見出し画像

よくばり記事:気候変動とマイクロプラスチックとごみの野焼き、エシカル、そしてサステナビリティ

毎週どこかで何かを話している日々も佳境に入り、ここ1週間はほぼ毎日どこかで何かを話している状態となりました。でもゴールが見えつつあるので、もうひとがんばりです。今回のノートはここ数日の間に参加したイベントで話したこと、考えたこと、学んだことを忌憚なく書いてみたいと思います。

1.気候変動と廃棄物:国際気候イニシアティブプロジェクト in ブータン、ネパール、モンゴル

ドイツ政府支援のこのプロジェクト、通称はIKIプロジェクト(the International Climate Initiative (IKI) )と呼んでいます。僕のチームでは2017年から気候変動と廃棄物に関するプロジェクトをブータン、ネパール、モンゴルで実施しています。このプロジェクトは、一般廃棄物、とくに食品廃棄物からの二酸化炭素排出削減を目的とし、3カ国における食品廃棄物管理支援プロジェクトを実施していました。2022年12月末、つまり今月末でプロジェクトが完了するために、12月2日(金)にプロジェクト最終ワークショップをオンラインで開催しました。本来であればプロジェクト関係者を大阪に集めて開催したかったのですが、コロナ禍ということもありオンライン開催でした。こちらがその時の集合写真です。

プロジェクトの内容は、山岳国のブータン、ネパール、モンゴルにおいては、その地形上から廃棄物管理問題がかなり特殊です。例えば、平坦の空間がない→処分場を確保するのが難しい、標高が高い→食品廃棄物などの有機性廃棄物が分解しにくい、輸入製品に頼っている→高所得国でスタンダードになっている拡大生産者責任が導入できない、などなどのそもそも難しい状況に置かれています。特に食品廃棄物問題は日々の生活の問題でもありますが、現状は山岳部の処分場に処分する状態で、それ以上のいわゆる適正管理が非常に難しい状態です。

今回のプロジェクトでは、各国における一般ごみの管理状況に関する最新動向の把握、廃棄物由来から発生する二酸化炭素やメタンの排出量の推計やその考察、各国の国別削減目標(NDC)策定支援、二酸化炭素削減を盛り込んだ廃棄物管理戦略の策定・実施、二酸化炭素削減を実施するための廃棄物管理技術の同定・導入等、多岐にわたる国際支援の内容でした。

技術に関しては、3カ国ともに食品廃棄物のコンポスト化に関する技術導入を目指し、高所得国が開発してきたコンポスト機器の中で、比較的シンプルなマシーンとシステム導入に関する調査・分析を実施しました。しかし、しかしなのですが、コロナウイルスの影響が直撃し、最終的にはコンポスト機器の導入までには至りませんでした。非常に残念です。でも、今回の結果を踏まえて、次期フェーズに関して3カ国と計画を練っております。その一つの計画としては、コンポスト機器を導入し食品廃棄物を堆肥化し、それを循環資源として各国のマーケットに売っていけるような社会的価値創造プロジェクトを考えています。つまり、国内経済に資するようなキャッシュフローを生み出すことのできるプロジェクト、スタートアップ的アプローチの導入に挑戦したいと考えております。このアプローチにはESG投資等の金融の力が必要になるため、このあたりも深く精査していきたいと思います。もしどなたかご知見がありましたら、ご指導をよろしくお願いします。

2.マイクロプラスチックのモニタリングとごみの野焼き問題

12月5日(月)はプロジェクトを連携して実施している地球環境戦略研究機関(IGES)が、毎年開催している持続可能なアジア太平洋に関する国際フォーラム(ISAP)における2つのセッションに参加しました。

