読み書きは一体のものとして指導すべきで、読むことだけ、書くことだけを指導はできない。

という思いを年々強くしている。

授業進度が、気になる。考査までに終わらせなければならない教材がある。しかも長い。

こういうとき(というか、ほぼずっとだが)かつての私ならとにかく帳尻を合わせるために、私が主導して授業を組み立てて、発問を考え、学習活動を考え、なんとか考査範囲の教材を終わらせていた。

さいきん、というか今年度は、割り切ってしまった。なんなら教材についての解説をすること自体を放棄している節さえある。

その代わりに、とにかく読み書き(というか、書くこと)をさせている。教材を読んで作文させるのである。すでに記事に書いた疑問作文を書かせる。しかしもう少し工夫して、たくさん書かせる。とにかく書かせるのである。

解説する時間よりも、生徒が教材をどう読んだかを文章にさせる時間をたくさんとる。それはタイトルのような思いがあるからだ。書くことによって、読む能力は伸びると考えているからだ。

書くことをさせず、ひたすら読むことをどうにかしようとしてもたぶん無駄なのだ。読んで書く。書いて読む。これをひたすら繰り返す。この往復というか、「再帰的な」(「」をつけたのは、私はこの言葉遣いには違和感があるからなのだが)プロセスによってこそ、よく書けるようになるだけでなく、よく読めるようになる。

だから、授業はひたすら書かせる時間になる。年間の授業の3分の1から半分くらいは書かせている感覚がある。読むことの指導は、このようにしかできない体になってしまった。

この実践はまとめておくべきかと思う。思うのだが、面倒だ。また発表する場もない。ツテもない。ひとまず日々の実践に追われているし、まあそれでいいか、という気持ちがある。

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