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中山道29 草津宿→京三条大橋〔完〕

▽1991年3月23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。▽2021年3月53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。

2021.08.23


1.最後の朝

草津駅前のエストピアホテル、
リーズナブルで超快適、
お世話になりました。


街道に向かうため、
天井川の土手を昇ります。


広いですね〜、
この水の流れを変えたんですね。

JRの線路を超えて、


街道上に到着、
あぁ、もう中山道とは呼べません、
今日からは東海道を歩きます。


今日は月曜日、
金土日限定で歩いてましたので、
月曜日の朝歩くのは初めて。
沢山の通勤する人々とすれ違います。


2.時の旅人

時の旅人、
街道には過去も現在も旅人が行き交い、
時空を超えて文化が交錯します。

旅の原点は街道から始まっていると
言っても過言ではありません。

参勤交代・巡礼・湯治、
参勤交代は無くなれど、
出張で人は移動を繰り返し、
巡礼・湯治は今も続き、
観光という文化が根付きました。

新しい生活様式の時代になれど、
人は旅を続けます。
街道の長い歴史からみると、
人々が旅を始めるまでもう少しです。


草津はマンションがとても多く、
本陣付近は宿場町風の物件が、
ウリになるのでしょうね。


草津は本陣が二つもあり、
昨日見学した本陣ともう一つの、
本陣跡がこちらです。


この近くは政所でした。
今日は太田酒造の道灌を鞄に入れてます、
三条大橋での乾杯用に!


横道の風景。


この表札があちこちの家の前に
貼ってあります。


立木橋を渡り、
宿場町の中心から離れます。
振り返ると彼方に天井川のトンネルと、
その奥に中山道の幻影、
近江・美濃・木曽・信濃・上毛・武蔵
それぞれの國の情景が走馬灯の様に
過ぎていきます。


草津川、
天井川の流れは上流でこちらに
移ってきました。


3.地蔵盆

8/23.24は地蔵盆といい、
お地蔵さんに飾り付けとお供えをして、
地域の安全などを改めて祈る、
関西地方に伝わる夏祭り的な行事の日。
子どもたちにとっては、
夏休み最後の祭りになります。


天井川がお酒になってる!


お地蔵さん嬉しそうですね。


振り向くともう中山道はもう見えず、
高層マンションしか見えません。


4.急がば廻れ

右に行くと近道だが矢橋の渡しがある為
湖上が荒れて遅れる恐れあり。
直進すると遠回りだが瀬田橋があるので
予定通り確実に進める。

これから歩くルートは、
遠回りだが確実に行ける道を選ぶ事の諺
"急がば廻れ"の発祥の地です。


天井川の事が書かれてます。



国道1号と江戸日本橋以来の再開、
京都の地名も初めて目にします。

今までに並走した主な国道、
17→18→142→20→19→21→8→1
国道は番号が小さいほど格が上です。
そう考えると大御所の国道ばかりと、
並走してますね。


ちなみに最大の番号は沖縄県にある
那覇市と糸満市を結ぶ507号、
沖縄単身赴任中の最後の記念に、
2021年2月20日に会社の仲間と完歩。
写真を少し紹介します。

サトウキビの収穫期で、
畑でもらってかじりながら、
炎天下の中楽しく歩きました。


5.野道 萩の玉川

さて番号の一番小さな国道を横切り、
野路の一里塚跡。


野路、いい名前ですね。


東海道沿いには多くの史跡があります。


道端の赤煉瓦が気になり回り込んだら、
お地蔵さんが綺麗に並んでました。
地蔵盆は中止の様ですね…


野路は草津宿が出来る前の宿駅、
ここ萩の玉川では泉が湧き、
旅人の憩いの場として人気があったが、
宿が草津に移り泉は枯れでしまった。

後に住民の懇意により現在の姿に、
復元されました。
熱い想いが詰まった泉ですね。


弁天池、
恋物語が語り継がれているらしいです。


おとなしそうな、飛び出し坊やたち。


住宅地を抜けていきます。


月輪池、
旅人が池に映る月をみて感嘆し名付けた
など諸説あるようです。


1階店舗、2階住居の集合住宅、
昭和懐を感じます。


一里山自治会のお祭り"朝ごはん市"、
キッチンカーなどが集まる
シンプルなイベント。
開催されますように!


川沿いの小径、
桜の時期は賑わいそうですね。


素晴らしい名前のアパート。


この地区の地名一里山は、
一里塚にちなんで付けられました。


道標、
三条大橋まで五里です。


貼り紙を勝手にする人がいたのですね。


彼方先の山の向こうが京かな?


この飾りはなんでしょう?
ここは大津市大江地区、
この辺りでしか見ませんでした。


あいさつは、
コミュニケーションの基本ですね。
街道を歩くということは、
相手の地域にお邪魔する事なので、
人が多い駅前の繁華街以外では、
先に挨拶をするようにしてます。

住民に無視されるのは良しとして、
同じ街道歩きの人に無視されると、
本当に悲しくなってきます…

ボヤキでした…



大江地区の文化財マップに、
"人の活動・言い伝え"
とあります。
この分類カテゴリーは見事です。


地蔵盆のお供えも自粛、
お地蔵さん、もう少しの辛抱ですよ。


電柱に控え目な東海道の案内看板。


樹齢約二百年、大場の桜。
江戸時代に街道を行き交った人々が、
春にこの桜を眺めていたことでしょう。


金魚鉢の形をした建築物。


地蔵盆のお務めです。


よく出来ている猫の石像。


たにしあめ、
ヒリヒリ痛い飴、とのレビューあり。





地蔵盆で綺麗に飾られてます。
上の写真のお地蔵さん、
ちょうどご近所さんがお供えをしてて、
一年間で今日しか開帳しないんですよ、
ご縁ですねと声掛けて頂きました。
嬉しい限りです。