1つ目は、一パネリストとして参加したセッション「マイクロプラスチック政策の立案に求められる良質なデータとは?」です。このセッションの目的はここ最近国際的な課題に挙げられているプラスチック汚染問題のうち、海洋プラスチックごみ対策の実施に向けたマイクロプラスチックのモニタリングの課題や現状、今後の方向性を議論する場でした。僕の方からは、そもそもマイクロプラスチックのモニタリングの意味をどう考えるのか?例えば人体への健康被害のレベルや環境汚染レベルを明確するためにモニタリングを行うのか、その明確な医学的・疫学的な根拠がまだ明確になっていない中、国際的な基準を設けてそれに対してモニタリングをするのか、などの論点を議論させていただきました。さらに、大海原における環境分析の困難さ、分析手法やデータの読み方などの技術面の課題などを議論させていただきました。また、先週ウルグアイで開催したプラスチック汚染対策に関する条約策定に向けた政府間交渉委員会第1回会合におけるモニタリングの論点整理:プラスチックのライフサイクル各ステージにおけるモニタリングの重要さ、統合的・共通的・簡易的モニタリング手法の同定・使用、データの活用と資金・遵守の関係性等について説明しました。先週の交渉会合を聞いている限りでは、マイクロプラスチックのモニタリングは、条約のモニタリングという意味の一部であり、プラスチックのライフサイクル全体でのモニタリングについて、今後継続的に交渉が行われると思います。

2つ目はセッションチェアとして参加した「廃棄物の野焼きを低減するためのグローバルなイニシアチブと優良事例」。日本でもかつてはごみは野焼きされていました。1950年代ごろまでは、とりあえずごみを居住地域から郊外の処分場、当時は夢の島、とも言われてましたが、に運んでそこで燃やす、というのが唯一の適正処理・処分という状態でした。でもそれは、ごみ問題の発生場所を居住地域から郊外に移動ささせただけ、しかも燃やすことでごみ問題が大気汚染問題となり、最終的にはその問題が健康被害・環境汚染に集約されていった状況でした。

2022年では日本でこそそんな状況は見ませんが、途上国、特に低所得国等では、廃棄物の野焼きが通常の処分方法となっております。その理由は、それしか選択肢がないため、等です。状況は日本の50年前と変わりません。目の前の問題を、とりあえず目の前からなくしてあたかも問題が解決したかのようにし、その問題を処分場に運んで処分場でごみを野焼きすることで、その問題が目の前から消え去る、これで安心安心、おしまい、としています。でもその話には続きがあって、有機物は熱分解されますが、それが大量の二酸化炭素や粒子状物質(PM10、PM2.5)、微粒子ブラックカーボン(BC)、有機炭素(OC)などの汚染物質、並びに窒素酸化物(NOx)、一酸化炭素(CO)、メタン(CH4)および非メタン揮発性有機化合物(NMVOC)などのガス状汚染物質を排出させています。そして、最終的には「健康被害・環境汚染」に集約される、つまり目に見えない形で自分たちに返ってくる、という環境問題の負の黄金律(ブラック律?と言う?)を引き起こしています。

でもこれがなかなか理解されないのです。職業上よく聞く質問「かつて日本も経済発展を進めるために環境問題をなおざりにしてきたではないか。だから今途上国の私の国も経済発展ファーストの政策が必要、経済発展があるからこそ豊かになれるのだ」、と。本当にそうでしょうか?50年後、ちゃんとその負の影響を正直に正面からあるがままを認め、その負の影響に対して対応してく力があれば別ですが。僕自身での計算では、例えばごみ1トン当たりの野焼きの必要なコストは、インフォーマルセクターの人件費が主になる1ドル程度、管理型廃棄物処分場の運用コストはごみ1トン当たり約15ドルから20ドル前後。でもごみの野焼きが原因による環境汚染はごみ1トン当たり約100ドル、管理型廃棄物処分場からの環境汚染はごみ1トン当たりほぼゼロに抑えられる、つまり、答えは明確です。未然防止コストの方が圧倒的に低いのです。

