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400回記念(言ってみただけ)

いつもの通り、パソコンを起動してnoteのサイトに来ると「400回投稿達成」というバッジがもらえました。

記念と言っておりますが、大した心の高揚もなくこの記事を書いています。

でもバッジを見た瞬間には「そうかぁ、400回かぁ」とほんの少しだけ「よくやったな」と思えた自分がいました。

これまでに僕が書いてきた記事の内容というのは、とても統一性がなく、その時に感じたことやモヤモヤしたことを中心に何度も何度も懲りることなく、同じようなことを書き連ねてきました。読んでいただいている方にとっては「こいつまた同じことで悩んでるよ」と思われていたに違いないし、僕の投稿を楽しみにしてくれている人がどの程度いるのかも全くわからないから、正直始めたときに「記事を書いてお金を取れるようになる」とかよくわからないプロ願望とかがありましたが、それもだんだん薄れていき、ただの日記と化した媒体へと固定されていきました。

でもその中には成長が見られたり、通りかかった誰かが読んでくれたことにより、その方に少しだけ突き刺さるような内容のものを書いてこれたのかなという感情もあります。

これまでに僕が400回も継続できたことを考えてみました。寝るとか、食べるとか生きるための活動のほかに400回も継続できたことなんて無いんじゃないかと思います。お気に入りのパン屋だって、ラーメン屋だって400回も通ったことはありません。コンビニだって400回も行ったことはない。ジムも400回は行ってません。つまり、40年生きてきた僕の人生の中で「400回継続」という記録は初めてなんです。

僕が自分の意思で勝手に始めたことなのに「ちょっとだけ褒めてほしい」という気持ちもあります。逆にいろんな人が見にきてしまって、僕という人間の矛盾や考えが知られてしまう可能性があることに恥ずかしさも感じています。わがままですね。

僕がnoteを始めた理由を考えてみました。noteを始める前もブログをやってみたり、mixiというSNSが流行ってた頃には、友達に誘われてなんか書いてたような記憶もあります。文章を描きたいという欲求は、先ほども書いたように自分の中にある汚い感情の塊だったり、世の中に対する怒りやイライラといった、極めて自分勝手な動機に偏っています。始めたときは「人気になったらどうしよう」とかワクワクしてるくせに、あっという間に飽きたり、別の媒体で同じような投稿を始めたりして、いつのまにかその媒体で投稿をしていたことすら忘れてしまう。

文章を描きたいという欲求そのものは昔からありました。たぶん友達が少ないことが要因のひとつだと思っています。誰にもぶつけることのできない感情を、どこかに吐き出すために書いている。でも日記に書いているだけでは吐き出し足りないから、顔の見えない誰かに向けて「どうか僕の気持ちを知って!」という願望が入っているのが、僕がネット上で文章を書いている理由です。

でも年齢を重ねてくると、同じような悩みを持っている人ってたくさんいるんだなぁとか、自分のことを許してあげられる機会が増えてくる。「これはこうでなくてはならない」という経験の少なさからくる思い込みのようなものが心を支配して、身動きが取れない。その「こうでなくちゃならない」に向かって走り、うまくいかないことが書きたいエネルギーにもなっていた部分が小さくなっていくのを感じます。

結局歳を取ると、自分の体や心の健康に意識が向かい、社会的に自分がどうであるか、どうみられているか、どう生きるべきかという部分の悩みが小さくなっていくのを感じる。もちろん新しい年齢の悩みも出てきて、生きることに対する「悩みの重さ」が減っているわけでもないよなぁとぼんやり考えることもあります。その全てを書き出して、棚卸して理解するだけのエネルギーは今の自分にはない。難しいですね。

悩みのない人生が良いなぁと思うことがあります。悩みというのはストレスとイコールです。より良い選択をしたいのに、目の前にある情報では自分の思うような結果を得られない可能性が高い。じゃあどうするか?人間はその少ない情報を頼りに「一番損が少ないと思われる選択」に向かって思考をしがちです。生きることってこれの連続ですよね。100か0かという判断ができる人ももちろんいます。でもほとんどの人って51:49で49は損するかもしれないけど、この判断ならちょっとは得が上回る(かもしれない)からこっち、というような「考えてもどうしようもないこと」で悩みがちです。天秤にかけて悩んで悩んで、最終的に決められないだけのこともたくさんあります。逆にその壁をあっさりと超えていく人もたくさんいます。そういう人の方が人生は楽しいんですよね。「あはは、失敗しちゃった」とか言って笑っている。

それで良いんですよ。

そうやって悩んできた回数だけは400回を超えるかもしれません。キラキラしてるように見えるSNS上の誰かの人生を羨ましいと嘆いたり、世の中のみんなが享受している幸せが何一つ手に入らないと自分の人生を責めたり、そういった誰かと比べて自分だけ落ち込んでる状態を上げたらキリがありません。

一回でも多く「人生最高!」という投稿をしていきたいですね。

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