見出し画像

2025年日本国際博覧会が地球環境と国際社会に果たす役割

コロナウイルスも落ち着きつつある今日この頃、約2年ぶりにバーチャルではなく実際の会議で基調講演させていただく機会に恵まれました。11月6日に開催されたイベント協会の第24回イベント学会研究大会「バンパクのカタチ ~SDGs+beyond 新世紀の幸福論~2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)に向けて」において、「2025年日本国際博覧会が地球環境と国際社会に果たす役割」に関してお話しをさせていただきました。

万博には、僕も色々と思い出があります。小学生の時に夏休みに家族で言ったつくば万博、そこで体験したことは僕の将来の夢となり、それを追い続けていったら、1990年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会のレガシーを引きつく職業にたどり着き、そして、2025年の大阪・関西万博を、きっと、ここ大阪で迎えるという人生を送っております。

今回のnoteはその基調講演の準備ノートです。いつもとは違う講演内容なので、何を話そうか色々と迷いましたが、時間軸と自分の思いをつなげたお話しをしようと思いました。このようなスタイルで講演させていただくのは、初の試みです。私たちのいのちを輝かせるには、地球環境を大切にすること、当たり前ですが、現代社会で忘れつつあるこのメッセージを伝えたいと思います。

はじめに

万博と聞くとそれだけで心がワクワクすると思います。私個人的な万博の解釈は二通りあります。一つは、未来の姿を見るところ。そして二つ目は、その未来姿を実現するために、自分は何ができるかを考えるところ。つまり未来の社会科見学の場所だと思います。

現在私たちが住んでいる社会は、地球資源の恵みのもとに成り立っています。かつては人間もその自然の中の一部として、自然と共に生きる生活を送っていましたが、現代社会は完全にその自然の許容範囲から越えてしまいました。私たちは最先端の科学技術や知識を追い続けて、その自然と共に生きていた社会からはるか遠くに来てしまいました。その間、するべきことを完全に忘れ、目先の利益に走ってきた結果が、地球規模環境問題に直面している私たちの生活です。

過去の万博においても環境や自然の話しは何度も出ています。何度もです。でも環境問題は年々悪化していることを普段の生活で感じるようになっていました。今日は過去を振り返りながら、2025年大阪・関西万博が地球環境問題と国際社会に果たす役割について考えてみたいと思います。

画像1

1972

先ずは時間の針を1972年に巻き戻したいと思います。1970年人類の進歩と調和をテーマに大阪万博が開催された2年後、1972年は国際社会において環境問題と取り組むべきスタートを切った年です。1960年代、日本でもそうでしたが、先進国では公害が広まっていました。当初は公害というのは私たちの社会では認めてはならないもの、見ないようにする出来事として社会から抹消されそうな時代もありましたが、経済発展最優先の社会で引き起こされた公害により健康を害した人の声がようやく国際社会に届いた年が1972年。この年の6月にスウェーデンにおいて国連人間環境会議が開催され、国連加盟国により人間環境宣言が採択されました。なお、国連人間会議には水俣病患者さんも参加し、水俣病の恐ろしさを世界に発信しました。この人間環境宣言を採択する一つのきっかけとなったのが水俣病です。この人間環境宣言には、「環境は人間の存在を支え、人間によりつくられた環境と共存することは人間の福祉・基本的人権そのものである」。この人間環境宣言に基づき、同年9月の国連環境総会で設立されたのが、私が勤務している国連組織で環境を専門とする組織、国連環境計画が設立されました。本部はケニア・ナイロビにあり、約860人の職員が43か国に事務所で勤務しています。そのうち日本人の専門職スタッフは約10名となります。現在、国連環境計画では、気候危機、自然危機、汚染危機の三大地球危機に対して193か国の加盟国と共に各種対策を実施しています。

