手応えがないことをやっていく
こんばんは、ほぼ毎日プッシュアップをやっているシス岡です。
あ、昨日は忘れてそのまま寝てしまいました。
何かをした時に、手応えはあったほうがいいでしょうか。「やったぞ」「できたぞ」みたいな、手応えがあるとやりがいも感じられるかもしれません。
でも、手応えがないもののほうが大切ではないかと思うのです。
個人的に手応えとはフィードバックではないかと思います。つまり、やりすぎているパワーが自分に戻ってきていることが手応えなのではないでしょうか。やればやるほど手応えは返ってくる。でも、それはやりすぎているからかもしれません。
ちょうど適切なパワーを出して、適切に伝えられていればフィードバック、手応えはないはずです。
例えば、ドアノブをつかんで、回して、ドアを開ける、という日常動作に手応えはないはず。それはドアノブを回してドアを開けるために適切なパワーを出して、ドアノブに伝えているからです。
だいたい3年くらいプッシュアップをやっています。時々「プッシュアップをやっていて、変わったことありますか?」と聞かれますが、あんまり分かんないです。手応えがないので。
手応えを求めて50回とか100回とかやってしまうと、達成感と疲労感はありますが、それを続けていこうという気持ちは無くなってしまいます。
手応えがないこと、手応えがなくても続けられることを、続けていくことが大切なのではないかと思います。
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