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動物嫌いなおじいちゃんは犬のご飯を手作りする

おじいちゃんは台所にいる時間が長い。

私たちにご飯やおやつも作ってくれるけど、
おじいちゃんは犬のご飯も作る。

おじいちゃんの家では2匹の犬と1匹の猫を飼っていた。

大きい犬はジュディー、小さい犬はチロ、猫はピッピ。
ジュディーは短毛の雑種で中型犬、
チロはたぶんウェストハイランドホワイトテリア。
ピッピはおばあちゃんが家の近くで拾ってきた。
数匹子猫がいたけど、ピッピだけが生きていたみたい。
私が出会ったときには、グレーのしましまと
白いふわふわの毛で覆われた、でっかい猫だった。

私は動物が大好きだけど、子供だったし、
その3匹は少し怖かった。
ピッピはザ・猫という感じの性格で、
たぶん子供の甲高い声は大嫌いで、よく引っ掻かれた。

その3匹を飼う前にもいろんな動物を飼っていたらしい。
よく動物園に連れて行ってくれたし、
私の動物好きはおばあちゃんの影響がかなり大きいと思う。

週末の夕方、おじいちゃんは台所に立っている。
私の育ったマンションのキッチンという感じではなくて、
台所という感じ。
壁に向かって鍋をぐつぐつするスタイルで、
壁には磨りガラスの窓がある。

犬用のシルバーのお皿に鍋からよそう。
キャベツみたいなのが入ってて、他は何が入ってたか忘れたけど
いい匂いで、正直美味しそうだった。。。

犬たちはドライフードも食べていたけど、
おじいちゃんがゴハンをよそって冷ましていたのもよく見た。

でもおじいちゃんは動物が嫌いだったらしい。

お正月には親戚が応接間に暖房を付けて、
お寿司を食べて、大人たちはお酒を飲んで話して、
子供たちは親が子供の頃に遊んでいた
ボードゲームを引っ張り出して遊んでいた。

応接間に出禁のピッピは、普段はそれを理解しているのか、
応接間に扉が開いていても入ってこない。

でも、お正月は別だった。

となりのダイニングからピッピの鳴き声が聞こえてくる。
「にゃーん」

きっとピッピは自分を人間だと思っているので、
仲間に入れてほしいんだと思う。
でも、扉が開いていても、手前で鳴いて入ってこない。

完全に出禁であることを理解しているピッピ。
でも、そんなピッピをおばあちゃんが応接間に入れてしまう。

おじいちゃんは嫌そうだった。


おじいちゃんは「げんこつ飴」も手作りした。

私はおじいちゃんが作っていなかったら、げんこつ飴を知らないと思う。
げんこつ飴はきな粉がまぶしてある飴なんだけど、
顎がおかしくなりそうなぐらい硬い。
市販のやつがそんなに硬いかは知らない。
ちなみに、これは人間用ね。

げんこつ飴が私が覚えているおじいちゃんの味。
レシピなんか聞いてるわけない。
どうやってあんなに硬く作ったのか知らない。
おじいちゃんがいつお母さんかお父さんに
渡してたのか知らないけど、
家の冷蔵庫にいつもげんこつ飴の瓶があった。

おじいちゃんとおばあちゃんは2人とも小学校の先生だった。

でも違う学校だったから、
おじいちゃんが車でおばあちゃんを送り迎えしていたみたい。

プリンセスみたいなおばあちゃん。

おばあちゃんのほうが年上で、性格はチャキチャキして、
笑う時はめっちゃ大声。
おばあちゃんは「かしわ」とか「なんきん」とか
普段私の周りでは聞かない古めの方言をよく使ってた、
お寺の家のがっつり関西人。

おじいちゃんは、静かに話を聞いてくれた。
お酒が入るといつもよりよく笑う。


もう10年ぐらい、おじいちゃんは記憶の中の人だ。

今思うことは、おじいちゃんは尊敬する人のひとりだということ。
大好きな人だということは、
ずっと昔からこれからも変わらないけれど、
それとは別に一人の人間として、
見習いたいところがたくさんあることに気が付いた。

おじいちゃんはさっきも書いた通り、
たくさん話すタイプではない。

それに、感情を表にたくさん出すわけじゃない。

それでも、大切にしたい人にそう思ってることを伝えていた。


言葉にすること、ハグしたりするのも
とても素敵だと思う。

でも、そうじゃない方法もあるんだなって
おじいちゃんの丁寧なところを思い出すと、
そんな風に思った。


週末はよくおじいちゃんの家に行った。

帰りはかならず、
外まで見送りに来てくれる。
妹と私は車の窓から、
おじいちゃんとおばあちゃんとさよならの握手をする。

ふたりは車が角を曲がるまで、ずっと手を振ってくれた。


ちなみに猫のピッピは、私がおじいちゃんと過ごした時間より長く生きた。
いとこが動物看護士で、最期はたくさんお世話してくれた。
別のいとこは学校の先生。
孫たちはおじいちゃんとおばあちゃんの影響を
受けまくっているみたい。。。

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