これは全ての環境問題に共通します。あの水俣病でもこれが事実です。でも、未だに私たちは知っていて実施しないのか、知らないふりをしているのか、本当に知らないのか、同じ状況を繰り返しています。これが変われない限り、全ての環境問題は解決しません。今まで外部不経済として取扱ってきたことを、ちゃんとした必要なコストとしてとらえ、それを社会全体として負担していく世の中でなければなりません。私は経済学者ではありませんが、少なくとも現在の資本主義では汚染コストは全て外部不経済として取扱われています。サステナブルや環境保護が組み込まれた社会に変えない限り、地球が完全に壊れるまで私たち人間は堂々巡りをしている事でしょう。

3.エシカルWAVE for SDGs

ラジオ日本には毎週月曜日午後9時からエシカルWAVE for SDGsというラジオ番組があります。なんと、その番組に出演させていただく機会に恵まれました。このような貴重な機会に感謝です。放送日は12月26日と来年1月2日、今年最後と来年最初の番組というものすごいタイミングで、なんだかこのめぐり合わせにもありがたいと思うところです。番組のパーソナリティーは井手迫義和さんと駒形陽子さん、収録はお二方とカフェでおしゃべりしているように、楽しい雰囲気で行われました。トークの内容は放送日までのお楽しみとしたいと思いますが、環境問題という身近だけど難しい問題を、なるべくわかりやすく、そして楽しい雰囲気でお話しさせていただいたのも、井田迫さんと駒形さんのやさしいお人柄のおかげです。ありがとうございました。楽しい内容となっておりますので、放送をお楽しみに。

と言いつつ、「エシカル」というのは、文字に書くと簡単そうに見えるのですが、その内容は非常に難しく様々な要因が複雑に絡み合って、現代社会が作り出した「問い」である、と僕は認識しています。収録はものすごく楽しく柔らかい表現しかありませんが、僕の事前準備ノートとして考えたことを書いてみたいと思います。収録でのトークのトーンと丸逆の硬い文章ですが。。。

エシカルとは:

  • 問いだと思います。自然の中に存在する問いではなく、人間が自ら作り出した人間社会だけの問い、それがエシカル。しかも、少なくとも我々の先祖が最初に住んでいたと言われる東アフリカを離れだした12万年ぐらい前から少しづつ始まった微妙な格差が、今のエシカルとなり、そのエシカルが我々人間に問いを投げていると思います。

  • 地球上の人口は最近ついに80億を突破しましたが、日本人はその中でも1/80で生まれただけでものすごく幸運を手にしています。日本社会に生きていれば様々な苦悩はもちろんあります、でも途上国、特に低所得国に住んでいる10億人の人たちと比べれば、はるかに豊かな社会で暮らしています。

  • 日本人に生まれると、おそらく大人になってからエシカルという言葉を耳にするかもしれません。それを知るまで、実は日本に住んでいるだけで常にエシカル問題が普段の生活に隠れているかがわかると思います。

  • その決定的なのが、日本が高所得国の一員となったのは、いわゆる高度成長期において、世界の中でもフロントランナーとして経済を拡大していた、つまり、世界経済のその格差を利用して、経済成長を遂げた。エシカルのアドバンテージを知らず知らずに富に変えて、高所得国となった、と言っても良いでしょう。

  • そして、日本は環境を破壊した。水俣病もしかり、ごみ問題もしかり。それはあたりまえです、エシカルの範囲を飛び越えた経済活動を行ったので。公害問題が起こって数十年経ってから、日本人はそれを正直に認め、あるがままを受け入れ、正面から見つめあった。だからこそ、ようやく今になって、環境に関するそのエシカルの問い、社会をサステナブルにするにはどうしたらよいか?、を理解するに至った。「あるがままに受け入れる」、というのは人間が生きる上で最も重要ではないだろうか?言葉は違うものの、様々な宗教や哲学者が人間の本質として「あるがまま受け入れろ、そこで人間の本心が見える」と言っている。

