私の嫌いな歌「22才の別れ」
突然ですが、私は伊勢正三の「22才の別れ」が嫌いです。
大好きな人がたくさんいることはわかっていますが、
この曲がヒットしていたときから、私はこの歌が嫌いでした。
なに、勝手なこと言ってんだよ、そのままでいるわけないじゃん!
自分の理想を押し付けるなんてとんでもないやつだ、
誰だってかわるんだよーって大声で言ってやりたいんです。
しかも、もう別れるんだから自由にしてあげなさいよ(笑)
若い頃、人は成長するものだと信じていました。
それも、どんどんどんどん右肩上がりに。
でも、そのためには大変な労力が必要で、
それを続けられないとかなわないことなのです。
プリゴジンの散逸構造論について文章を書いていたとき、
「鏡の国のアリス」を引き合いに出しました。
この内容を、「そこに居続けるために、日々必死になって走ってるんだ」と解釈しました。そして、ぐずぐずしてるとまわりから置いていかれるんだな、と。
でも、私は知ったのです。槙野万太郎さんじゃないけど、自分の道を自分のペースで歩くと、自分の見たいものがじっくりと見られて、じっくりと観察することができるんだと。
いろいろな世界があり、いろいろなモードがあり、いろいろなシーンがある。自分の好きなところで、自分の好きなパフォーマンスをすればいい。それも、自分のペースで。
置いていかれるかもしれない。でも、置いていかれたからこそ、見えてくるものがある。道端の花に気づくことができる。川のせせらぎに耳をすますこともできる。
話がだいぶそれてしまいました。
22才の別れはどこへ? つまり、そのままでいる人なんていないってことをいいたいんです。その人は「22才のときのその人」で、時がたてば違う人になるのは当たり前なんです。
私はその人がもっとすてきな人に変わっていく。そう思いたい。
だから、私はユーミンの「青いエアメール」を歌うようになりました。
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