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レジリエンスな人・・・「赤毛のアン」を読んで。

「赤毛のアン L・M・モンゴメリ著 村岡 花子 (翻訳)」を読んだ。
とてもよかった。
昔、子供たちがアニメで観ていた。
そして彼女たちは、今でも「赤毛のアン」が大好きだ。

当時子供たちに付き合って、一緒にアニメを観ていた。
何となく観ていただけなので、内容をしっかり覚えていない。
今回たまたま電子書籍のお勧めとして載っていたので、読んでみた。

まず小説全体の雰囲気が、とても優しく明るく軽やかだ。
その一つは、アンが前向きで誠実で素直で明るいところにあると思う。それと常に描写されるグリン・ゲイブルスやアヴォンリーの美しさである。また登場人物も色々なタイプが登場するが、総じて素朴で誠実な感じだ。

私はすっかりアンのファンになった。だから2回も読んでしまった。
どうしてこれほど、アンに魅力があるのだろうか。

アンの素晴らしいところの一つは、今をしっかり生きようとする●●●●●●●●●●●●●ことだ。
彼女は、グリン・ゲイブルスに着いた早々、最悪な事実を知る。それは、マリラやマシュウが、本当は男の子を引き取ろうとしていたのに、女の子のアンがやってきてしまったこと。そして彼らは、女の子は引き取るつもりがないという事実である。それを知ったアンは、辛く悲しい一晩を過ごす。翌日、美しいグリン・ゲイブルスの朝に魅了されるが、まだ元気になれなかった。午後、マリラがアンを連れて、男の子を依頼したスペンサー夫人のところへ、事情を説明に行くことになった。
馬車で出発早々、アンはこんなことを言う。「あたし、このドライブを大いに楽しむことに決心しました」と。

これがアンの真骨頂だ。彼女はどんな未来が待ち受けているとしても、いつまでも悩んだり不安がったりせず、今この時をしっかり体験し、生きようとするのである。何と素晴らしいことであろうか。

道すがらマリラに促され、アンは自分の生い立ちを話すことになる。
彼女の生い立ちは、結構ハードである。
けれど彼女の話には、暗く陰湿な雰囲気が感じられない。彼女は過去を淡々と話すだけだ。当時の大変さや辛さを話すところはあるが、単に「そうだった」というだけである。それぞれの預けられた家庭の事情について自分なりに解釈し、結果としてそうならざるを得なかったのだと受け入れている。そう、アンはいつもこのスタンスである。

過去をいつまでもくよくよ考え悩む人は多い。自分も過去にそんな経験がある。しかし、いくら悩んでも後悔しても恨んでも、変わらないのだ。過去に縛られ囚われてしまい、今を台無しにして生きることは、もったいない限りだ。そんな無駄な生き方をするより、未来に希望を持ち、今この瞬間をしっかり感じながら生きたいと思う。

この物語の中で、彼女はたくさんの失敗をする。
リンド夫人への暴言事件、紫水晶のブローチ紛失事件、イチゴ水事件、お化けの森の想像事件、塗り薬のお菓子事件、髪染め失敗事件、小舟沈没事件等々。アンは普通にたくさん失敗する。そしてその失敗の結果、色々な騒動が起こる。そしてマリラやマシュウやその他関わる人たちから、叱られたり注意されたり批判されたりする。決してアンだけが悪いわけではないが、アンは他人を非難したりすることはない。それに失敗したことに、卑屈になったり委縮したりすることもない。彼女は関わる人たちの指摘をしっかり受け止め、素直に反省する。そして、自分なりにそれらを消化吸収し、二度と同じ失敗を繰り返さない。すべての経験からそれぞれの意味を見出し、問題の解決策を検討し、決断することにより、自分自身を成長させるのである。

現在の日本社会に生きる多くの人々は、異常に失敗を恐れる。役所・教育機関・大企業等、失敗を恐れるあまり指示待ち状態に陥る人たちでいっぱいだ。失敗して批判を浴びるぐらいなら、指示されたことだけをやればよいと考えている。これでは、何の成長も発見も発展もない。どうしてこのようになってしまったのであろうか。もっと失敗を寛容に受け止められる、余裕や空気感が必要な気がするのは、私だけであろうか?

彼女には、素晴らしい出会いもある。「マシュウ」や「マリラ」との出会い、腹心の友「ダイアナ」との出会い、良きライバルとなる「ギルバート」との出会い、アンの成長を願う「ミス・ステイシー先生」との出会い等々。
みんな素敵な人たちである。
アンはこのグリン・ゲイブルスを愛し、このアヴォンリーの村を愛する。この美しい小川や丘を愛する。そして彼らを愛する。彼女は自ら、人や自然を愛するのである。
アンは与える(giveする)人だ。他者に「自分を愛してほしい」とは、基本的に考えない。だから彼らは、アンを愛するのかもしれない。
私は一生懸命頑張っている人を見ると、涙が出る。人は懸命に生きる人を、応援し励まし愛するのかもしれない。

我々の周囲には「もらうことばかり考えている人●●●●●●●●●●●●●●」がたくさんいる。あぁしてほしい、こうしてほしい、愛してほしい、何とかしてほしいと。自分は要求し嘆くばかりで、何もしない。自分の希望が叶えられなければ、怒り落胆する。
アンは他人に求めることをしない。彼女が欲しいと思うなら、彼女は自分の努力でそれを勝ち取るのである。それは、クイーン学院の入学試験もそうだし、クイーン学院での成績もそうだ。

アンは孤児として生きる中で、自分で解決する能力を身に着けたのかもしれない。他人へ依存するということを覚えなくて済んだのかもしれない。自分の望みを自分で見つけ、それに向かって生きる術を学んだのかもしれない。親の望みに振り回されるような過干渉を受けることなく、その結果「レジリエンスな人●●●●●●●●」になったのかもしれない。

マシュウが亡くなって、アンは最終的にマリラと一緒にグリン・ゲイブルスで暮らし、アヴォンリーの村で教師になることを決断した。そして、ギルバートとも仲直りをした。

長い人生の中で、人は断念せざるを得ないこともあるだろう。しかし未来の選択を、自分自身で判断し決断することが重要なのだ。そして選択した道をしっかりと認識●●感じ●●生きることを、彼女から教えられる。

どうか、素晴らしい人生を歩んでほしいと願う。

追伸:「レジリエンス」について興味ある方は、以下の本も面白かったので読んでみては如何でしょうか。

『どんなことからも立ち直れる人 逆境を跳ね返す力「レジリエンス」の獲得法(加藤諦三著)』

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