画像2

1985

時間を1985年に進めましょう。1985年は皆さん何をしていましたでしょうか?どのような思い出がありますか?当時、私は小学校5年生でした。野球少年だった私は、この年の夏休みすごく楽しみにしていることがありました。それは、つくば万博に連れて行ってもらう事。算数が得意で科学技術にあこがれていた当時の私は、最先端の科学技術に触れることができるこのつくば万博に行きたくてしょうがなかったです。夏休みにその日は来ました。お盆休みで大混雑の会場内で何を見たかは正確に覚えてみませんが、最先端のきらびやかな科学技術を体験して、僕は将来科学者になろうと決心したのが、1985年の8月、つくば万博の会場でした。万博は人の人生を変えるところ、そしてその人々が世界を変えていくところ、より良い未来に向けてスタートする場だと思います。あれから36年、科学者にはなり損ねましたが、国連職員として仕事しているのがこの私です。同じ1985年、地球環境はどこに向かっていたのでしょうか?私の組織、国連環境計画は2年に一度、管理理事会を開催していますが、1985年に開催された資料を見ると、興味深い決議が採択されていました。その決議のタイトルは、2000年・それ以降の環境の展望について。主な内容は、経済と環境や貿易と環境等の経済活動における持続可能な開発を進めながら環境管理を実施する重要性を認識しなければならない、というものです。今から36年前、どこかで聞い事のあるフレーズと思われた方もいると思います。

画像3

1990

ではもう5年ほど時間を進めましょう。1990年、皆さんは何をしていましたか?1990年の思い出は何でしょうか?私は中学3年生、あのつくば万博の思いを胸に、理系の高校を目指して受験勉強をしていたころです。1990年はここ大阪で花と緑の国際万博が開催されました。通称花博は「花は緑の精、緑は生命の象徴、そして地球の自然と人間の共生を願ったいのちの祭典である」の思いで開催されました。当時の海部首相も、人は自然の恵みで生きている、自然と共に人間は生きていかなければならない、と言うような発言がありました。万博に来られた方は、万博会場内で人間と自然の関係の在り方を感じながら、万博を楽しんだことと思います。でも、「自然と人間の共生」そして「いのち」、なんかどこかで聞いたことがないでしょうか?万博には必ずレガシーがあります。花博のレガシーは、何でしょうか?

画像4

1992

そのレガシーは、なんと、私が今勤務しているUNEP国際環境技術センターの設立です。花博開催のその思いを残すために、日本政府と大阪市が誘致したのが、国際環境技術センター。現在は、UNEPにおける廃棄物担当部署として国際的な廃棄物管理、資源循環、サステナビリティに関する各種プロジェクトをしています。私の担当ももちろん廃棄物管理、ごみから社会を持続可能にする事を目指し、193か国の国連加盟国と仕事をしています。

1990年代から2000年代にかけて、愛・地球博でもそうであったように、環境の重要さ、自然と人間の共存を強調する万博や国際的なイベントが多くなってきました。この時代の国際的な環境問題対策の動きを見ると、それがよくわかります。

画像5

2000

20世紀最後の年の2000年。皆さんは何をしていましたか。私は自分の目標に向かって大学院で勉強している頃でした。世の中にはミレニアムという言葉がはやっていました。2000年9月の国連総会は国連ミレニアム・サミットとして開催され、2015年までの8個の目標を掲げたミレニアム開発目標(MDG)が採択されました。当時、日本の首相であった森総理は、「国際社会の貧富の格差の拡大、環境・保健等の共通の課題に対応しなけれならない」と演説していました。当時の各国首脳も、「環境と持続可能性の確保、貧困撲滅、健康」をキーワードに、自然と人間の共存社会を築くことが21世紀における我々の課題である、と演説していました。何かどこかで聞いたことのあるキーワードだと思います。MDGは15年間の努力もあり、極度の貧困率が1990年からほぼ半減し、開発途上国における識字率が90%以上となり、幼児死亡率も加速度的に減少、約670万人もの人がマラリアによる死を逃れることができました。また19億人もの人が水道水へアクセスできるようになるなど、世界はよりよい生活を得ることができ、いのちの輝きを磨くことができた、と言えるでしょう。しかし、気候変動問題や格差社会、紛争、ジェンダー問題など、多くの課題が残されたままとなりました。

画像6

2010

時計の針を2010年まで進めたいと思います。2010年、皆さんは何をしていましたか?私は科学者の道を歩もうとしたのですが、国際的な環境対策をする仕事に夢中になっていました。愛知万博から5年後。そのレガシーの一つとしての2010年に愛知で開催されたのが生物多様性条約第10回締約国会議。開催国の日本は、当時の鳩山首相からも発言がありましたが、日本における環境の美しさを伝えると共に、生物多様性の重要さ、人と自然との共存の大切さを訴えながらホスト国としての重要な役割を果たしました。世界では870万種類もの動植物が存在していましたが、今はそのうち100万種もの動植物がたった1種類の動物により絶滅の危機を迎えています。その1種類とは、もちろん人間です。これを防ぐために、2010年の生物多様性COPでは10年間の愛知目標が決められました。森林損失の速度半減、水産資源管理、絶滅危惧種の絶滅・減少の防止等の20の目標を設定しましたが、一つも完全に達成できていません。少なくとも、目標1の人々が生物多様性の価値と行動を認識する、は多少広がった、と信じたいと思います。