  • エシカルが人間に問いを投げている。それは「あるがままを認めろ。それから必要な行動を取れ」。環境についても「人間の自然への破壊行為を認めろ。サステナブルな社会としてのアクションを取れ」、と言っていると思います。

4.エコプロ2022 未来を考えるUNEPサステナビリティフォーラム

エシカルWAVE for SDGsの収録の同じ日に、東京ビックサイトで開催されている日本最大の環境展示会、エロプロ2022特設ステージイベントで司会をしました。

UNEPサステナビリティアクションを通じて共に行動をしている、セブン&アイ・ホールディングさん、ファーストリテイリングさん、楽天グループさんと色々計画して実現したステージイベントです。このチームでは定期的にサステナビリティやそれを取り巻く課題、その解決方法についてざっくばらんな意見交換を積みあがてきており、今回はそれをエコプロという場を貸していただき、公開イベントとして実現しました。皆さん各社の幹部なので超ご多忙なのですが、ご参加いただきありがとうございました。関係者の皆様も各種ご調整ありがとうございました。

今回のトークイベントの趣旨は、「未来社会の価値観とは?その価値観を構築するためのビジネス戦略とは?」です。

背景として考えたストーリーはこちら:
天然資源を物に変えそして富を得てきた現代社会の代償として、私たちは気候危機、自然危機、汚染危機の地球三大危機に直面しています。物の消費により生活の豊かさを求めていた時代の終焉を迎え、私たちは人間社会の在り方を改めて問われています。今こそ、人間が作り出してしまった地球三大危機を正直に正面から向かい合い、新たな未来社会を考えていかなければなりません。 未来を考えるUNEPサステナビリティフォーラムにおいては、国連環境計画、セブン&アイ ホールディングス、ファーストリテイリング、楽天グループが、国連機関として、ビジネスセクターとして、そして人としてそのあるべきその未来社会を大胆に予想し、その未来社会向けたサステナビリティアクションを語りつくします。

トークイベントは非常に中身の濃い話になりました。3社さんともに会社の歴史から見れば、サステナビリティや環境配慮型ビジネスというのは新しい項目で、現在は必至で取組んでいる状態です。この状態は資本主義の現状を反映していると思います。天然資源を基に大量生産を続け、モノで社会を溢れさせ、モノでヒトの心を豊かにし、そして社会全体の富を増やし続けていた現在の経済社会は、何かが間違っている、と多くの人が認識しているはずです。はずなんです、でもそれを止めることができないのが資本主義の市場拡大主義かもしれません。そのものすごく速いスピードの中で、企業が生き残っていくためには、他人より早く他人より多く、そして他人より安くモノやサービスを市場に出すこと重要でした。でもさすがにそれでは社会が耐え切れなくなってきていることが、現実として直面しているのがこの2022年12月でしょう。戦争や紛争、エネルギー問題、環境問題、ほんのわずかな裕福層のみが手にする価値を増やしていき、中間層は増大するものの収入の伸びが純化し、低所得層もそのわなから抜け出すことができない、格差の更なる拡大化、など、既に現代社会がほころびだしています。それに気候危機による温度上昇は油に火を注ぐ方にになるでしょう。考えれば考えるほど、悲観的になってしまうのが、我々が産業革命以降作り上げてきた社会の結末です。

でも、「ピンチはチャンス」という言葉があります。私は最近これを「ピンチはスタート地点」と考えるようにしています。なぜかと言うと、ピンチということは、今まで進んできた道のどこかが間違えてきた、という結果なので、どこをどう間違えたのかをちゃんと分析することで、そこから改めてスタートできる、と思うからです。ピンチということは、言葉を返せば、違うやり方で取り組めばまだそれはチャンスでもあり機会でもあり、そして新たな何かを生むことができます。もし失敗したら、「失敗は成功のもと」、つまり「失敗はスタート地点」と考えて、あきらめずに進んでいけばよいと考えています。

