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お金に対する価値観

手渡された契約内容に表記されていたのは、私が希望するよりもずっと低い金額でした。
瞬間、ガクッと落ち込む自分の気持ちとやるせなさ。
と、同時に怒りすら湧いてくる。

私、この程度の仕事しかしてないですか?
御社の基準に照らし合わせるとこの金額レベルの業務はどのくらいになりますか?
まくし立てたい気持ちをぐっと抑えて内観してみる。

自分の「価値」だと思うから

私の価値なんて、こんなものなんだ。
仕事ぶりはこのくらいしか、評価されていない。

金額はすなわち自分の価値という方程式が成り立った状態で悲観的にならざるを得ない。
だがしかし、強く感情が動くところにはなんらかのコダワリが隠れている可能性が高い。

がっかりしたのは提示された金額が自分の価値だと思ったから。
自分の価値を高く見積もっていることのほかに、自分の対価としてのお金には価値があると思っている。
つまり、価値を図るものはお金であるという絶対的なお金に対する価値の重みを感じている。
この物質社会では貨幣は確かに価値のあるものとして通用している。
だけど、それって本当に価値があるものなのかな?

お金の価値を疑ってみる

今後もし、世界政府の樹立や世界通貨の発行があったら日本円が価値を持たなくなるかもしれない。
銀行封鎖があったとしたらたとえ現金を持っていても無用の長物となることだってあり得る。
その瞬間にお金は価値を持たなくなるというシュミレーションをしてみる。

更に「価値」=「幸福」を前提に考えてみる。

昨今の環境の変化によりリモートワークが進みオフィスに行かなくなり、都心に集中していた人口が郊外に流れ出すという予測がされているこの頃、幸福の意味が変わりつつある。
自宅で家族と過ごす時間を大事にし、自分を慈しむために時間を作り、便利さよりも気持ちがのびのびする自然のある環境を選び、モノのある豊かさより心の充足感に幸福の軸足が移ろうとしている。

言ってしまえばこの環境下でお金の値崩れが起こりつつあるとも捉えてもいい。

この先求められる価値あるものとは

だとしたら、自分の対価(具体的には労働の対価)として得るべき価値のあるものは何なのか。
私の中の答えとしては「実績」でした。
「実績」を持った人間が放つ言葉、影響力、仕事を動かす力は「実績を持たない」人の比ではない。

金額交渉は可能。でも間違いなく面倒くさいことこの上ない。
泥試合の果てに自分の希望を勝ち取るパワーなんて私にはありっこない。
「実績」を得ることのほうがよっぽどスムーズにいくだろう。

幸福の概念がお金から自分の時間を持つことへシフトしていく中でもう一度自分の求める価値を見直す。
人によって価値あるものは別。
それを手に入れることにより幸せと感じるか?自分が豊かだと思えるか?
その点をもう一度見直したい。

そして金額を提示された時に自分がどのように感じるか。
再度気持ちを確かめる機会が来ることを楽しみにしている。

#ゆたかさって何だろう


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