6.瀬田唐橋

急がば廻れの、
遠回りした時に渡る橋、
唐橋に着きました。


美しい橋です、
琵琶湖には百足がいたのですね。


琵琶湖はみんなに愛されてます。


スポーツも盛んです。


唐橋を制すは天下を制す、
と呼ばれた橋、要所だったのですね。


橋を渡ると、
京都の町っぽくなってきます。


7.京阪電車と踏切

この辺りから、
京阪電車と何度もクネクネ交わりながら
大津の町中まで進みます。



地蔵盆の提灯。


横道の先に教会。


街道の松並木が二本残ってます。
その隣の工場の敷地内では、
新たに松の木を植えているのが見えます。電子機器のロームさん、
粋な取り組みですね。


踏切の向こうの地蔵の前から、
威勢の良いお経が聞こえてきました。
電車が通ろうがお構いなしの大きな声、
お地蔵さんも嬉しい事でしょう。


川掃除を自治会がやるのですね。


8.縁台付住宅

どの家も使ってませんでしたが、
この縁台に夕方あたりから座っている、
そんな御隠居生活に憧れます。


格子窓も増えてきました。


このポスト、イタズラされてるのかと
思ったらリボンのデザインでした、


綺麗に飾られてます。



9.琵琶湖

途中道から離れて、
、琵琶湖を眺めに行きました。
昔の人もそうしたのでしょうね。


石坐神社、
琵琶湖の龍が祀られています。


この石碑に時計のオブジェが、
なんでしょうね。


文字が美し過ぎて見惚れます。


横道。


久々に見た赤煉瓦、
碓氷峠超えてからみたかなぁ?
イギリス積みですね。




義仲寺、
木曽義仲の本墓がある!
宮ノ越宿にあった義仲館が休館中で、
残念な思いをしたのでリベンジと
思ったらこちらもお休みでした。

松尾芭蕉の本墓もあるそうです。


ショウリョウバッタかな?


レアなお店ですね〜。



テープが流れるのかなぁ。


鰻の寝床の不思議な壁の模様。


10.大津宿

落ち着いた町並みです。
城下町風です。


調べたらお城があったようです。


鮒寿司かぁ、
お腹すいてるけど、
外で食べるわけにいかないし我慢…


定食屋さんでカリカリのカツランチ。


寄り道したアーケードに
車を置かないカーディーラーが、


ミニカーは置いてあります。

近江商人らしいですね〜。




11.小関越

大津からは、
国道1号沿いの逢坂ルートと、
その北側の山間部を抜ける小関越え、
二ルートあるのですが迷わず
小関越えを選びました。


飛び出し坊やがお出迎え。


空き缶を使った飾りは、
長久保宿でよくみました。


いろんな動物が出そうな気配。


土砂崩れ…
坂を昇り切ると、


お地蔵さんがお出迎え。


ここから下り道、
下の方から若い男の子たちの、
うぉ〜、きつ〜い、とか、
大絶叫が聞こえてきます!

あらわれたのは、
ヤンチャな高校生くらいの三人組、

大阪から来ました〜
琵琶湖はまだですか〜
坂はもう終わりますか〜?
たたみかける様に話してきます。

坂はすぐ終わるとテキトーに答えると

ホンマですか〜?
と流石早いツッコミ

嵐のように去っていきました。


なんでこの小関越選んだのか、
聞かなかったことに後悔…。

青春してますね!


今度は江戸までこいよ!


あっという間に麓に降ります。


凛々しいお地蔵さん、
お邪魔しました。


線路が6本、
山の中に上に下に突き刺さってます、
この光景は壮観でした。


逢坂からの道、本線に合流します。


12.京都市山科

京都に入りました、
川を渡る事なく地続き、
急に賑やかになりました。

面白かったのは駐車場のカーナンバー
一斉に滋賀から京都に引き継がれます。


13.京野菜山科なす

この紫の風船はなんだ?
地蔵盆のお供えか?


すれ違った方に聴いたら、
山科なすのPRらしいです。
地蔵盆のお供え物かと思ったら
全然違いました。



こちらは京都の地蔵盆です。
お菓子が備えてある!


五条へのわかれ道の道標。


さぁ三条通りです。


三条通りの隣の旧道に入っていきます。


奥の方に三条通りがチラチラ見えます。


この狭さが昔のままみたいですね。


京阪電車が並走してた頃の記念碑。
30年前に東海道を歩いた時は、
電車が走っていた気がします。


三条大橋の表示が出てきました…


ねじりまんぽ、
螺旋状にレンガをねじって作られた、
トンネルのことです。
道路の反対側にあり、
渡れなくていけない。


建物の雰囲気が京都ですね。


憧れのウエスティンホテル。


白川を渡ります。


区画整理で残された建物、
大きな建物が建つのでしょうね。


14.京三条大橋

到着しました。


東海道の説明があるのこれくらいで、
中山道のナの字もありません。
五街道は江戸が決めたことなので、
あまり感心がないのかもしれませんね。


車の通りもあまり激しくなく、
静かで雰囲気のある橋です。


先輩たちに挨拶して、
草津の銘酒"道灌"で乾杯!


三条大橋に車が走っていない瞬間、
江戸時代はこんな感じだったのか、
妄想が始まります。


落ち着いたので入浴。


再び三条大橋に戻り、
先輩と記念撮影!


日が暮れるまでゆったりしてました。


街を散策して、


京都の好きなラーメン屋さんに、
25年位ぶりかなぁ、
入れて良かった。

新幹線がなくなりそうなので、
帰ります。


ありがとうございました、
中山道!

出発の日は桜が咲いてました、
次は甲州街道を歩きます。


長々とした文章を、
読んで頂きありがとうございました。

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