歌声は作った その3

歌声を作る話のつもりが、僕の身の上話になっています。

大学生になると更に聞く音楽の幅は広がり、そのぶんいろんな声にハマります。中でも大きい影響は、くるりとフジファブリック(志村期山内期とも)です。実際プレイヤー(ボーカリスト)としてのスタイルで影響を受けるのはここ2つなんですが、その前にミュージシャンとしての精神的な変化がいくつも起きます。

大学の軽音楽サークルでまずベースを弾くことになった僕は、B'zのコピーバンドに入ります。B'z歌えるボーカルいるんだ!とその段階で「大学って広いな」みたいなことを思っていました。笑
そこのボーカルとは同じ学部学科だったんですが、いきなりそのスタイルにびっくりします。とにかく稲葉さんリスペクトの声作りをしていました。ハードロック直系のハイトーンを武器に肉体の限りを尽くして歌うような。とにかくその稲葉浩志という一つのスタイルに寄せていこうとする、似ようが似まいがそれを研究する、っていう彼のやりかたにかなりびっくりしたのを覚えています。

僕の感覚として、それはありえないんです。いや稲葉さんのスタイルをコピーしてるのもすごいけど、君は稲葉さんではないよね、っていう。当時の僕は「いい声の人だなぁ」と思ったらそれ以外のいい声になろうとしていました。だってそこにはもう確立されたスタイルの人がいるし、真似したって追い付けっこないから、別のルートを探そう、っていう発想です。

いま思えば、ひとつのスタイルを細かく研究して真似ていくっていうのは、音楽をちゃんとやろうとする上ではすごく大事な態度ですよね。が、僕はそこで真似してみようコピーしようというよりは「まあこういう人もいるんやなぁ」「こーやってどハマりする人もいるのがB'zのスゴいとこやなぁ」みたいな、あんまり関係ないことを考えていました。それよりもB'zの曲のベースがムズいのなんのって、、そっちのほうが大変でした。

さて、B'zのコピバンでベースがそこそこ弾けるようになった僕は、先輩に誘われてBlankey JET Cityのコピーでベースを弾くことになります。一方また別の先輩が、くるりとフジファブリックを主にやるバンドを組みます。そこで初めてくるりとフジファブリックを聴くことになるんですね。20歳のときです。くるりの「ばらの花」がやたらいい歌で、ほんとにすぐTSUTAYAで借りました。

原曲を聞くと、くるり(岸田繁)はかなり淡々とひょうひょうと歌っていて、当時「うまいボーカルというより良い歌ってなんだろう」と思っていた僕にとっては革命的で、これは良い、これだ、と思いました。アナログなサウンドながら、力まず、いうなればヒューマンエラー?が起きないように、冷静に仕上げる歌声。あんまりメロディの良さとかにピンときたことのない自分でしたが、これが「良い歌」なんだ、と何かを直感した感じがありました。

淡々とした歌い方のくるりに何かを直感した私ですが、同時にフジファブリックのことも大好きになっていきます。つづく

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