顔にありありと出ているな。

「で、なんだってんだ?」

「私のお母さんに伝えて欲しいんです。東の山の森の奥に、ケシの農園があるって。やめさせて欲しいんです」

「ケシ・・・・・・?」

 あー、なんだったか。この響き、なんだか懐かしい言葉だな。随分昔に聞いたような気がするんだがな。

「麻薬の元です。この村には、不似合いな物です。そんなものがなくたって、この村は立派にやっていけるんです!だから、あのケシ畑を焼き払ってってお母さんに伝えて下さい」

 ・・・・・・なるほどな。花だけを売ってるにしちゃあ、随分と立派な街並みだと思っちゃいたが、こりゃこいつが思ってるより状況は複雑だぞ。

 恐らく、そのケシ畑はこの村でも力のある連中が運営している。しかもその利益を、村の発展に役立ててるわけだ。こいつ、そこまで分かってるのか?

「・・・まあ、伝えてもいいんだが信じるか保証はしないぜ?花の精になった行方不明のあんたの娘に会って伝言を頼まれたって言やあいいのか?」

 少し呆れた顔をしてみせた。そんな話信じるわけがないと思うんだがな。
 
「大体、なんで俺なんだ?それなら母親の前に出てやればいいじゃねえか」

 愚問だとは分かっているが、言ってみた。それができるなら、やってるに違いないがな。何らかの理由で女将には見えねえんだろうな。

「それができたらやってます・・・。私、花の精になって始めて話せる人と会ったんですよ?それが、ジョージさんだったんです。・・・多分、お母さんならそう伝えても分かってくれると思うんです」

 俺、霊感の類とかあんま無いと思ってたんだが。まあ、とりあえず祟り殺されるのも嫌だから言う事を聞いてやるか。

「どこから大丈夫ってのが出てくるのか分からないが、要件は分かった。伝えてやるから、とりあえずこれどうにかしてくれ」

 どうせ、実際の俺は誰もいない虚空に話しかけてるように見えてるんだろうな。リフレールが昨日言ってた通り。

「えっ?」

「え?」

 えっ?って何だ?えっ?って。おいおい。ちょっと待てよ、まさか・・・・・・

「まさか、どうしたらいいのか分からないのか?」

「は、はい。だって、私何もしてないですし。ジョージさんが何かして私が見えるようになったんじゃないんですか?」

 なんてこったい・・・・・・

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