画像7

2015

次は2015年。6年前皆さんは何をしていましたか?この年、私は今の職業、国連環境計画の職員になった年です。つくば万博でみた科学者になりたいという夢を100%叶えられませんでしたが、科学的・政策的・社会的などのあらゆる知識を活用して、地球環境対策を実施するという職を得ることができました。ある意味、夢で見た科学者以上の職業に就きました。さて、2015年、あらゆる地球規模課題にとって重要な年となりました。2015年9月に開催された国連総会で、17個の目標を掲げた2030年までの持続可能な開発目標、SDGsが採択されました。この国連総会では、当時の安倍首相は、貧困撲滅、ジェンダー、教育の重要さ、環境問題への対策、そして持続可能な開発なくして世界の平和はない、と言う演説をされました。また各国首脳からも、貧困僕別、教育、ジェンダー、社会経済、環境問題、健康など、拡大するこれらの地球規模課題を統合的に結び付けて、自然との共存・調和する社会を築いていかなければならない、と言う演説が行われました。何かどこかで聞いた話しに思えますが。

画像8

2021

2021年に戻っていました。皆さんはSDGs達成にむけて何かされていますか?少なくとも、今日ここで2025年の万博を見据えながらSDGsの議論をしている、という事もSDGs達成に向けた一つの活動と言えるでしょう。SDGsは世界共通用語です。国境、言語、宗教、世代を超えた共通する目標です。17色の色が輝くように、今後9年間、世界が一丸となってこれらの17個の目標を達成しなければなりません。

と言うのが、外交的の表向きの発言となります。本当に2030年に169個のターゲットと17個の目標を達成することができるのでしょうか?これまで1972年から地球環境に関する歴史を紐解いてきましたが、何か共通点はありましたでしょうか?国連総会や各国首脳級が参加する環境に関する国際的な会議では、毎年、「地球規模で環境破壊が進んでいる」、「気候変動が進んでいる」、「生物多様性が失われている」、「化学物質や廃棄物で汚染が進んでいる」、「人間と自然の共存社会を築かなければならない」、「持続可能な社会」、という言葉を聞きます。毎年、です、50年経っても。

2000年のミレニアム開発では、貧困問題の削減や初等教育就学率の上昇がみられましたが、完全にその目標を達成することはできず、2030年までのSDGsに引き継がれました。2010年の愛知目標も私たちの努力にもかかわらず、目標を完全に達成することはできませんでした。現在、イギリスのグラスコーで開催された気候変動に関する締約国会議COPでも、私たちが達成しなければならない二酸化炭素排出削減量と実際に排出している量には非常に大きなギャップがあることを前提に国際交渉が行われています。このままでは今世紀末までに平均気温が2.7℃上昇することが予想されています。地球環境を守るために、私たちがするべきことと私たちがしていることのギャップは広がる一方です。このままでは、2030年のSDGs、そして主要国が掲げている2050年カーボンニュートラルも達成できないのではないか?と思ってしまうのが正直な心でしょう。

画像9

人口データ

少しデータを見ながら考えてみたいと思います。最初に皆さんに質問です。日本のような高所得国の世界人口の割合はどれぐらいでしょうか?高所得国は年間の平均所得が約120万円以上の国です。いわゆる先進国と呼ばれる国です。12億人、約15%です。高所得国の国は、総じて経済的にもゆとりがあり、経済開発より環境や健康に意識が向いています。SDGs、サステナビリティ、環境、健康と言うキーワードが市民レベルまで浸透している場合が多いです。

では残りの65億人(85%)はいわゆる開発途上国に属しています。65億人の人たちの優先事項は、日本もかつて優先してきたように、日々の生活を豊かにすること、経済を発展させることです。世界的に見ればこっちの価値観が世界標準です。日本人が普段見ている世界、理想としている未来社会は、どちらかと言うと世界標準ではなく、この65億人の人たちから見れば、雲の上の上の理想社会に見えるでしょう。

