大学で勉強すべきは実践的な云々ではなくて、ばちばちに理論的なあれこれではないのか。

これは単なる事実なので言うが、私は教員になってからは進路多様校ばかりに勤めている。

なおかつ、転勤するたびに、生徒指導の大変な学校に異動している。

別にこれを誇りたいわけではない。単に事実として、そうだと言うにすぎない。

さて、そのような学校で教壇に立ち始めたとき、つまりはじめて進路多様校の学校の生徒に授業をするとき、何か戸惑いがあったか。

別になかった。

もちろん教職についた最初の頃はうまくいかなかった。たんに技術や知識が不足していたからだ。どんな仕事だって、最初はうまくいかないのか当たり前だろう。最初からうまくできると思ってるほうが変だ。

だから、最初の数年は、今とは比べ物にならないくらい勉強した。当時付き合っていた妻は、「あなたはちょっとでも時間が空いたら本読んでたよね。1分でも2分でも空き時間があれば本読んでた。そのために常にいろんなところに本を置いてた。」と言う。わけわからんくらい勉強した。

しかし、そんなのは当たり前だと思う。できないんだから、できることをやるしかない。

私は教員養成系の学部や大学院を出ていない。だから、教育学関係の理論をきちんと学んでいなかった(単位を取るために関連する授業は履修した。)。今になって振り返ってみると、「生徒実態」に合わせた授業をどうするかなんてことは大した問題ではなかったと思う。

それよりも、理論的なことを勉強するののほうが大変だった。すぐに仕事に役立つかわかりにくいから、ついつい後回しになる。即効性がないように思えるから、ついすぐに役立つ技術的な書籍を読んでしまう。

しかし、重要なのは理論なのだ。私は強く言いたい。理論がなければ授業はできない。理論があるから、授業がつくれる。理論があるから、振り返って改善できる。理論があるから、うまくいったのかの基準ができる。

理論がなければ話にならない。表れとしての授業は、その下にある理論に支えられている。

だから、一見役に立たないように見える理論的なことをこそ、大学では学ぶべきだ。現場の教師がこのように強く主張していかなければならないと思う。

私は現場の教員として、強く主張したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?