変わらないもの
私の地元は田舎と都市のあいだくらいである。(と思っている)
地方都市のベッドタウンとして開発された団地である。
だから、都市というには緑が多いし、田舎というには住宅地すぎている。
20年ほど前に私は会社を辞めて地元に帰ってきた。
正しくは会社をクビになって地元に帰らざるをえなかった。
新卒として何とか会社に滑り込んだ社会人1年生は、あまりに仕事ができないので2年ほどで会社を辞めることになった。
それまで高校、大学、社会人と順調に進んできた私は何にもやることがなくなった。なんとか、地元を、実家を離れたくて、出てきたのに。
私の実家の目の前には公園がある。子どもたちは「キリン公園」と呼んでいた。キリンはいない。そんな遊具もない。
トイレと鉄棒とブランコしかない公園で、地域の夏祭りや運動会が行われるくらいの広さの運動場がある。そして、それ以上に広い小山がある。
私たちは小学生の頃、その公園で、山でよく遊んでいた。小学校で禁止されていた秘密基地なんかも作ったりした。
台風など強風が吹く日は、公園の木々が風で揺れるのを眺めたり、夜布団に入っては木々のざわめきを聞いていた。
そんな子どもの頃を過ごした公園と山をぼーっと眺めていると、
「自然はあの頃と何も変わってない」
ということに気がついた。
あとから振り返ると私は傷ついていたのだろうと思う。
社会から「お前は不要」というレッテルを貼られた。
そんな気持ちになっていた。
私はそんなになってしまったが、自然はあの頃と変わっていない。それが何となく「受け入れられている」というように感じた。私がどこへ行っても、どのように変わっても、地元の自然は変わらずそこにある。
結局20年近くそこで過ごして、それからまた実家を出て一人暮らしをすることになった。それでも時々、キリン公園を実家から眺めている。