陸前浜街道9 新地宿→岩沼宿〔完〕
2024.03.14
1.新地宿
新地町は、福島県最北端の町。
相馬市と合併してもおかしくないロケーションですが、火力発電所があるため財政力指数が高く、合併するメリットがありません。
あぶくま信用金庫。
一昨日歩いた浪江町中心部の高野宿、殆どの商店や銀行が閉店している中、あぶくま信用金庫だけが元気に営業をしてました。その時の画像がこちら↓
殆どの商店が営業していない中、「おかえりなさい がんばろう!なみえ」の垂れ幕が輝いていました。
あぶくま信用金庫との出会いの記録はこちら↓
2.田園風景
子どもたちの集団登校とすれ違います。
久しぶりに子どもたちの姿を見た気がして、ホッとしました。
鹿狼山(かろうさん)。
昨夜宿泊したホテルで、おすすめハイキングコースとして紹介されていた山。太平洋の眺めが美しく、御来光が美しいそうです。
牧草ロール。
街道歩きで牧草ロールを目にする事はあまりありません。
奥州道中の栃木県と福島県の県境那須町付近は、酪農地帯なので頻繁に見る事が出来ます。
牧草ロールの白いビニールに包まれる前の姿も見る事ができました。
この付近は北海道を歩いている様な感覚を楽しめます。
詳しい記録はこちら↓
この付近は街道跡が水田になっているので、適当に歩きます。
荒治療院。
痛そうな名前ですが、治してくれそうです。
3.坂元宿
宮城県。
宮城県の街道歩きは2回目になります。
初めて歩いたのは、金華山道を仙台から松島まで。ちょうど仙台で一日だけ時間ができたので、松尾芭蕉の足跡を少し歩いてみました↓
この続き、松島から金華山まではいつか歩くことになると思います。
詳しい記録はこちら↓
幼稚園バスも、久々に見た気がして、ホッとしました。
山元トレセン。
正式名称は山元トレーニングセンター。東京ドーム約9個分、43ヘクタールの広大な敷地に、1,100mの外周コースや、約300の馬坊(厩舎などで、馬を一頭ずつ入れておく仕切り部屋)を持つ、競走馬のトレーニングセンター。
昨年の皐月賞を制した、ソールオリエンスを輩出しています。
ENEOSのガソリンスタンドを、毎回定線観測している理由。
かつて街道輸送の主流だった馬に変わり、自動車の普及と共にガソリンスタンドは、重要なインフラ設備として道沿いに作られて来ました。
街道の歴史と切っても切り離せない関係にあると思うのと、ENEOSの店舗数が日本で一番多く、看板のデザインが風景に溶け込んで絵になるので、定線観測を続けています。
4.新しい常磐線
津波が現在地から400m上流まで遡上したそうです。
市販の街道地図が無い場合、歩く際に愛用している地図が、「日本の街道地図と走り歩き旅」。
全国の教育委員会がまとめた、歴史の道調査報告書を基に、京都市の森塚良郎さんが、1/25,000の地図に、旧街道のルートが100mごとの点で記されている秀逸な地図。
先日その森塚さんが、私がこの地図を利用して街道を歩いてる事をnoteの配信で知り、励ましの連絡を頂きました。とても嬉しかったです。
地図は全国928街道、総延長41,341km、6,678枚の超大作。
気が遠くなる様な作業だったと思われます。
制作するにあたっての定義など、読んでいるだけで感動します。
詳しくはこちら↓
その、街道歩きに使っている、日本の街道地図と走り歩き旅の地図。
東日本大震災前の地図なので、新しい道ができたりする事はよくあるので驚かないのですが、今回はそこには無いはずの常磐線が隣を走ってます?