日本人が見ているSDGsとこの65億人が見ているSDGsは異なるものでしょう。日本人や先進国の住人が見ているSDGsは、まさに今大きなうねりが来ているデジタル化社会における持続可能な社会、つまり、いのち輝く未来社会です。これまで開発していた科学技術をデジタルデバイスで統合させ、健康・医療に役立て、省エネ社会、そしてカーボンニュートラル社会を構築させることを目指せる社会です。この最先端の取組や実装、そこからの未来社会を体験できる2025年の大阪関西万博は、私も非常に楽しみにしています。

しかし、65億人の人々はSDGsを全く違うように見ています。明日どうなるかわからない生活、ようやく稼いだ日銭で暮らす日々、子供たちへ十分な教育をさせてあげられず、自分も十分な教育を受けられなかったので日々の肉体労働を耐える毎日、ここから抜け出そうとすることもできず、何世代もその状況、まずは経済発展、健康を害しても高収入な危険な仕事に手を出す、法律を犯しても高収入な仕事に手を出す、など。健康や環境ではなく、経済発展が重要である、SDGs、そんなのは雲の上の人たちの理想である、と言うのが現状です。地球を分母と見れば、こっちの状況が多数派です。日本人が住んでいる世界、持っている価値観、考えているいのち輝く未来社会は、少数派です。という事は多数派の人たちがいのち輝くために何をするべきか、と言うのが国連機関としても重要な課題です。何をするべきか、地球環境を良くすること、それが最終的にはこの65億人の人たちのいのちを輝くことができます。

画像10

気候危機、自然危機、汚染危機

ここから、気候危機、自然危機、汚染危機、この三大地球危機のうち、私が仕事している汚染危機の中の廃棄物の現状を考えてみたいと思います。ごみ問題は一番身近な環境問題です。世界でも日本は進みすぎているぐらいにごみ管理が進んでいます。皆さん、ご家庭で何種類のごみを分けますか?10種類?15種類?20種類?それ以上?私は大阪市内に住んでいますが、主要な分類でいうと12種類です。日本に住んでいると分別するのが当たり前なのですね。昨年のレジ袋有料化から皆さんのごみに対する意識も変わったと思います。

画像11

でも、私達が生活しているのは世界で言うと少数派の国です。では多数派の人たちが住んでいるごみの現状はどのような状態でしょうか?

ダンドラ:ゴミ問題の現状

このビデオを見て皆さんはどう思われましたか?やはり、アフリカは遅れてる、開発途上国のごみ処理はひどい、何とかならないもんか?日本とは大違い、日本のようにすればよいのに、と思ったと思います。日本に住んでいる私たち日本人はこのような思いを持つでしょう。でも思い出してください。日本のような先進国に住んでいる人たちは世界人口の15%の11億人は少数派、残りの85%の65億人は多数派、ごみ問題を見ても、このビデオの状況が多数派で会って、日本のような整然ときれいなごみ処理をしている国は少数派です。

このビデオと写真は、国連環境計画の本部のあるケニア・ナイロビ近郊の埋立処分場です。ここには2000人ものこのようなごみ拾いを生活の糧にしている人たちがいます。ケニアの一人当たりのGDPは約1800ドル、低位中所得国に分類されます。首都のナイロビは大都会で、洗練されたオフィスで働いている人も多いのですが、ケニアでも都市部と地方の経済格差は非常に大きいです。この埋立処分場に働いている人たちは、きらびやかな仕事にあこがれたけど挫折した人、何事にもうまくいかずたどり着いた人、仕事を転々としてここにたどり着いた人、社会から追われてここにたどり着いた人、などそれまで苦難な人生の果てにここにたどり着いた人が多いです。小学校に行くはずの子供たちの姿も見ました。なんで学校に行かないのと聞いてみると、お父さんお母さんがここで働いているから、という声が多かったです。

