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昭和のラーメン

私の好きなラーメンは,鶏がらスープの醤油ラーメンと縮れ麺です.ラーメンや日本蕎麦の話になると,話したいことが色々あるので深入りせずそれは別の話にします.
ここでは,東京の笹塚にある福寿というラーメン店の話をします.福寿が開店したのは昭和30年頃で,私が通っていた笹塚小学校の1年下の学年に福寿の子が転校して来たのでよく覚えています.地域グループが同じでしたのですぐ友達になりました.現在の2代目店主は,その子の兄さんの小林克也さんです.鶏がら醤油ラーメン縮れ麺の福寿は,ラーメン好きの私の原点の味です.現在の福寿は,昭和レトロそのものの建物と雰囲気を守り,映画のロケにも登場するし,ラーメンが支那そばと呼ばれていた時代の昔ながらの味を伝えています.現在の福寿の実地レポートは,スズキナオさんに詳しいです.

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この2枚の写真は,上記スズキナオさんから引用しました.

第一の写真(店のたたずまい)は,店の外観が良くわかります.先代のときと全く変わっていませんが,先代のときは外に原動機付自転車がたくさん並んでいたことと,「日本一の中華そば」という上り旗があったところが違います.ラーメンを食べるとどんぶりの底に「日本一」の文字があるのは今も同じです.

第二の写真にある大釜や店内の調度品は,昔のままでまるでレトロ博物館のようです.竈のまわりにある暖簾の「天人常充満」の字をご覧ください.これは先代のときからあるもので,たいへん懐かしく感無量です.

現在は,2代目の店主が一人で,先代の父親の店をそのまま続けています.先代の方針や調理場,昔の味を,そのまま残すことに意義を感じているようにみえます.スズキナオさんも国宝級の東京ラーメンと書いていましが,明治村や伝統芸能のように父親から受け継ぎ貫き通す生き方を感じます.昔から安くて美味しいラーメンを提供されています.

売り上げをあげることは眼中にないようで,お客の入る昼時をさけて,13時頃から開店しスープのなくなり次第閉店(定休・火)というマイペースの営業です.スズキナオさんのインタビューに次のように答えています:「年とったよ。昔は素早い動きでやってたのにさ。1時間に60人も相手にしてやってたよ。5時間でラーメン300杯」.これは,父親の大繁盛している店を引き継ぎ,40歳50歳のころのことでした.その頃は芸能人もいろいろ来店していたようです.

私が知っている福寿は,笹塚に開店した昭和30年のころのことです.福寿はすぐに驚くべき大繁盛の店になりました.先代の店主と奥さんはたいへん元気な人で,大きな窯でグラグラ湯を沸かし麺を茹で,店中大変な湯気が充満していました.10人近い店員もいて,原付自転車もたくさんあり出前にとびまわっていました.おじさんはよく気の付く愛想のよい人で,私たち小学生が友達と食べに行くと焼き豚をおまけしてくれました.

その頃,私の家では来客があったり何かあると出前を頼みました.私の家には電話はありませんから,私が言い使って出前注文に走って行くのです.ラーメンが美味しいのですが,母は配達してもらう手間に気をつかって五目ラーメンを頼みます.ラーメンは日本蕎麦よりごちそうでしたが,特別な来客のときには寿司の出前を注文に行きました.電話がありませんから私が駆けつけて注文するのです.福寿への注文ばかりでしたので,たまに寿司屋に出前の注文に行くと,うっかり「支那そば・・・・」と口走ってしまった笑い話があります.

私は日本蕎麦が大好きですがその話は別の話とします.昭和30年代の日本蕎麦の出前は,せいろやどんぶりを載せたお盆を積み上げて,片手で支え,もう片手で自転車のハンドルを操作するまるで曲芸のようです.福寿のおじさんは最先端好きの進取の性格で,自転車の荷台に取り付けるこぼれない当時珍しい岡持ちを採用していました.やがて原動機付自転車はオートバイに変わりました.

現在は,鶏がら醤油ラーメンのジャンルでも,開発競争が激化し,それぞれに美味しい店があります.往時の福寿の雰囲気のある下北沢の珉亭はお勧めです.このラーメンのジャンルでそのほかにもお勧めしたい特徴のあるお店はありますが,この辺で止めておきます.最後に,私の田舎の佐野ラーメンは美味しいです.ただし,麺は喜多方ラーメンのような太麺です.


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