見出し画像

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY5 2001年冬 COEX】

好きになった人を追いかけて、一人でソウルに来ました。
エモい。
もう20年も前のことなのに、この時の気持ちを思い出すと今でもドキドキする。

片思いの人をおいかけて、国境を超える。
将来娘が生まれたら武勇伝として語り継ごうではないか、と思っていたが実際娘に言うと爆笑されそうだし、今のところ黙ってる。

1月の末、Sさんからメールが来た。

「2月の頭にソウルに行くよ。今度は結構長い予定」
わたしはすぐに「行きます!会えますか?」と返信した。
「もちろん!飛行機だけとっておいで。部屋はつかっていいから」
そのメールを会社で受けた私は、前に座っていた同僚に「めっちゃ笑ってますけど、なんかいいことありました?」と聞かれるぐらいに破顔していたみたいだった。
Sさんの段取りは素晴らしかった。
「ホテルはCOEXインターコンチネンタル。隣にグランドインターコンチネンタルがあるけどそこじゃないからね。リムジンバスはそこでおろされると思うから、そこで降りてまってて。動かないでね。
もしも僕がいなかったら電話して。電話はCDMAONE(国際電話のできる規格の携帯。当時日本の携帯電話では海外からは受信できなかったのです)の携帯を持ってるから、つながるよ。
無事に来てね」
とメールが来たのだった。

わたしはそのメールを印刷して、機上の人となった。

金浦空港に着いたのは、19時すぎだったと思う。リムジンバスのチケットを自力で買い、なんとかグランドインターコンチネンタル(現在のインターコンチネンタルパルナス)の前で降りることができた。
さっぶ。
マイナス15度とかだった。さっぶ。

バスから降りたら動くなと言われたわたしだが、ここは高級ホテルのエントランス。ベルボーイが出て来て英語で話しかけられた。そりゃそうよな。友達を待ってますが言えなくてあわあわしてたらなんとなくここの宿泊客でないことを感じ取ってくれて、ロビーに案内してくれた。間接照明の重厚なロビー。西洋人とわかる人たちが行き交っている。
しばらくしてSさんが現れた。
生きた。わたし生きた。

COEXモールを通ってCOEXインターコンチネンタルについた。途中のコンビニでcass(韓国のビール)とアイスクリームを買った。
こっちのインターコンチネンタルもそれはそれはすごかった。 

最上階に近い部屋だった。
漢江にかかる橋を渡る車のライトがとてもきれいに見えた。
「すごい。素敵な景色ですね」
「朝も綺麗なんだよ」
朝。
ドキドキした。

買ってきたビールを飲んで、そのまま寝てしまった気がする。
起きたらSさんはいなかった。しばらくしてスーツを着たSさんがコーヒーを両手に持って入ってきた。
「あ、起きたんだ。おはよう。コーヒー買ってきたよ」
ここのは美味しいよ、ホテルのカフェで買ってきたんだ、と言った。
信じられないかもしれないけど、この頃の韓国はスタバやコーヒービーンがあるにはあるけど数は少なくて、喫茶店では目の前で粉コーヒーをお湯でとかれたりしたんですよ。

コーヒーを飲むと、Sさんは仕事に出てしまった。
確かに景色がすごかった。目の前にはお寺が見えた。翌年にこのお寺、奉恩寺には行くことになったのだが、とにかく大きなお寺だった。

わたしはお風呂に入り、着替えて外に出た。

めちゃくちゃ寒かった(マイナス20度近い)。
とりあえず明洞に向かう。

写真は2019年ソウル駅にて撮影

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?