自分で書いた板書くらい自分で消せ。

教員のなかには、板書して、それを生徒が消すのが当然だと考えている人が一定数いるらしい。意味不明だ。生徒が消してくれるのは、好意ではないか。義務ではない。

たしか森信三も、板書は自分で消せと何かに書いていたと思う。保守的な主張をした人でも、そう言うのだ。

というか、自分がやったことを自分で後片付けするなんて、幼児にも教えることである。そんなことも教えられてないのだろうかと思う。

学習環境を整える責任は、教員にある。私はそう考えている。

初任者のとき、なぜか生徒指導の研修に参加させられた。参加者のほとんどが、各校の生徒指導主事である。なぜかほとんどが男性教諭である。

この研修の協議の時間、小グループで話し合いが行われた。教室環境を整える、というテーマのとき、黒板をきれいにすることがだいじだという話になった。

私以外の教員は、延々と「生徒に板書を消させなければならない。」と言い続けた(ほぼ全員が同意しているらしき話を延々と続ける意味は私にはわからない)。なかには、「黒板が消されていなかったら、消すまで待つ。そのぶん授業時間を延長する。」などとおっしゃる方までいた。

前の時間の板書が残っていることはある。しかし気にせず消せばいい。教室によっては手伝ってくれる生徒もいるだろう。感謝を伝え、褒めればよい。そもそも、授業にギリギリに行くのが間違いなのだ。少し早めに行き、教員の責任で学習環境を整えるべきである。

私は学校で、教師として生徒と関わるときは、決して生徒と対等だとは思わない。当たり前のことだが、教師と生徒は教育の場において対等ではない。だからこそ、板書も自分で消すべきなのだ。教師としての役割を粛々とこなすべきなのだ。

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