楽しかったはずなのに、の1日
前の事務所の同僚と酒浸りツアーへ行くことになりました。還暦近いおじさんで、上野に詳しい人がいて、その人に案内してもらいつつ男4人で出かけました。
そのうち、酒好きな2人は集合時間より早くきて、0次会をするのだそう。え、だって1日飲み続けるんでしょ。そんなに早くから一軒目始めちゃって大丈夫なの?そんな心配はお構いなしに、LINEにどんどんジョッキとツマミの写真が送られてきます。僕と後輩の2人はあらかじめ予定していた集合時間に到着します。
「おそいよー」
すでに出来上がってる2人。一人の先輩はニコニコしているだけですが、案内役の還暦近いおじさんは顔が紅潮し、明らかに酔いが回っているのがわかりました。集合したの11時前ですよ。つまりこのおじさんたちは朝の10時くらいから飲んでることになります。
よろよろしながらおすすめだという飲み屋さんをはしごします。でも行く先々で「あっちのほうがうまかったなー」とか「お会計こんなシステムだったっけ?めんどくせえなぁ」とか還暦おじさんが大声で言うんです。最初はまぁ酔ってるんだなとか思っていましたが、3軒続くとその口の悪さが鼻につくようになりました。自分の中で「これはあそこがうまい」という情報を持っているからこその発言だと思うのですが「みんなで飲むのは楽しいね」とか、店を出てから「次来ることがあったら、今度はあっちの店にしましょう」という提案でいいじゃないですか。
飲んでる最中も気分が良かったのか、同僚の悪口ばかり言うんです。そもそもお前そんな仕事できねーじゃんとかこちらは思っているのですが、お構いなしに「俺はあいつが気に入らねえ」みたいなことを延々と語るんです。僕は「なんとなく酔ったらめんどくさそうな感じはしてたけど、ここまでとは」という後悔を感じ始めていました。そしてどの店もおいしくて安いんですよ。それだけでこちらは十分なんです。
何軒か飲んで、電車で移動することになりました。おじさんはベロベロになっています。千鳥足で看板に頭をぶつけたり、ドラマや漫画に出てくる酔っ払いのイメージそのまんま。「おい!酒がねえぞ。まだまだ行けんだろ?見ろよ、あの女の尻最高だよなぁ。声かけてこいよ」と絡んできます。完全にその女性にも聞こえてるんですよ。あからさまに嫌な顔をしているのもわかる。ああ、しんどい。僕は距離をとって「ほらほら、やめましょう」とか言ってたんですが「なんだよ、やんのかぁ?」と僕につっかかってくるようになりました。脇腹をパンチされたり「やめろやめろ」と苦笑いしながら突っぱねてたんですが、いきなりヘッドロックされて頭を振られて、気持ち悪くなってしまうのと同時に、瞬間的に怒りのスイッチが入りました。
次の瞬間、僕は駅のホームでそのおじさんをぶん殴ってしまいました。
一発ではありません。数発です。
たくさんの人が行き交う中で、乗り換えのためホームの階段を降りるところでした。周りの人は「なんだなんだ」という視線を投げながら階段に消えていきます。東京ではよくあることなんでしょうか。
僕はしばらく怒りが収まらなかった。そのままおじさんは「ういー」と階段をよろよろと降りていく。後輩が酔っ払いおじさんの後ろを介護のようについてくれています。僕は一緒の先輩に「すみません」と謝ります。「きっと記憶ないよ。自分が何したかもわかってないと思う」と言われた。僕は40年生きてきて人を殴ったことがありません。殴り合いの喧嘩もしたことがありません。だって勝てないし。でもあまりにも周囲にも、僕自信にもストレスになるようなことを平気でしでかす人間に我慢ができなかった。そしてこんなにも簡単に怒りのスイッチが入ってしまう人間なのであるという現実を受け入れるのに時間がかかりました。
でもおじさんは何事もなかったかのように「行くぞー」と言っている。僕の右の拳には血豆ができていた。殴り慣れてない人間がいきなりパンチしたのだから当然です。ただ僕が痛い思いをしただけか。殴ってしまった自分に対するショックと、おじさんにダメージを負わすことができなかった、腕力の弱さにもショックを受けました。
そのあと、少しおじさんは静かになりましたが結局「もう一軒行くぞー」と暴挙極まりない発言と行動を繰り返し、最終的には電車の中で寝てしまった。
これくらい自由で周りのことを考えずに人生送れたら幸せだろうなぁということを、帰りの電車でずっと考えていました。「オレは寿司でもラーメンでもまだまだ食える!お前も行くだろう?」と最後まで僕を煽ってきましたが「お前が決めろ」と言われたので、かぶせ気味に「解散!」と叫びました。みんなと解散しても気持ちが収まらなかったので、僕は乗り換えの秋葉原で散財してやろうとヨドバシカメラに入りました。新しいスマホとかゲーム機とか買っちゃおうかな。10万くらいガツンと使いたい気分だ。しかし何も欲しいものがなかった。
でも右の拳を見るたびに、数時間経過している怒りが沸々と湧いてきて収まらないのを感じる。お店を出ると、横にビアードパパというシュークリーム屋さんがありました。甘いもので頭を落ち着かせよう。列に並んで、一番高そうなシュークリームを購入。うーん。そうか。おいしいシュークリーム屋さんのカスタードって優しい甘さなんですよね。ギトギトに甘いクリームを想像していた僕に取っては逆に物足りない。これじゃダメだ。
そのまま近所の飲食店を検索しました。すると近くに富士そばがある。うん、これが良い。それに喉も渇いた。お冷もあるしお腹も満たせてバッチリだ。そのまま通りを渡って券売機の前へ。一番ボリュームのありそうなセットはどれだ?上から天丼とかカツ丼とかお腹に溜まりそうなメニューが続きます。
よーし。よーし。よ、よーし…
あれ、天丼?重たいな。カツ丼?ちょっと無理だな…
急に胃袋が「オレ無理っすよ」というメッセージを送ってきました。これじゃあもりそばになってしまうじゃないか。何かセットでご飯ものだけど、今の状態でも食べられそうなやつを。あ、そうだカレーがあるじゃないか。カレー…次の機会にしよう(笑)そしてネギトロ丼のセットという、極めて優しいメニューで決着するのでした。
そばを食べながら「オレはまだまだ食える」と豪語していた、おじさんのことを考えました。もう自然に頭に浮かんでくるのだから仕方ない。気が済むまで考えよう。そして今の還暦前後の人って本当に元気だよなと改めて思ったのです。そういえば若い頃はバブルがあって、不景気なんていう言葉が「なにそれおいしいの?」と言われる時代を生きてきた人たちなんですよね。そうやって社会が豊かになってそれを享受してきた世代の人は、なんとなく「自分が時代に翻弄された」という、物心ついてからずっと不景気な時代を生きてる自分たちとは人生観も全く違うんです。豪快で、野蛮で、下品。でも本人は楽しそうに人生を送っている。
そうやって時代になんの不安も持たないまま歳を取りたいなぁ。でもそれって僕たちの世代ではものすごく自分勝手で贅沢な思考なんだよなとも思った。
もちろん全ての年代に豪快な人がいて、繊細な人がいる。世代でくくるのはとても良くないことなんだろうけど、享受してきた時代の価値観というものは、どうやっても心の奥深くの人格形成に影響を与えるものであると感じています。
今度は一人で行ってみよう。
一人でも行けそうだ。そう思わせてくれる店を紹介してくれたことには感謝をしたいと思います。まだ血豆が痛い。
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