街道歩き温故知新4 中山道 蕨宿
街道歩きは前に進む事で精一杯。寄り道できず、又来ようと心に誓った場所は数知れず。そんな場所を訪れるシリーズ、街道歩き温故知新。
今回は2021年に中山道を歩き始めて日本橋から二つ目の宿場町の蕨宿。
何も無いと思っていたら、資料館が2つあったり、路上に中山道宿場町の絵が描かれていたり、その時は先を急いで素通りしてしまいましたが、印象深かったので再訪してみました。
2024.10.20
1.下木戸
江戸から向かうと、国道17号から右に分岐するY字路の真ん中に中山道蕨宿の石碑があり、ここより蕨宿が始まります。
木戸がお出迎え。
歓迎されている気がして心地よいです。
関所以外で、宿場町に門や木戸が残されている場所は案外と少なく、記憶に残る木戸は北陸道の越前國と近江國の境、栃ノ木峠にある板取宿。
単調な国道の峠道を歩いていて、退屈していた時に、それは忽然と現れました。
上の画像が板取宿越前側の木戸。
一瞬お屋敷の入口かと思って近づいていくと、板取宿の説明看板がありました。
街道ではなかったら、入るのに勇気がいる木戸の先に石畳が続いていたので、入って行きます。
街道というよりお屋敷にお邪魔する感じでした。
石畳の坂道の左右には、畑があったり、建物の遺構の石垣が残っていたり、往時の街並みを想像しながら歩くことが出来ます。
少し歩くと目の前に驚きの光景が。
なんと茅葺き屋根の民家が現れました。
お伽話の様で、北陸道を13日間歩いた中でも、トップクラスのインパクトでした。
詳しくは、北陸道を栃ノ木峠を歩いた時の記録をご覧ください↓
2.街道愛に満ちた路面
再来週にある様です。
今回で41回目、歴史あるまつりですね。
マンホールも蕨宿。
宿場愛が強い蕨市ですが、ひょっとしたら多くの市民は、宿場町がある事を知らない気がします。
それは中山道が、蕨駅から西に約1.5kmも離れており、昔から住んでいる住民でない限りは、目に触れる事が無い場所にあるからです。
細長い側溝の蓋にもわらび宿と書かれていまました。
3.織物の産地
歴史民族資料館 分館。
機織業を営んでいた旧家が開放されています。
案内の方から、江戸から昭和にかけて蕨双子織(わらびふたこおり)と呼ばれる、2本の洋糸を絡ませて作る織物が流行り、大いに蕨宿は賑わったそうです。
織物の産地とは知りませんでした。
さいたま市の私の自宅から、蕨宿まで直線距離で二里程度なのに、まだまだ知らない事がたくさんありますね。
街道愛が強い宿場町は、その街道の他の宿場町を紹介しています。
蕨もそのひとつで、路面に中山道の街道絵が順番に貼られていました。
いままで街道を歩いてきた中で一番街道愛を強く感じたのは、東海道の土山宿。
街道の街並みが美しい事もさることながら、東海道検定の事務局が土山宿にあります↓
極め付けが伝馬館。
門構えだけでも十分なのですが、館に入る前には、再現された蝋人形付きの建物が何軒か建っています。
館に入り、一階にある圧巻のミニチュア大名行列を見終わると、控えめな階段があります。
二階に上がると、そこには異次元の東海道ワールドが繰り広げられていました。
二階には、東海道五十三次全ての切絵と名産品が展示されています。
圧倒され、もっとゆっくり見たいところですが、先を急がねばならないので、帰ろうとすると、もうひとつ蔵の様な建物がありました。
期待せずに二階に上がると、そこにも驚きの世界が。
五十三次全ての浮世絵とミニチュアが、ひっそりと展示されていました。
これを作るのは本当に大変だったと思います。
伝馬館がある東海道土山宿を歩いた時の記録はこちら↓
4.蕨市歴史民族資料館
前回中山道を歩いた時に入れなかった資料館、今日はゆっくり見学できます。
街道ジオラマ。
ジオラマをみると、宿場町特有の短冊状の区割りの裏側は、畑になっていた事がわかります。
関札。
大名が宿泊する際に本陣などの門前に掲げる札。
大名自身が用意して持ってくるので、これを運ぶ人も大変だったと思われます。
皇女和宮御行列 刷物。
総勢25,000人、前代未聞の大行列だったそうです。
上木戸。
中山道は江戸側が下木戸、京側が上木戸になってます。
三年ぶりの蕨宿、満喫できました。
蕨宿を歩いた時の記録はこちら↓