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拒食・過食嘔吐が始まったきっかけ~高校時代の主な症状~


こんにちは。しゃぼんです。
これまでの投稿で拒食や過食嘔吐の症状が出たきっかけについてお話させて頂きました。
その後私がどんな生活をしていたかを過食嘔吐の症状に絞ってざっくりお話させて頂いてこのシリーズ(?)を締めくくりたいと思ったのですがざっくりと話せなさそうなので高校と大学で分けます。笑

こちら自己紹介と注意事項(?)になります。私の投稿で傷ついてしまう方がいらっしゃらないようご一読頂ければと思います。



過食嘔吐が始まってすぐのころに妹が気付きました。でも隠して欲しいと言ったことと妹は当時私がキャパより食べ過ぎて吐いているというイメージを持っていたようで(間違ってはいないのですが)黙っていてくれました。
冬に父にバレました。でも受験間近だったので春休みになったら病院に行くからと黙認してもらいました。当時父は何か身体的な重病なのではと思っていたようです。

中学卒業後の春休み、地元の内科に行きました。受験のストレスだろうからすぐ治ると言われました。もちろん治りませんでした。

高校は県内の自称進学校に進みました。
私鉄を使った電車通学だったのですが座席がバスの座席ような付き方をしていて周りと分断されていたので朝はコンビニでパンをたくさん買って過食しながら勉強し駅で吐く。帰りも駅でパンを買って過食しながら課題をやり自宅の最寄り駅か電車内のトイレで吐いていました。きっと変なやつだと思われていたと思います。お昼は小さなお弁当を作ってもらっていましたが朝の過食で食べてしまったり昼に食べてもすぐ吐いてしまったりしていました。授業中の空腹はこっそりガムを噛んでごまかし、帰ってからは過食嘔吐しながら勉強。朝食も夕食も過食嘔吐していました。

高1の夏に健康診断で低体重と不整脈を指摘されました。副担任の先生も階段でふらつく私を見て心配していたそうです。
その時受診した総合内科が高校から大学の夏までの主治医となり、そこで初めて摂食障害と診断されました。両親と妹は私が過食嘔吐を止めると精神的に辛くなることは理解してくれて、でもどうすることもできなくてただひたすら食べて吐く私を言わば黙認している状態でした。
部活を休部し、夏休みに入院しました。いきなり常食を吸収すると血糖値が急増して負担がかかるということで栄養剤を食事代わりに飲み、吐かないようにさせられました。ある程度経つと常食になり、体重も45kg程になって退院しました。
しかし、家に帰ると普段過食で沢山食べていたものたちを我慢しなければならないストレス、消化機能が衰えていたので食べれば食べた分だけ膨らんで苦しくなるお腹とそれによる勉強への支障に耐えられず、1ヶ月でまた過食嘔吐が戻りました。
その後夏と春の長期休みは入院しましたが毎回同じような感じで元に戻っていました。高校の頃は35~36kgが通常だったと思います。

高3になると苦手な科目はついていけなくなりました。周りの視線が怖くなって保健室で休むことが多くなりました。だんだん保健室で過ごす時間の方が長くなりました。電車で通うのが辛くなって母に送迎してもらっていましたがその車内で過食して、寄ってもらったコンビニで上手く吐けなかったりまた過食したくなったりしたせいで学校を休むこともありました。
進路は希望していた大学には到底行けない成績でしたがそこを目指して頑張るくらいの気持ちでいないと勉強する気力が持たない気がして頑として変えようとせず親と担任を困らせました。

高2の時にカウンセラーを勧められて通ったことがありましたが、当時勉強も部活も頑張りたかった私に「休め」としか言わないおじいさんで、合わないな、と思ってしまい通うのを辞めました。
ただ変わることの無い血液検査をして、カウンセリングをするわけでもなく近況を報告するだけの主治医の問診も嫌になってきていました。

こうして病状は改善せず、下げたはずの志望校も受からず、後期受験で同じ関東圏の大学に進学しました。

思ったより長くなってしまいました。すみません。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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