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「百済から渡来した応神天皇」石渡信一郎

応神=百済の王子・昆支(こんき)説を唱える石渡信一郎氏。これはそのまんまのタイトルです。この辺の話のときに(是非共に)引用されがちなので、何冊か目を通しておくと良いかも知れません。

百済と日本の関係と言うのはよくわかりません。同一王朝説から、主従関係まで「諸説あります」。石渡氏は本書で、互いに独立した国家としての「倭」と「百済」を想定し、百済→倭に「入り婿」する形で来朝した人物が王位継承した、という立場をとります。

ただし該当の倭王朝は加羅から渡来した人物(祟神)が開いた、とする説をとっています。崇神朝期は考古遺物が豊富であり、大きな転換期があったことは推測できますし、違和感のない説だとも思います。

石渡説には賛否あるとは思うのですが、この時期の日本と朝鮮半島が、交通と通信の発達した現在よりもはるかに強い結びつきがあり、往来が頻繁にあったということは様々な立場の研究者の指摘するところです。

歴史的に注意しないといけない視点である一方で、この辺の話を調べているとき、現代に生きる我々が「どうしてこうなった」という思いにとらわれることも少なくありません。

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