3社さんとも多くのお客様と常日頃摂しているビジネスです。私も3社さんをよく利用しているユーザーです。このSDGs時代に社会をサステナブルに変えていくためには、企業だけでは何もできない、お客様と一緒になって一歩一歩進んでいくのが重要だ、ということを皆様お話しされていました。一人では、そして一社ではできることが限られているけど、業界を越えてつながることで、各社の努力の相乗効果が期待でき、そして社会に届けるインパクトも飛躍的に大きくなると思います。

もう一つ印象に残ったのが、ウェルビーイングとウェルドゥーイングの考え方です。日本の得意技として、技術やサービスを徹底的な高度化・効率化を進め、それを社会に送り届けるために、ウェルドゥーイングをアクセルのリミットを超える120%で突き抜けてきました。だからこそ、日本の技術の完成度は世界一を保っており、サービスに関しても行き過ぎているぐらい徹底したサービスを「普通に」提供できるレベルに達しています。でも、それが行き過ぎてしまっているのが良くないかもしれません、そこまでレベルを上げなくても良いかもしれません。日本語には「いい加減」という言葉があり、現代では悪い例えをいう時に使われますが、元をたどれば「良い加減」だそうです。

人間が求めているのは、モノの幸せではなく、心の幸せです。今までは目の前の豊かさに目がくらみ、私たちはモノで幸せになれるはずだ、という間違った価値観にとらわれてきました。でも、高所得国となりモノがあふれている日本において、多くの日本人は気が付いています。モノで幸せになることができない。でも、今の経済社会が変われない限り、知ってはいるが変えられない状態がしばらく続いてしまうのも現実です。

これからの社会は、経済社会のスピードを落としつつ、ウェルドゥーイングが50%、ウェルビーイングも50%というような、本当の意味での人間としての豊かな生活を送れる社会にしなければならないでしょう。モノでは心は豊かになれません。心でしか豊かになることができません。そんな社会を作り上げて行くのが、サステナブルな社会を作っていく真の意味ではないでしょうか?

5.みんなで考えるサステナビリティ:エコプロ ミニトーク@セブンアンドアイブース

さて、今回の毎日なんかしゃべっているシリーズの最後は、エコプロのセブンさんのブースでのミニトーク。UNEPサステナビリティアクションのご協力いただいている皆さんの中で、エコプロに出展しているのがセブンさんなので、この「つながり」からミニトークをさせていただくことになりました。僕のミニトークのタイトルは「みんなで考えるサステナビリティ:阿社会から問われているものは何か?」です。と言いつつも、プログラムにトークタイトルが載っていることもなく、僕のプレゼン資料にも特にタイトルコールは何ので、タイトルをお伝えすることなくミニトークとなりました。

SDGs時代の終盤を迎えていますが、今私たちが問われていることは何でしょうか?

  • お客様が求めているモノやサービスとは何でしょうか?

  • 私たち市民が求めているモノやサービスは何でしょうか?

  • 社会が求めているモノやサービスは何でしょうか?

これらの問いに対して、それぞれの企業や組織が世の中に届けているその守備範囲でこの問いに答えていく、当たり前ですが、企業であればそれが利潤を求めたビジネスであり、公的機関であれば住民への公的サービスであったり、個人であれば相手に対する思いやりだったりとなります。これらに対する皆様の答えは何でしょうか?

その答えは100社100通りだと思います。でも全ての答えに共通することがあります。その答えとは何でしょうか?これらの問いの大きな命題は、社会をサステナブルにすること、です。もちろん資本主義の社会では、経済を回していく事も重要で、それが一番の目的で世界市場はこの近代社会を突き進んできましたが、今ではそのもう一歩先が求められています。サステナブルな社会にすること、それが市場経済にも還元される、というのは社会経済学的に見ても明らかです。社会から皆様への問いは何ですか?

