早生まれは大人になっても不利か

今日ぼーっとTwitterを見ていると「早生まれの不利は大人まで続く」という記事を見つけた。早生まれの子供は同じ学年の遅生まれの子供に比べ、認知能力と非認知能力がともに低い傾向にあるのだという。それに対し親御さんが目につきやすく対策のしやすい認知の応力の向上に偏重した教育投資をすることでスポーツや趣味などを楽しむ時間も減り、非認知能力が育ちにくくなる可能性を示唆していた。

私は4月1日の早生まれである。なんなら学年で一番早生まれである。

この記事のことを見ると3月生まれまでのことしか書かれていないため私の立場が消えてしまったというか、私が存在していないみたいな気分になった。すみません大げさに言いました。

早生まれの当事者として思い返すと私、個人の感じ方では、小学校低学年2年生まではクラスの中でもそれなりに勉強も楽しくできて、休み時間も外で遊んでいた気がします。ですが3年、4年と中学年、5年6年と高学年になるにつれて主に算数。算数で理解力がなかったように思います。端的に申しますと、5年生になったときにやっと4年生のことが理解できるといった具合でした。また自主学習のノートもさすがに高学年に上がるころにはドリルなどの勉強をしていましたが1年生のころから教科の勉強ではなく本を読んでそれについて考えたことや、調べた植物や動物などのスケッチ、生態などを書いていたように思います。これは早生まれと関係なく「個性」なのかもしれませんが。

しかし私の場合理解力はほかの人よりも少なかったのは事実です。これが早生まれ全員に当てはまるとは思いません。現に早生まれでも遅生まれでも、勉強のできる子、スポーツのできる子、独特の感性を持つ子など様々です。私は勉強のわからないところを誰にも聞くことができなかった、何がわからないのか理解できなかった。そのせいであまり学習面での成長がなかったように思います。ですからもし、自分の子供が学習面やスポーツで躓いていたらどこまでできるのかという部分に注目して教育投資をするべきだと思います。塾に通わせてもほかの人と比べられ、「塾にいっているのに」あまり点数が取れないとその子の努力が足りないせい、早生まれのせいだと思われたり自分自身で感じたりしてしまうでしょう。そうならないためにもその子が何を求めているのかに注目し伸ばすところは伸ばし、支援してあげるところは慎重に丁寧に行えれば苦しい思い、早生まれを悔やんだりはしないでしょう。

早生まれは劣勢種であるかのような記事でしたが、ほかの人と比べ、比べられるせいで誰よりも努力家で、負けず嫌いなところがあるそんな人だと思います。一番やってはいけないのは「早生まれ」のラベルを付けてできない理由を「早生まれだから」にしてしまうことではないでしょうか。私も一年遅れて理解していましたが大学に入ってしまえば右も左も同じようなレベルでした。おそらく社会人でも新入社員の持っている知識や経験には幅があるでしょうがその会社で覚えることのスタートラインは一緒です。そこで自分に合った学習方法をみつけることこそが有利に動けるかどうかの分かれ目だと思います。

まあ教職課程にいるからこんな風に教育的な目線で話してしまいました。ちなみに私はあまり努力してこなかったので興味のある部分で他の人より得意な部分もあればそのせいで不得意な部分もありますけどほかの人に頼ったり教えてもらったりすることでカバーできているので早生まれで嫌だったなと感じることはあまりないですね。もうここまで来てしまったらもっといい高校に行けたとしても同じような大学に入学していたかもしれないですし、はたまたもっと下の大学にいたかもしれません。もう後のこと悔やんでもきりがないというかしょうがないというか。ポジティブに考えるとこれからの努力次第でも人は変われるってことですね。(着地点がわからなくなった)

とりあえず子供を育てるときはその子の目線に立って早生まれだとか遅生まれだとか障害の有無にかかわらず接してあげられたらいいんだなと改めて思いました。

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