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脳の血管が爆発した話

ごきげんよう。
整形の後編を綴る前に、とんでもないことが起きたので先にそっちをエピソードを供養します。

8月21日。その日も暑い日だった。会社での昼休みにいつも通り楽しく談笑しながらおじさんズと食後の一服をしていたら、首の後ろ側が攣ったみたいにピーン!と固くなった感覚と共に結構な痛みが広がってきた。ジワジワと後頭部に広がりながら増していく痛みと若干の吐き気。これは強さも種類も経験したことがない頭痛だ…何かがおかしい…。
そう考えた私は閃いた。

熱 中 症 だ ! ! !

そういえば事務所内にいることもあってあまり水分をとってなかった気がする。そうだ、これが噂の熱中症なんだ。とりあえず頭が痛すぎる。気持ち悪い。無理せず帰ろう。帰ってポカリ飲んで寝よう。

頭痛的に自分で車を運転して帰れる自信がなかったため、両親に会社まで迎えに来てもらい早退した。あまりにも子供部屋おばさんすぎるが緊急時にそんなことは言ってられない。

迎えを待っている間ワキに保冷剤を挟んで塩分タブレットを舐めて1番涼しいエアコンの効いた部屋で上司と談笑をしていた。頭は痛くてもそれくらいの元気とユーモアの余裕はまだ残っていた。

親が到着し、帰り道にコンビニでポカリを買って無事に帰宅した。
帰りの車内で横になろうとしたら、座ってる時に比べて10倍くらい頭痛が強まってなんだこれ!?と不思議に思って座り直した。

ポカリをがぶ飲みしてリビングのソファで横になって回復を待ったが、頭痛は良くなる気配もなく吐き気は増していく。頭の中で大工が家でも建ててるのか?ガンガンうるせえよいい加減にしろ。

熱中症の頭痛の場合、頭痛薬は飲まない方がいいとインターネットは言っていたが、耐えられず飲んだ。

そしたら5分後に昼飯ごと全部吐いた。

吐いた瞬間に頭の中で何かが爆発した感覚があった。本当に何かが痛みと共に弾けた感覚。この世のものとは思えない頭痛が一度だけドカーーーーーーーーーン!!!!!!!と来た。

頭いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とトイレで叫んだ。多分軽く100dBは出てたと思う。そこから立てなくなってトイレの床から動けなくなった。

「救急車呼ぶよ!」と母が言い、父に体を支えてもらって廊下に寝た。

そこからは記憶が曖昧なのだが、一つだけはっきり覚えている。

私は家ではTシャツとパンツ丸出しで過ごしている干物が故に『まずい、このまま運ばれたらご近所の晒し者になってしまう…!』と思い最後の力を振り絞って「た、短パン…短パン持ってきてええええ!!!」と叫んだ。そして寝ながらも自力で履いた。ここで安心したんだろうな、そこからはほぼ意識不明になったよ。
私って意外と羞恥心とかそういう一般常識的な感覚まだ残ってたんだ…と後から感心。

救急車内での記憶は全くない(一応呼びかけには応答したり手足動かす指示も問題なくできてたらしい)んだけど、病院について慌ただしく検査に回されようとしているところで一度目が覚めた。

私は軟骨含めて割とたくさんピアスをしていて、外し方が少し特殊(ネジ式)だったため看護師さんたちが「これどうやって外すの〜!?」って困っていた。外さなきゃ!と思って「これ、回すの、回すの………!!」と言いながら自分で外そうとした記憶だけがある。そこでまた意識がなくなったから多分誰かが外してくれたんだろう。お手数かけて申し訳ない。

次に目が覚めたのは次の日の午前10時頃だった。
頭がテープで覆われ、その中から真っ赤なチューブが伸びていた。

目覚めて1番最初にした自撮り。
我ながら現代人だな、と感心した。



どういう状況?以外の感想が浮かばないし、髪の毛は血でベトベトに固まり、ただただ頭が痛かった。

そのうち看護師さんがきて「目覚めたんだね!」と嬉しそうだったけど、その後言われたセリフがこれ。

「右側頭蓋骨ないからね、絶対右向いちゃダメだよ!」

そんなことある?
今時の熱中症って頭蓋骨失うの?
てか人間って頭蓋骨ない状態で普通に動いたり話したりできるの?
私の頭蓋骨どこにあるの?冷凍保存?

