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「縄文時代の商人たち」小山修三+岡田康博

三内丸山遺跡を中心に、糸魚川地域など他地域との「交易」が存在したのではないか、という仮説のもと繰り広げられる対談。

この本を読んでいたときに、「(縄文時代に)実際にあったの?」と質問をされたことがあったのですが、考古学上は「同種類の遺物が複数地域から発見される」ことから、「人の移動があった」ことは証明されても、「専業の『商人』が存在していたことの証明」は理論上不可能、という回答しかできません。

同種類の遺物、という意味では、例えば糸魚川産のヒスイというのは糸魚川産であることの特定が可能なので、それが出土する地域への糸魚川からの移動があった、ということは証明が可能です。

そういった、複数地域で共通の品物が流通するようになると、それが共通の価値尺度になります。いわば「貨幣」のような役割を果たすわけですね。ヒスイがそうである、という特定までは現状できませんが。

本書では、考古学的な資料を中心にして、アボリジニなどの交易に対する文化人類学的な考察を交えながら、「縄文時代の交易」がどんなものであったかを推測しています。

本筋ではないけれど、修験について少し触れているところもあって、修行が成人儀礼に通じるようなものである、というようなことが書かれています。これらの話の中ですから、縄文時代から続くようなものが根底にあるんじゃないか、というようなニュアンスなんですが、熊野地域の祭祀なんかを見るとそんなこともあるかも知れません。

縄文時代というのは、意外と航海技術が発達していたというべきか、それとも気合いで動いてたのかよくわかりませんが、とにかく人がよく動いているようです。縄文土器が(北米の陸路を経ずに)突然南アメリカから現れる、というようなこともあり、縄文時代に日本→南アメリカへの船での航行があった、という可能性も示唆されています。古代史を考える上で、縄文人の「移動能力」というのは考慮に入れないといけない、ということがよくわかる本です。

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