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むかしむかしのその昔③          ソニア・リキエルが教えてくれたこと

 集英社のファッション誌『MORE』の採用ページにある、現編集長の記事を読んだ。 

 「MORE」は1977年に誕生した雑誌で、そのときの編集長が創刊にあたりこんな言葉を書き残していました。「私たちの周辺にはあまりにも多くの物と情報が氾濫しています。(中略)私たちにとってほんとうに必要なものは何か、無視してよい情報は何かを、選別する能力を身につけることが大切ではないでしょうか」(引用:「MORE」創刊号より)。私は、これを読んで驚いたんですね。もちろん当時は、いまとは全く異なる状況下で、20代女性たちの主体性を必要とされていたと思います。むしろいまよりも“少しとがった感覚”の方に向けて、発信されたメッセージだったかもしれません。

『MORE』の採用ページより

 1978年、私はホテルオークラで開催されたMORE国際文化セミナーに参加した。登壇者はバーバラ・アダチ、ウェンディ・ホールデンソン、イレーネ・イアロッチ、シャーリー・テュダー、桐島洋子、ソニア・リキエル、中村紘子、清家清、並河萬里、アーリン・ダール、グロリア・スタイナムなど。
 そこでソニア・リキエルはこんな話をしてくれた。

「ファッションとは今を生きることだと思う。私はファッションを乗り越え
 たかった。デ・モードとは個人主義である。野心といつもいっしょにいる
 ようなもので、肉体のためにファッションをつくるのである。他と区別す
 るため、自分を示すためである」
「どうしてファッションをつくるのかといえば、それは子どもを産むような
 もので、コレクションが生まれるのは子どもが生まれるのと同じこと。そ
 して、生まれたあとも子どもと同じ扱いをする。服のあちこちに私が顔を
 出す。服が私をつくっているのだ。服をつくるのは手段だと始めは考えて
 いた。けれども今は、服は私の人生で、私を表現するものになった」
「それはヒッピー運動と空間の捉え方が同じだった。自由な服、服がしぐさ
 なのである。服はいつも違っていて、いつも表情をもっている。服は決し
 て鋳型ではなく、鋳型になるのは女性のほうで服に着られてはならない」
「私はファッションを定義しないよう訴えたい。どうか、自分の好みや望み
 に合わせた服を着てほしい。だから、それは自分を理解することから始ま
 る。スタイリストの型ではなくて、自分らしい型をみつけてほしい。それ
 はきっと自分自身を研究することでもある。自分自身のことについて考え
 ることが大切なのだ。服に対して自分を解放してほしい。服に自分を合わ
 せるのではなく、何を着ても素敵であるような女性になってほしい」
「ブティックの売り子の『お似合いですよ』という言葉にのせられるのでは
 なく、自分自身で鏡を見て判断することが大切だということ。それが私か
 らのアドバイス。自分自身のことがわかっていれば、その服を自分が着こ
 なせているか、似合っているかどうかはわかるはず。だって、何をどんな
 ふうに着てもいいんだから。それはあなたがあなたの価値を表現すること
 なんだからね」


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