「勝手に起き上がったら頭の中身が管から全部出ちゃうから絶対1人で起きあがっちゃダメだからね!」

何それめちゃくちゃこわくない?
脳でちゃったら全部アウトじゃない?
そんな怖い管早く外した方が良くない?

衝撃的すぎて普通にウケちゃったんだよな。
オモロは全てを凌駕する考え方、自分の好きなところの1つであるんだけど。

その後少しして主治医登場。
いやまってイケメンすぎる。まんま高橋一生やん。顔が高橋一生の脳外科医?ドラマ?医龍??どっかに坂口憲二もいる???
またしても1人でウケてしまった。愉快な人生だな。


先生「くも膜下出血だったんだよ」

私「死ぬやつじゃん!!!」

心の声がノータイムで出た。脊髄反射。
だってそれ死ぬやつじゃん。
急死する原因日本代表じゃん。
てかそもそもじいちゃんばあちゃんがなるやつじゃん。

「危ないところだったんだよ」と淡々と話す先生。
全く実感のない私。
ただただ痛い頭。

というわけで

『熱中症だと思ったらくも膜下出血だった件』

俺ヨエー!の物語。


とりあえず私が生き残った要因としては、
・無理して自分で運転せずに迎えを呼んだ
・実家で親と同居していた
・年齢が若くて脳にハリがあったため、血が広がりづらかった
・出血してから搬送されるまでの間に少しカサブタができて一時的に出血が減った
・くも膜下出血のオペがすごく上手な先生がいる病院に運んでもらった
・その先生が外来等を終えてちょうど手の空いた時間帯に運ばれた

等々の奇跡が重なった結果だそうです。
出血箇所が左右逆だったら、言葉が話せなくなっていたんだってさ。
今年は年末ジャンボ買お。

でもね、命助かって良かったね!めでたしめでたし〜だけでは終わらないのが脳卒中。

完全に元気になった今だからこそ生きてて良かった〜って思えるんだけどね、本当に正直な気持ちを話すと、

術後1週間は『死んだ方が楽だった、そのまま苦しまず死んでしまいたかった』と毎日思っていたよ。

その理由は一つ。

頭痛。

人生において、寝る以外なにもできなくなるレベルの頭痛って経験したことある人たくさんいると思う。

それが24時間毎日つづくの、1週間以上。

こめかみに釘をトンカチで打ち付けられているみたいなガンガンと、目の奥をスプーンで削がれるような抗えない痛み。

現代の拷問?と思ったよマジで。
看護師さんたちの優しさがなかったら、余裕で気が狂ってた自信ある。うつ病まっしぐらだよ。

痛み止めももちろんある。でも4時間に1回しか摂取できないのに、効くのはいいとこ1時間程度。痛み止めの種類によっては効果無。
もしかして実は死んでて地獄行きじゃったのか?ワシは…

もちろんご飯なんか食べられるはずもなく、首に極太点滴されて、栄養流されてさ。
ハヤシライスの日楽しみにしてたのにどんなに頑張っても3口くらいしか食べられなくて。情けなくて。悔しくて。ハヤシライス食べたくて。少し泣いた。

本当に耐えられない日は夜中にワンワン泣いて、看護師さんに背中をさすってもらいながら励ましてもらったよ。看護師の仕事は本当に偉大だよね。神様だよ。患者さんと毎日向き合って生きる力をくれる看護師の方々は本当に全員幸せな人生を送ってほしい。生きる希望をくれてありがとう。

リハビリ担当の子たちも若いのに本当に立派で、「絶対良くなりますからね!無理せず頑張りましょうね!」ってみんな元気づけてくれて。

医療機関で働く人たちがあまりに全員尊すぎるよ〜〜〜!!!!!!!!!

