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地元を探して

思えば長い間地元を探していたように思う。

岡山から九州、そして岡山へ

大学は熊本へ進学し、福岡で就職して、また熊本へ転勤した。
6年近く九州に住んでいたが、どこかで「地元じゃないしな」という思いがあった。

そのあと、岡山の実家に戻って10年以上生活する。
そこは確かに地元だけれど、「〇〇さんちのシス岡くん」という感じで、親の地元で生活させてもらっている感があった。

地元を飛び出して地元探しへ

「居心地が悪いわけではないけれど、このままではダメだろう」と一念発起して実家を飛び出して、今は岡山市北区奉還町というところに住んでいる。

この奉還町というのは、縁があった不動産屋さんに紹介してもらった。
2度ほど一人暮らしを計画したのだけれども、3度目の正直で飛び出した。

貯金は少ししかないので家賃を抑えてもらうしかない。とにかく安いところをお願いしたら、2つ物件を紹介された。色々といいところはあったのだけれど、決め手になったのは住所だ。
例えば、住所が岡山市北区奉還町〇ー△ー□だとしたら、私の生年月日が〇年△月□日だったのだ。

えっ!それだけで?と思われるかもしれないが、それだけで私の覚悟は決まった。この部屋に住もう、と。

生きるという不合理

今は合理性が求められる世の中だけれども、何もかもが理で説明できるわけではない。むしろ生命力の働きは不合理であることが多い。

こんなどうでもいい数字の組み合わせて覚悟を決めることができる。
多分、合理的に一人暮らしをした方がいい理由を考えていたらいつまでも前へ進まなかっただろう。
実際、一人暮らしを始めた時のゴタゴタで給料は大きく下がり、私の収支はどう頑張ってもジワジワ赤字になっている。それでもやると決めたらやるのだ。

生きるとは数字を積み重ねることではなくて、その時の情熱だと思う。

何も無いところから始める

そろそろ引っ越してきて3か月になる。
できるだけ荷物を少なくして引っ越してきたという話はした。

最初は炊飯器も包丁もなかったので、レンチンのご飯パックと紙皿にキャベツと豆腐をのせてドレッシング、インスタントの味噌汁ばかりだった。

多分、どこかで「もしかしたらこの一人暮らしは失敗するかもしれない」という思いがあったのかもしれない。失敗したら実家へ戻るしかない。そのためにはできるだけ荷物を少なくしておく必要があった。

ここを地元とする

それが徐々に物が増え始めている。例えば今日はゴミ箱を買った。
今までは20Lのゴミ袋をそのままぶら下げていた。さすがにちょっと臭ったり見た目が悪かったりしたので、ゴミ箱を買ってきた。

こういう風に物が少しずつ増えてきているのは、自分の中で「ここを地元にする」という覚悟が決まってきているのかもしれない、と思う。

多分、あと40年くらいはここで生活しようという覚悟が決まりつつある。

静止力

そういう話をしていたら、「静止力」という本を勧められた。

ある地域を「地元」として、自分が住んでいる地元をより良くするためにその地元の「名士」として蓄えるべき力を、静止力として説明している。

ここに住むと覚悟を決めた。3か月様子を見て物を増やし始めた。
多分、私は静止力を高めようとしているのだと思った。

この地元に拘らないのであれば、私は好きなように自分勝手に生きていけばいい。何かトラブルがあれば、別の場所に引っ越していけばいいわけだ。

それを手放そうとしている。それを手放して、地元に拘って、きちんと生活しようとしている。

およそ40年間ずっと地元を探していた私は、今ここを地元にできるだろうか。できればあと40年はここで暮らしていきたいな。

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