国連職員としての私に対する社会に問いは、「地球三大危機、気候危機・生物多様性危機・汚染危機、の対策を打つこと」、です。私は国連環境計画の中では廃棄物を担当にしており、私のお客様は193か国の国連加盟国の政府関係者です。でも汚染のない廃棄物管理を実施していくためには、中央政府、地方政府、廃棄物業者、研究者やNGOの皆様との連携が必須です。でも、途上国における廃棄物問題というのは、単に廃棄物問題だけではありません。その状況を正確に見ると、様々な社会的問題が複雑に絡まりあった先の廃棄物問題になります。

日本の50年前と同じように、途上国の廃棄物処分場には何千万人もの、ウェストッカー(処分場等でリサイクル可能なごみを拾い集めるお仕事をしている人)が居ます。この写真はよく使うのですが、ケニア・ナイロビ郊外にある東アジア最大の廃棄物処分場には、約5000人ものウェストピッカーが炎天下の中、一日100円から200円稼ぐために、つまり日々生きるために、リサイクル可能なごみを拾っています。この人たちの多くは、社会でもみくちゃにされて行きついたところがここである、という状況であり、本来学校に行くはずの子供たちも両親と一緒に働いています。この問題を解決せよ、というのが社会から私に問われています。

でも、その解決方法は現地発で、既に動いています。それが、日本のような高所得国が2050年をターゲットとしているカーボンニュートラルへの一つの柱、プラスチックの循環経済構築です。世界中でPETボトルは必要です。PETボトルがあるからこそ、水道を引くことができない途上国の市町村や、臨時に作られる難民キャンプに安心で安全な飲料水を届けることができます。でも、途上国で市場に出回った多くのPETボトルは他のごみと混ぜられ、このような処分場に運ばれます。そこで、ウェストッカーさんの出番です。PETボトルをごみの山から探し出して、集めて、そしれPETボトルリサイクル市場へ送り出しています。日本とやっていることが同じでしょう。皆さんが100円ショップで買うプラスチック製品の素材は、もしかしたらこういうところから来ているかもしれません。途上国ではPETボトルに限らず、きれいなプラスチックや、アルミ缶・スチール缶等はリサイクル資源として流通しています。

改めて質問です。お客様や一般市民の皆さんが求めているモノやサービスは何でしょうか?その一つの答えとして、そのモノやサービスを利用することで、地球環境問題に貢献すること、社会をサステナブルにすることに貢献することではないでしょうか?そのような社会に導いていくのが、例えば、毎日約2000万人のお客様の利用があるセブンさんの様々な店舗かもしれません。他のお店もそうでしょう。その問いにセブンさんも答え、そしてお客様がますますサステナブルな製品に興味を持ってくれたり、買ってくれたり、そこから、自分自身が普段の生活でできるサステナブルな活動をする、となったら。未来はサステナブルな社会となるでしょう。

そんな思いで、UNEPではUNEPサステナビリティアクションというネットワークを活用し、セブンアンドアイさん、そして、昨日、エコプロ特設ステージトークイベントにご参加いただいた、ユニクロのファーストリテイリングさん、楽天さんと、社会のこの問い「社会をサステナブルにするためには」、に答えられるように、イベント等で行動を共にしています。私たちの日々の努力がすぐに答えになるとは思いません。環境問題や社会をサステナブルにするにはそんな簡単なことではないのです。でも、守備範囲の違う仲間がつながることで、色々な対策や行動を起こせます。一人一人が毎日ひとつでも環境にやさしいアクションをすること、つまりサステナビリティアクションをすること、これが一人一人増えてき、その環が大きくなり、最終的には地球上の人類すべてが行動を起こす日が来た瞬間が、社会をサステナブルに変えていく事ができる本当の一歩目かもしれません。ずいぶん時間がかかりそうですが、それほど人間が犯した過ちが大きすぎるということです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?