「私、結婚するの。」3年ぶりの大雪だった。
無知とは。
とても残酷で。
無慈悲で。
暴力的で。
そして冷たい。
無知であることは、
無知であるが故の強さを誇るが、その強さ故に、時にはとてつもない攻撃性を帯びて、心臓を直で殴ることが容易である。
やっかいなのは、その獰猛さだけではないということ。
やり場がないのである。
やるせないのである。
無知とは、そういうものなのだ。
「お久しぶり。結婚式、くるよね。」
インスタのDMに一件のメッセージが届いた。
その日は、3年ぶりの大雪のようで、普段なら人と騒音で溢れかえっている渋谷の街は、その日だけはあたり一面真っ白で、やけにしんとしていた。
僕はかじかんだ手を自ら吐く白い息で温めながら、もう長らく使っていなかったインスタの、そのアカウントを、開いた。
大学生の時、頻繁に開いていたアカウント。
就職する時に、なんとなく人間関係をリセットしたくなって新しくアカウントを作り変えてから、それまでのアカウントはすっかりひらく機会を失ってしまった。
「実はさ、私ね、結婚するの。ほら、前言ってた職場の先輩。前って言っても、就職祝いの時以来だけれど。」
彼女からのメッセージは、実に3年ぶりだった。
僕らは、小学校から中学、高校、大学とずっと同じ進路を歩んできて、社会人になってようやく別々のところに就職することになったという、世間ではちょっと珍しい間柄。幼馴染といってもいいのかはわからないけれど、おそらくその類の何かなのだろうとは、思う。
彼女のいう就職祝いという名の飲み会は、僕らがすでに就職してしまってから9ヶ月が経った社会人1年目の冬に開催された。僕は東京に就職、彼女は地元の北海道に就職とのことでなかなかタイミングが合わなかったのだ。
そういえば、あの日も結構雪が降ってたな、なんて、ふと思う。
雪がしんしんと降る札幌の夜の街中を、なんかエモいよね。なんて笑いながら、あえて地下歩道空間ではなく地上を二人で歩いた。
イルミネーションがキラキラと輝く大通り公園を通り過ぎて、テレビ塔のてっぺんが見えるか見えないかぐらいになった時。
彼女はぽつりと、僕に聞こえるか聞こえないかの声量で、「彼氏ができた。」とそうつぶやいた。
札幌の街は相変わらずギラギラと光っていて、その光がやけに眩しく、そして鬱陶しかった。
「そっか。」
僕は彼女よりもさらに小さな声で、そういった。
「職場の先輩。優しくってさ、イケメンで。ほら、俳優のあの、神木隆之介くん。すごくそっくりなの。でね、身長が180もあるの。」
あんたよりも高身長だよ。と彼女は笑った。いい男捕まえたよね、私も。あんたも早く彼女見つけないと。ほら、顔だけはかっこいいんだからさ。身長はまあ、あれだけどねーー。
彼女は、雪がしんしんと降る、札幌の街中を意気揚々にスキップしてみせた。調子に乗ったのか、軽く飛び跳ねてみせたところで、着地のときに雪で滑ってしまってど派手に転んだ。
「ばかじゃないの。」
そういった僕の声は、真っ白な雪に覆われた札幌の街中に響き渡った。
思ったよりも大きくなってしまった僕の声に、彼女は一瞬、きょとんとした顔で僕を見た。が、すぐにニコッと笑って、今年初転びだよ。といって思いっきり僕にピースをしてみせた。
「結婚式、くるよね。」
僕は、彼女のそのメッセージに、なんて返したらいいのかわからなかった。
何ひとつ言葉が思いつかなかった。
僕はただ、既読だけをつけてしまうとスマホの画面をそっと閉じた。
彼女は、きっと、無知だ。
彼女はきっと、何も、知らない。
優しくて、イケメンで、僕よりも身長の高い、職場の先輩。
声に出して一言ずつ、ゆっくりと呟いてみる。
しんしんと雪が降る渋谷の街に、僕の吐いた言葉が虚しく消えた。
僕はたぶん、結婚式には、いけない。
彼女の幸せそうな笑顔を見てしまったら。
彼女が幸せそうに、僕の知らない結婚相手にキスする姿を見てしまったら。
彼女が幸せそうに、今度は僕の知らない結婚相手と一緒に、笑顔でピースを向けてきたら。
僕はきっと、
どうにかなってしまうと思った。
「ちょっと待った」
なんて、冗談抜きでいってしまうかもしれない。
心の底からの。
ありったけの。
やるせない。
怒りなのか、嫉妬なのか、悔しさなのか。
得体の知れぬ感情をごちゃまぜにして。
だから、僕はいけない。
いってはいけない。と思った。
僕が好きで好きで、たまらなく大好きだった彼女の。
人生で最も幸せな時間を壊したくない。
そう思った。
無知とは。
とても残酷で。
無慈悲で。
暴力的で。
そして冷たい。
無知とはそういうものなのだろう。
僕は、かじかむ手でインスタを開いて、
「ごめん。いけないかも。結婚おめでとう。」
とだけ送った。
あざだらけの心臓が、3年ぶりの大雪で酷く冷えて痛んだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?