一日炎天下の中、ペットボトルやプラスチック、アルミ缶など資源性の高いごみを集めて稼げるのは、わずか100円から200円程度。世界の絶対貧困の水準です。世界にはこのような人たちが1500万から2000万人いると言われています。果たしてこの人たちが、日々生きるための生活から抜け出し、自分の健康と自然環境を思いながら生活する日々は来るのでしょうか?私はこの現場日行き、3日間通って埋立処分場の上を歩きながら廃棄物関連の調査をしながら写真やビデオもとっていました。現地の通訳さんを介して何人かの人とお話ししたのですが、もちろん皆さんSDGsなんか知らない、同じ町に国連環境計画があるのも知らない、毎日、処分場でお金になりそうなごみを拾う毎日。唯一の楽しみは週末教会にお祈りに行く事、と言うようなお話しを聞くことができました。誰一人とも、自分の健康やいのちに関して考えていません、今日稼げるはずの100円や200円を目指してひたすらごみを拾っている生活です。これが現実なんです。これが多数は何です。これが多数派社会に見られる人間の縮図、そしてそこに追いやられた人々の現実の姿なんです。でも、少なくとも、このような人たちは、私たちがSDGs17色のきらびやかなステージで語っている循環型社会を自ら実践しています。それは間違いありません。

画像12

一般ごみ処理データ

これが廃棄物管理の現状です。世界の15%、11億人が住んでいる高所得国はリサイクルが40%、でも同じく40%の都市ごみは管理型埋立処分に捨てられています。でも、その他85%、65億人が住んでいる開発途上国はその状況がまるで違います。特に年間取得が10万円以下の低所得国では、90%の一般ごみは分別されずそのまま処分場に埋め立てている状態、先ほどのケニアのビデオのような状態なんです。こちらが世界標準、多数派です。皆さん、こんな経験されたことないでしょうか?コロナ前に海外旅行されて、例えばアジアに行くと、同じ時間軸にもかかわらず、日本とこんなに生活が違うんだと。廃棄物の世界も同じです。日本は世界標準から進みすぎていて、私たち日本人は世界標準からずれた感覚を持っています。世界標準は、ケニアのビデオで見たような状況です。

2050年までの推移

では、これが今後どのように推移していくか考えてみたいと思います。標準的な人口増加率、経済増加率などを基に推理したのがこの2020年から2050年までのグラフ。分母を地球丸ごと一個とした場合、2020年は年間で約21億トンもの一般ごみが排出され、そのうちリサイクルされたのは約22%、単純埋立が約50%です。2050年、人口は今から22億人増え約99億人。年間の一般ごみ排出量は24億トン。リサイクル率は微増の24%、単純埋立処分は42%に減少。しかし全体量が増えているので、処分量としてはほぼ同じ状態となっています。このグラフからは、このまま進むと2050年になっても廃棄物管理状況には全く変わりはない、という事です。

という事は、2050年に立っても数千万人の人たちがこのような処分場でごみを拾う生活を送っているかもしれません。先進国の住人はデジタル化を遂げた社会において、その人工の環境を満喫しながら、自分のいのちを輝かせることをできますが、おそらく2050年でもそれは少数派の人たちでしょう。多数派の人たちは、引続き、日々の暮らしを考えるだけで、健康よりもお金、環境よりも明日の生活、と言う状況は変わらないかもしれません。

画像13

2040

1985年のつくば万博で科学者を目指した少年も、この年に定年退職を迎えます。日本では、2025年に開催された大阪・関西万博で見ることができたデジタル化が溶け込んだバーチャル社会が標準となりました。その技術と2030年までにある程度の成果を残したSDGsの続編として国連総会で採択されたSDGs2050、そして国内版SDGs2050 -いのち輝く未来社会政策- が実施されています。この政策においては、この20年で2千万人の人口減や20%の労働人口減少、そして超高齢化社会となっても、日本経済は成長はしていないが安定した水準を保つ新たな経済体制に移行することに成功しました。この安定経済社会において、何十年も前の高度経済成長期に築き上げた日本のテクノロジーの基礎と最新のバーチャル技術が融合し、日本のバーチャル社会はAIがすべてを回している状態となっています。平均寿命が82歳となった、人々は、定年後も適度な労働と適度な余暇を満喫し、いのちを輝かせて毎日生活しています。20代や30代の世代も、自分の望んでいる職業に就職し、そこで自分を磨いて転職をしていくシステムも構築されています。2040年は多くの人が自分自身に満足感を持ちながら生活をしています。過去の万博が描いてきた未来社会よりも、2040年の日本社会はだいぶ先に来てしまいました。