そんなこんなで2週間経つ頃にはだいぶ頭痛も落ち着いて、普通にご飯も食べられて、元々脳にも身体にも後遺症はなかったこともあって頭蓋骨がない以外は普通の人間っぽい生活ができるようになって。

ちなみに頭蓋骨がないとベッドにいる時以外はヘルメット着用が義務付けられてて、検査に行く時にヘルメットかぶって車椅子乗せられてる変な人になってた。これから病院でヘルメットかぶってる患者さん見たら『頭蓋骨ないんだ…!』って思って優しくしてあげてね。

そして最初の手術から2週間後…

先生「そろそろ頭蓋骨戻すよ」
私「コッッッッッッッワ…」

私の右頭蓋骨は戻ってきた。
術後目が覚めた時の感想は「頭イッッッッッッテ!!!!!!!むり!!!!!!!」
今度は内部の痛みよりも物理的な傷の痛みが大きかったように思う。
一度くっついた傷をまた切り開いたから…?

せっかく初回の拷問期間を乗り切ったのに、また振り出しに戻るのかよ…と絶望だった。

が、その日は辛かったけど2日後くらいには1日3回痛み止め飲むだけで快適な日々を送れるくらいにおさまった。本当に良かった……………………………

そこからは平和な入院生活で、暇だしご飯は素材の味だし色々不自由はあったけどつらくはなかった。
看護師のみんながいてくれたから、楽しかった。

朝ごはんにパンケーキが出た時は「詰め所にこんなものあったよ!入れてきてあげようか?!」ってカフェラテいれてくれた看護師さん。

「リハビリがてら一階の喫茶店行きませんか?」とか、「頭のリハビリに一緒にナンプレしませんか?」と誘ってくれて毎日一緒に過ごした看護学校からの実習生ちゃん。

1人で買い物行けるようになって歩いてたら「あ!〇〇さんが1人で歩いてる!元気になったね!よかったねぇ!」と喜んでくれた看護師さんたち。

リハビリの時間、運動しながら恋愛相談してくれたり、お互いの男への愚痴でたくさん笑った理学療法士さん。

麻酔なしで傷のホチキスを取るって聞いてびびってたときに「怖かったら手握りに来てあげるから呼びな!」といってくれた看護師さん。
「応援の看護師さん呼んで!」と言ったら「応援?そんなのいらないよ」と言い放つと同時にもう針を取り始めてた高橋一生。意外と痛くなかった抜針。

全部本当にいい思い出。
病気になったのは良くなかったけど、人からの優しさをたくさんもらえて良かった。

結局1ヶ月の入院を経て無事退院。
今はみんなに心配されながらも完全に仕事も復帰しています。後遺症も皆無。傷跡は厨二的にはかっこいいので気に入っています。

私はそもそも高血圧でもなく(むしろ朝に弱い低血圧)、お酒も月一回飲むか飲まないかだし、実家で比較的バランスの良い食事をとっているし、慢性的な頭痛持ちでもなかったので、自分の頭の中にそんな大きい動脈瘤ができている可能性すら考えたことがありませんでした。

私は独り身なので入院したりもし死んでしまっても困る人は少ないですが、自分に子供がいたとしたら…と考えたらゾッとしました。

若い人は特に自分の脳をわざわざ高いお金かけて検査しようなんて思わなくて当たり前だし、私もそうだったけど、特に大切な家族がいる人は1度検査してほしい。脳ドック受けて欲しい。

会社の簡単な人間ドックだけじゃ足りないんだよみんな!!!わかった!?約束な!!!!!

手術した側はしばらく目が腫れる

以上、脳が爆発した話でした。
命をありがとう。



※↓やや傷跡注意↓※




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