上原秀一氏の「コンディヤックーー観念・思考・記号」を読んで、面白かったので、コンディヤック『論理学』を買って読み始めた。
森田伸子編著『言語と教育をめぐる思想史』の第二章が、上原氏の「コンディヤック」という論文だ。
浅学にして、コンディヤックは名前を聞いたことがある程度でしかない。たまたま、森田伸子氏のほかの本(『文字の経験』)と同時に購入した『言語と教育をめぐる思想史』に、個人的にいくつか論文を読んだことのある上原氏の名前を見つけたので、とりあえず読んでみることにしたのだった。
そしたら面白かったのである。コンディヤックいいね!
まあそもそも、私は啓蒙思想好きなのだ。啓蒙さいこー!って感じだ。(ちょっと言い過ぎたかもしれない。)
例えば、コンディヤックはパルマ公国のフェルディナンド王子(当時7歳)の家庭教師をしていた。「教育を開始してから最初の一か月足らずの間を「予備授業 Leçons préliminaires」」として、「毎回、授業の内容をあらかじめ文章に書き記していた。」(98頁)という。これはすんごくいい話だ。
かくいう私も、ここ4年間は、担当していた「現代文B」の授業で、「毎回、授業の内容をあらかじめ文章に書き記していた」。教科書教材について書くのである。だいたい毎回、最低でも1万字くらいになる。これを生徒に配付して読ませる。補足説明をして、それを必要に応じてメモさせる。これがノートだ。授業の最後には、授業の理解度を測るためのテストをする(Google formsでする。)。次回は前回の問題の解説を含め、また新しい内容についても書く。
これはほんとうに良い方法だ。なにより、自分で書かなければならないので、私自身が勉強する。さらに、生徒に合わせて書くことになる。生徒は自分たちに対して書かれた文章だから、かなりちゃんと読む。また、生徒は私が書いた文章を日常的に読んでいるので、私の作文指導の内容を、私の文章と照らしてどのくらい〈有言実行〉されているのか判断できる。生徒は、私が日常的に書いていることを誰よりも知っているので、下手なことが言えなくなる。配付された文章には、いろいろな文献からの引用があるので、私が日常的に読書していることもわかる。
このような態度というか、実践で示すというのは、かなり指導に説得力を与えてくれる。
また、コンディヤックはまず大量に具体的な文章を与える。そのあとで、文法の指導や書く指導、推論の指導に移る。具体的な経験が多量にあってはじめて、そのような技術の指導に移ることができる。
すごくまっとうって感じだ。まずたくさんの(読書による間接経験を含めた)経験の蓄積がないと、文法の指導とかしても意味ない気はする。古文や漢文でもそうだろう。この、量の確保の問題は、数年前からずっと課題だと思っている。しかし、やはりまずは大量に読ませないといけない気がするな。
この論文は、「コンディヤックの思想は、教育上の課題としては徹底した言語使用の精密化という言葉の鍛え直しを志向することとなるだろう。」(127頁)と締められている。「徹底した言語使用の精密化という言葉の鍛え直し」というのは、論文を読んだ私の理解だと、よくわからないままになんとなく使っている言葉を自覚して、その言葉がほんとうに言いたいことや考えたいことに適しているのかを考えたり、あいまいなまま理解している言葉の意味を、(言語経験を含む)経験と照らしながら分析したりすることだ(たぶん)。これは私にとって、(多くはない)だいじだと考え、指導のなかで伝えるべきだと考えていることだ。
ということで読むしかないっしょ! コンディヤック!
そんなわけでコンディヤック『論理学』をKindleで購入して読んでる。おもろい。あとわりと読みやすい。まあ初学者向けの本だからってのもあるだろう。
あと、読んでると「明晰な観念」というのがひんぱんに出てくるので、パースの論文も読み直そうと思った。「我々の観念を明晰にする方法」ね。これは『プラグマティズム古典集成』に所収されている。内容に比して安い本だと思うので買うべし。
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