画像14

と言えるようになっているかもしれませんね。でも、これは先進国に限った話しかもしれません。その後も経済格差は差が開く一方で、先ほどのデータが示しているように、開発途上国では、何千万人という人たちが、自分たちのいのちを輝くことさえ考える暇もなく、ただ日々を生き延びるために、過酷な労働環境の中、ごみを拾い続けているでしょう。地球は一つしかありません。地球上のある一部の国だけでいのちを輝かせたとしても、きっとその他多くの人たちがいのちを輝かせることなく、社会の隅に追いやられて生活しているでしょう。

1972年、国際社会が環境問題に動き出してから、各国首脳や国連事務総長も同じようなスピーチを繰り返していています。人間は自然と調和しなければならない、人間は自然と共存しなければならない、人間と自然は一体化しなければならない、自然の美しさや環境の豊かさがないと人間のいのちを輝くことはできない、と。2040年になっても同じ言葉を言い続けているのでしょうか?もしそうだとしたら、人間は永遠と自然を破壊し続け、人間のいのちの輝きはまやかしにしかすぎないでしょう。地球上に住んでいる約870万種類もの動植物のいのち全てを輝かせない限り、私たちが自分自身1種類のいのちを輝かせることはできません。

画像15

でもよくよく考えてみれば、ギリシャ哲学や中世ヨーロッパでの哲学、日本でも歴史上の登場人物や哲学者の人たちは、言葉は違えど、自然と人間の関係を語り続けてきています。人間が生きるためには自然と共に生きることが当たり前、現代社会で改めてそのことを学び、現代社会の持っているテクノロジーを活用して、人工的なアプローチとして人間社会と自然との共存を目指さないといけないのではないでしょうか?

もしかしたら2040年も同じようなスピーチや発言を繰り返しているかもしれません。でもそれはか首脳級レベルではなく、普段の生活でみんなが心の中でスピーチしながら、地球にやさしいアクションを生活で実施しているでしょう。1972年にようやく環境問題が国際的なステージとして取扱われたときは、首脳級によるトップダウンアプローチで始まりましたが、2015年のSDGsやその一般社会への浸透を踏まえて、2040年はボトムアップアプローチとなっているでしょう。私たち一般市民がサステナビリティアクションを創り上げること、実施すること、そして社会をサステナブルにすること、その影響を受けた政府や国連機関がそれぞれのつながりを国レベルや地球レベルでつなぎ合わせていく事が、世の中の流れになっている社会になっているでしょう。つまり、私たち一人一人が主人公となるのです。

画像16

私たちみんなが主人公となる2025年大阪・関西万博。デジタルが私たちの未来社会を変えることを実体験し、そこで心を輝かせて、自分たちのいのちも輝かせていく事が楽しみです。自分の人生の主人公は自分しかいないのです。自分で自分の人生を作っていくから楽しいのです。だからこそ、心が輝きます。そして、自分のステージと他人のステージをつなぎ合わせて、つながりで地球規模課題を解決していかなければなりません。

万博は人を育てるところ、未来を見ながら、考えながら。いのち輝くとはどう意味なのかを考えるのが2025年大阪・関西万博。

でも、忘れてはならないことがあります。大阪・関西万博でそれを体験できる人、そのレガシーが溶け込んだ社会でいのちを輝かせることができるのは、世界の中でもごくわずかな人たちです。世界各国には、多くの人たちが、経済的にも、環境的にも明日のわが身を心配する生活を送っています。地球上ではすべてがつながっています。

私たちの生活は、人間自ら引き起した3大地球危機、気候危機、自然危機、汚染危機に直面しています。77億人のうち90%は汚染された空気を吸って日々生活しています。大気汚染で年間800万人もの人がなくなっています。廃棄物による環境汚染被害額は年間20兆円ともいわれています。

私たちがここ日本で得られている豊かな生活は、何かの犠牲のもとに成り立っているかもしれません。地球規模環境問題は、全ての人が被害者でもあり加害者でもあります。自分だけのいのちを輝かせていることは、もしかしたら誰かのいのちを曇らせているかもしれません。その思いと共に、2025年大阪・関西万博を体験し、2050年カーボンニュートラル社会、そして2100年までの気温上昇を1.5℃未満に抑えられた時こそが、地球上の人間を含めた870万種類の動植物全てのいのちを輝かせることができます。

つまりまだまだ道のりは長いのです。その長い道のりの道しるべとなるのが、2025年の大阪・関西万博です。2025年の万博が地球環境と国際社会へ貢献することを願っております。

画像17



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?