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プラプラの記事:プラごみ問題はどこに行く?

すっかり世の中がアフターコロナになったこの頃。仕事の方もほぼオンラインから少しづつ現場での活動に戻ってきています。今回は久しぶりの対面でのJICA研修で講義させていただきました。JICA研修の講義は年間で数回行わせていただいているのですが、この研修は対面で行うことに意義があると思います。JICA研修参加者はその国を代表する方で、その国の課題をどう解決するかについて、講義内容を参考にしつつも、他の参加者と1カ月から2か月日々過ごすことで、自ら解決策を考えていく合宿の場となっています。僕は、いつも講義する側として関わらせていただいているのですが、研修生として参加させていただき、その課題に対して色々な講義や現場を見て自分の知識を深めていく機会はうらやましいな、と思うところです。と言いつつも、その一部に貢献できる機会にめぐり合わせていただき、感謝です。

今回は11か国の政府関係者が参加している「海洋ごみ対策のための廃棄物管理」研修プログラムで90分ほど講義をさせていただきました。僕の講義タイトルは、今年の国際環境デーのテーマの「Beat Plastic Pollution」。このテーマで、僕が今実施しているプロジェクト内容や、プラごみ・プラスチック汚染問題、そもそもなんで人間は地球環境問題に直面しているのか、という根本的な問題やその解決方法を参加者の皆さんと色々と議論しました。

そもそも論については、人間の社会的構造は環境問題を未然に防ぐことができない、についてのパラドックスを議論しました。それは①人間は環境問題に気が付くまでに時間を要すること(つまり、ある程度環境問題が深刻にならないと気が付かない)、②その環境問題対策を打つ能力にいつも追いつかない事(つまり、対策が追い付かない)、と言う環境的パラドックスです。過去の全ての地球環境問題の共通事項がこの2種類の環境的パラドックス、気候変動もしかり、水俣病もしかり、その他化学物質汚染も全てこのパラドックスが当てはまります。と言う事は、現在進行形で何等か環境汚染が進んでいて、どこかのタイミングでようやく人間は気が付くことができる、けども、もはやその汚染状況は深刻化している、と言う状況が近い将来再びありうるかもしれません。プラスチックは、問題が表面化され真面目に取り扱われるまで約半世紀、水俣病はその急性毒性・局地的汚染にもかかわらず20年から30年、気候変動問題は約200年、という歳月が過ぎてから、ようやく人間は正直に正面からその問題に見つめあい始めた、のが過去の事例です。

今回のJICA研修では、このあたりを強調する形として講義させていただきました。それに加えて講義中に研修生からの質問として、「プラスチック汚染問題は、多くの一般の方も良く知っている現状ではあるが、実際、普段の生活で対策を打つには難しい。なんせ、この世の中、プラスチック生活から逃れることができない」、という、本質を突いた直球が投げられました。非常に重要な質問なので、研修生の皆さんとダイナミックな議論につながり、各国の状況、理想と現実のギャップ、他の代替製品のメリット・デメリット
代替製品を使うことによる二酸化炭素排出の増大とプラスチック汚染対策の関係、などなど、講義をするために行った研修プログラムで、僕自身も皆さんと色々と議論させていただき、新たなアイデアや新たな課題、それらが複雑に絡み合って、プラスチック問題がどこに向かうのか、様々な方向性を改めて考えさせられました。

このJICA研修は、パリで開催されるプラスチック汚染対策に関する条約策定に向けた政府間交渉委員会第2回会合、の実質前日に開催されました。いい意味で言えば前夜祭ですが、JICA研修性も交渉会議文章を読み込んできてからの私の講義参加と言うこともあり、かなり深い議論となりました。果たして第2回交渉会議ではどのような交渉が行われるのか、事務局提案の条約コア対策案はどう料理されるのか、第3回交渉会議に向けてある程度条約のコアの柱は決まるのかどうか、それぞれの柱における対策の方向性も見いだせるのか、と言うのが第2回交渉会議のポイントです。

プラスチックはミラクルな素材ですが、諸刃の剣でもあります。これも全ての人工素材に共通し、パラドックスに隠れてしまっていました。それを知った人間社会、ブレーキをかけるのか、知っていてかけないのか、地球規模課題に対する人間の質が問われています。社会的構造をそのものを変革しない限りは、プラ問題を含めたもはやすべての環境問題の解決はありえません。そんな状況に立たされているのが、今の時間軸を生かされている私たちです。この引き当てた運命に正直に正面から立ち向かわなければなりません。

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