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意外過ぎた『シン・仮面ライダー』の爽快感(いろいろ増補)

『シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース』の最新作『シン・仮面ライダー』(脚本・監督:庵野秀明)を観てきました。

お手並み拝見

先週の公開直後に「賛否両論」という記事もありましたが、過度な期待は抑えてお手並み拝見と軽い気持ちで劇場に足を運びました。

シリーズ発端の『シン・ゴジラ』(2016)が邦画の常識を何かと覆す実写作品でしたが、その期待値で観た『シン・ウルトラマン』(2022)は「わりと常識的だな」となり、そして今回の『シン・仮面ライダー』は「なるほどなるほど、うんうん、邦画ですよね」という感じで、脳が受け止めました。

おそらく、前作までの流れや原典との比較で語りたい批評筋には確実に不評だろうなと。
それはよくわかります。

考えるな、感じろ

しかし断言しますが、『シン・仮面ライダー』はエンタメ作品として実に心が躍る作品です。

余計なことを考えることなく堪能すれば、見終えた後に爽快感に満たされます。
そして「これぞ、The 東映」という言葉が浮かんでくるような作品でした。

「いちいち考えるな、感じるんだ」という作品なんですね。
その意味では、3作品で最も映像を楽しめた作品だったかもしれません。

ひとまず鑑賞を終えて帰宅し、最もググッと来たシーンをiPadで描きながら心を鎮め、なるべくネタバレ抜きで振り返ってみます。

空想科学不足

ゴジラ・ウルトラマン・仮面ライダー共通のキーワードとなるのは「空想科学」です。
この言葉で括ってしまうと、本作は3作品では最も前段の説明に欠けています。

この動画からわかるように唐突に物語が始まり、あっという間に仮面ライダーが登場し、流出血という形で圧倒的なパワーを見せつけます。

この後も世界観への導入は、断片的なフラッシュバックと緑川博士(塚本晋也)の説明で済まされます。

ひとまず本郷猛(池松壮亮)が仮面ライダーになることさえ理解していれば、わかりにくいことはありませんが、好事家の貴兄は手術シーンの割愛など、この序盤で早くも不満噴出と察します。

リアリティ不足

そして『シン・ゴジラ』で喝采を浴びたリアリティの描写については、「空想科学」同様に皆無です。

ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーと、関わる組織人はどんどん少なくなり、『シン・ゴジラ』における最大の特徴だった現実の組織描写は消えました。
その代わり、ひたすらバイクで移動するロードムービーのような展開となります。

特にほとんど唯一と言っていい組織SHOCKERの描写には、組織独特の縦の流れは見られず、監視役というか立会人(ケイ/声:松坂桃李)がいるものの、特に干渉もしないまま、ただ報告するのみです。

このSHOCKER、その目的は、創設者(松尾スズキ)の出資で開発された世界最高の人工頭脳「アイ」が導き出した「人類の幸福の実現」です。

ただ、その手法が我々一般市民が考えるものでなく、中の人である緑川ルリ子(浜辺美波)が「地獄」と例える代物であったため、仮面ライダーを代表とする人類が倒すべき組織となります。

SHOCKERのオーグメント(原典における「怪人」)による実行手段には、細菌感染、直接的な殺害、洗脳などがありますが、警察や自衛隊員が大量に駆り出されるわけでもなく、なんとなくこじんまりとした局地的な戦闘が続きます。

そもそも戦闘の基本が等身大でのマンツーマン肉弾戦なので、こう書かざるを得ないのですが、さもつまらない映画のようですね。

好事家たち(当然僕も含む)が『シン・ゴジラ』の魅力として挙げたのは、アップデートされた現代でなぜこのコンテンツが現れ、人々がどう対処するのかというシミュレーションが描かれていたことでした。

『シン・ウルトラマン』では思考する宇宙人という設定にそもそもリアリティがなく、当然人類側のカタルシスは不足したことから、その点が批判対象ともなっていました。

それに次ぐ『シン・仮面ライダー』は、施術によって人ならざるものになった元人間同士が戦うわけですから、リアリティの追求に意味が微塵もないんですよね。

原典の知識は不要

実は僕自身、原典は何度も観ているものの、ゴジラやウルトラシリーズほどの思い入れはありません。

それゆえ定番の原典ネタについては、冒頭の「三栄土木」、1号ライダーのケガの仕方(左脚)と、一文字隼人(柄本佑)の「お見せしよう」、前述のケイがまさかのあのキャラ、という程度しか気づきませんでした。
知ってても知らなくても、ストーリーの把握にはまるで影響しませんが。

それより、本作を観ながら思い浮かべたのは、むしろ平成ライダーシリーズ第一作『仮面ライダークウガ』との共通項でした。

原典と同じ名の本郷猛が持つイノセントな存在感は、『クウガ』の五代雄介(オダギリジョー)みたいだなとか。
「プラーナ」ってなんか「アマダム」みたいだなとか。
政府機関や情報機関といった公僕が常に主人公の近くにいるなとか。
「改造人間」「怪人」「世界征服」という言葉は今どき使わないんだなとか。

本郷猛も五代雄介同様、暴力の行使に躊躇するナイーブな性格ですが、プラーナとマスク連動によって闘争本能が最大限に発揮されるという理由づけで、いちいち戦闘が中断することはありません。

設定の巧拙を論じるつもりはなく、その葛藤を語りたいならずっと『クウガ』観てりゃいいじゃん、と割り切るべきところだと思います。

背負わされたもの

こうして『シン・仮面ライダー』では、原典と比較したりテロップを追いかけることもなく、純粋に目の前の映像に没頭することに至りました。

その結果、目がウルウルしたり血が熱くたぎってしまうという、過去の『シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース』にはない映像体験をすることになります。

いまや巨匠作だけあって、本作では豪華な俳優陣に目を奪われますが、主役となった池松壮亮さんと浜辺美波さんの演技がとにかく見事。

あのシーンは泣かせるよ、ずるいもんなあ。
記憶を呼び起こしてバナーに描くほどでした。細かい間違いは見逃せよ。

さらに柄本佑さん演じる一文字隼人のありようが素晴らしい。

ルリ子に洗脳を解かれ、マフラーを掛けられる際の号泣ぶりから、過去に相当大きな絶望に苛まれたことが想像されます。

それが何だったかは全く説明されませんが、一文字の表情と、その後「仮面ライダー2号」を名乗ったことだけで充分です。

さらに物語の最後に背負わされたものは本郷の比ではないのに、あの前に向かう強さと明るさ。
これぞヒーロー、マジ優勝です。

The 東映感

サイクロンによる疾走シーンを見終えて劇場を出た時、ついつい肩で風を切って歩いてしまいました。

そう、カンフーものとか、仁義などを観終えたオッサン気分になれたんですよ。
「あ、これぞ、the 東映じゃん!」と思ったのはまさにそこ。
家族で一緒に、あるいはカップルで楽しむ東宝作品とは一線を画します。

ひとりでひっそり観て静かにエキサイトして席を立つ、あの独特の東映感が、『シン・仮面ライダー』には色濃くあるのです。

繰り返しますが、本作の醍醐味は「論じるより感じろ」です。
まさか『シン』作品を観て、こんな気分で劇場を後にするとはなあ…意外でした。

映画ならではの快感をを楽しめる人に、ぜひ堪能してほしい作品です。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。