癸未日録 序
ふるさとは紅葉かつ散る沙婆浄土 孟春
現世(うつしよ)は浄土であると維摩経(ゆいまきょう)は説く。しかし私にはとても荘厳な世界には、この世は見えない。何故見えないのかと言えば、私の心が汚れているからに他ならない。
この世界の変革を私は今まで外に求めて来た。しかし、その営みは砂上に楼閣を築くのと同じ事である。
全ては己が内にあると、私は気付いた。気付いた今、何を外に求めよう。繁栄も平和もみな内にあるのだ。今さら何を外に求めよう。
自らの内に光を見出したなら、正しく現世は浄土である。
令和5年12月20日 記
自選の短歌と俳句を掲げる。ゴミクズのような句歌集を毎日書いているが、
過去の作品で自分でもまともだなと思った句と歌、漢詩のようなものを上げた。毎日一定の水準の歌句を上げたいと思ってはいるのだが、難しい。
自選の歌句
東の遥けき山ややうやくに朝日ぞ昇る日高見の国
暁烏海猫の如鳴きしかば波にや変われ堰の水音
強がりを言っては見ても忘れじの大島小島古里の海
海猫に未だ見ぬ国の思い馳せ飛び往く様をじっと眺むる
片恋の君待ちおれば不来方の城は五月の雨に濡れける
気負いなく落胆もなく吾が道をただ淡々と往かんとぞ思う
眼鏡屋の角もいとしもスピノザの神の時空にあるを思はば
あしひきの法の深山を行きまどひ今日ふる雪に杣人の跡
現世も鏡と知らば有漏の身の地獄も花の園と知るらむ
歎異抄第一章の腑に落ちて浄土に生まる現身にして
すこやけき帝の長寿ことほぎつ御代つなぎたる今日ぞめでたき
みちのくのしだれ桂の若葉にも令和に続く雨ぞ降りける
最近は夢見る時もぶん殴る目覚めた時の激しい動悸
流されしCDと同じ音源のフルトヴェングラー指揮「歓喜の歌」聞く
不定詞はinfinitiveというらしいなんか好きだな不定詞よりも
恥かいて折れそうなときは読み返す徒然草の百五十段
カリュウ
春曙は鶏糞の香とともに
震災忌やがて季語そして死語になる
春雨や上野の山の月曜日
砂時計ひっくり返し鳥雲に
おとろへし国の山河に黄砂降る
早苗田のセピアの空に雲揺れて
初恋はソメイヨシノのさくらんぼ
青葉潮わたしのふるさともうないの
跡地見てあの海を見て家路つく
六月だComeのSynonymAntonym
名の木皆青葉を名乗る六月よ
愛国を説くのは蟻地獄の化石
アイスバー喰う時までも国憂う
イモカタバミ昔は誰も不法移民
夏至近しはるけき言葉の水平線
ハマナスは故郷の花空広し
幹折れし向日葵に問ふ志
理不尽は理不尽のまま夏薊
青田風とにかく走れ今走れ
燕切り取る空を競い合う
万緑を切り裂き我は風となる
ふるさとは紅葉かつ散る沙婆浄土
四次元の君に見せたき冬銀河
象に乗りみんなで行こう花見山
孟春
漢詩のようなもの
詠不惑感慨
吾青春悉如塵芥
一世歳月是豚児
幸哉無蒙害貞妻
独行独歩勧釈子
讃魔訶迦葉
拈華而微笑
衆念各別事
一挙不可詳
独覚去瞋恚
英語の勉強をしている。
英語に人生を賭けている。
英語の習得を失敗したら私の人生は終了である。
そのくらい危機感をもって英語の勉強をしている。
英語の自習ノート記事はあくまで自分用である。
自分が読みやすければ、
きっと他の人にも読みやすくなるに違いないと思いnoteに上げている。
まだまだ充実していないが、誰かの役に立つ日が来ることを願っている。
私は生まれた年月日がとても良いようだ。
天上三奇の甲子日生まれで、
その日は赤口の悪日ではあるが正午に生まれている。
天上三奇の生まれの人は大人物になるらしく精神病持ちが多いそうである。
今のところ精神病持ちというところだけしかは当たっていないが。
この特殊な神殺星である天上三奇が真に意味があるのかそれともないのか、
自分の人生が試金石になるのだろう。
どちらにしても楽しみである。
まあ、あれこれと書き連ねてきたが、
私は「愚直に」生きたいのである。
私はどちらかというと小利口な人間である。
はからいの多い人間であるから、
尚更「愚直さ」に憧れる。
「愚直」という言葉に、
「愚直に」近づくnoteでありたい。
令和6年6月21日
私の癸未大運の始まりの日に記す
日高梅月
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