少し考えたら理解できました。津波の影響でルートが変更になったのです。調べたところ、新地駅は電車が倒れるレベルの大きな被害を受け、線路を内陸に1kmくらい移動しています。
おでんの自販機。
よく見ると、
ハシがなくてもだいじょうぶ!こんにゃくの串を使ってお召し上がりください。
と説明されてます。
5.山下宿
街道から海の方面は、平屋建の新しい住宅地が広がっています。
江戸浜街道の石碑があります。
江戸から街道を歩き始めると、その街道の名前は終点の地名が多いのですが、終点に近づくと、江戸街道になります。
水戸街道と川越街道がそれにあたりますので、その時の画像を紹介します。
川越宿では江戸街道の起点となる地区の昔の町名が江戸町でした。
美味しそうな魚屋。
ご近所に欲しいですね。
常磐自動車道。
水戸から陸前浜街道を歩き始めて、常磐自動車道と初めて交差しました。
水戸街道でも一度も交差してないので、江戸を出てからでも初になります。
田園。
人気店の様で、なかり賑わってます。
シンプルなベンチですが、目を惹きます。
現代の街道歩きがもっと市民権を得るためには、道沿いにはどんな工夫が出来るのか、時々考えます。
一里塚を今更作る事は困難かもしれませんが、一定の間隔でベンチを置く事は、敷地の地主さんの許可が必要ではありますが、ハードルが低く街道歩きと親和性が高い気がします。
このベンチを見ていて、ふと思いました。
神額(しんがく)とは、神社の鳥居や拝殿の正面に飾られている額。
二の鳥居の神額は、山の形をしていて、右から左に向かって横書きで日吉神社と刻まれています。
拝殿本殿も一の鳥居と同じ朱色。
この階段は降りるのが怖かったです。
葦でできた塀は珍しいです。
ありそうで無いですね。
珍しい塀といえば、奥州道中喜連川宿に、"寒竹囲い"という笹を生垣にして竹で形を整える塀がありました。
当時の城主が、板塀は製作保善がが大変なので、寒竹囲いを推奨したそうです。
丁度お手入れをしていたる家主の方がいましたが、見る限り4件しか残っていませんでした。
6.亘理宿
亘理宿。
観光地でも無いのに、こんなにたくさんの昔の建物が普通に残っている宿場町は、なかなかありません。
亘理城の北の端である下木戸にて、亘理宿の中心部も終わりの様です。
観光客向けの店はありませんでしたが、陸前浜街道で一番楽しい宿場町でした。
先程から強烈な風が吹き始めました。
昨日の向かい風とは異なり追い風、少しは楽ですが、前から来る学生2人は自転車が進まなくて大変そう。
幟旗が千切れそうです。
すれ違った学生が気になり、ふり返ったら自転車を押してました。
居抜き物件。
陸前浜街道では、居抜き物件の定線観測を行ってきました。びっくりするようなパターンがあったりしましたので、別の街道レポートで、まとめようと思ってます。
電車まで時間がなくなって来ているのに、ついつい寄り道をしてしまいます。
忙がないと…
阿武隈川堤防。
かなり高く川幅も結構ありそうです。
テンションが上がってきますね。
陽が傾いて来ました。
この時間の空の色が好きです
そして陽が落ちた頃には、陸前浜街道を歩き終えて帰路の電車の中にいる事でしょう。
いつもなら、次はどこの道を歩こうか、考えながら歩くのですが、今回は何も浮かんできません。
こんな時もありますね。
阿武隈川の渡しの跡が、跡形もないのが残念でした。
7.岩沼宿
阿武隈川。
立派な大河になってました。
というのも、今から約4ヶ月前の11月に、奥州道中を白河宿から歩いた時に、橋の上から阿武隈川をぼんやりと眺めていたからです。
四方を山に囲まれた白河盆地から、この川は一体どこまに向かって流れて行くのだろうか?
歩道が凍る橋の上で調べたところ、岩沼市から太平洋に注がれる事を知って、小さな感動を覚えていたのです。
あの時の小さな川が、太平洋に注ぐ前でこんなに立派に育っている。
この、川の成長を我が子のように喜ぶ感動は、中山道の木曾川でも感じていました。
中山道を江戸から歩くと、奈良井宿の西、鳥居峠を越えると木曽川と出会えます↓
水面は深緑色の鏡の如く、静かな流れです。
中山道で一番と言っても良い名勝、木曽の桟(かけはし)。
上の画像奥の石垣は崖っぷちの中山道の為に整備された石垣。本来は道路の下に隠れてしまうのですが、柱で見える様に演出してあります。
木曽路らしい風景です。
こんなに立派になっていました。
中山道の記録で、最も木曽川が美しかった日の記録はこちら↓
これにて終点。
目印となる遺構は見当たりませんでした。
奥州道中は、白河から三厩550~600㎞が残っています。この道を歩くのはいつの日になる事やら。案外と早いかもしれません。
竹駒神社にお参りしたかったのですが、ヨークベニマルで帰りに愉しむ酒を買っていたら時間が無くなってしまい、鳥居をくぐれず。
最後の最後に駅まで走る事に・・・・。
新幹線で帰ると3時間、ひたち号で帰ると5時間。
9日間歩いて来た道のりが名残り惜しいので、迷わずひたち号に4時間20分揺られて帰ることに。
さて、次はどの道を歩こうかな?
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