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英アート誌はトマトスープ事件をどう取り上げたか? 「ジャスト・ストップ・オイル」活動家への『frieze』誌インタビュー抜粋
アート誌の編集長、環境活動家にマイクを向ける
先日英国ナショナル・ギャラリーに展示されていたヴァン・ゴッホの油彩画《15本のひまわり》に缶入りのトマトスープがかけられるという事件があった。スープを投げつけたのは環境保護団体Just Stop Oil(ジャスト・ストップ・オイル)のメンバー2名。ふたりはその後、瞬間接着剤でみずからの手を絵の下の壁にひっつけ、「より価値があるのは芸術か、それとも命か?」と訴えた。
一連の様子はGardian紙の記者によって撮影され、瞬く間にSNS上で拡散されていった。この動画は現在(2022/11/20)、590万回近く再生されている。
“What is worth more, art or life? … are you more concerned about the protection of a painting or the protection of our planet and people?”@JustStop_Oil’s activists explain their action pic.twitter.com/mGNZIO6RbK
— Damien Gayle (@damiengayle) October 14, 2022
この事件/アクションがあってから、日本の各種媒体の論調(たとえばNHK)やツイッター上の感想を見ていたんですが、まあ評判が悪い。「トマトスープがもったいない」というお門違いなものから、「彼女たちが着ているTシャツの塗料にも石油化学素材が使われている」や「そんなやり方じゃあ誰からも理解を得られない」といった、まあそうねえと思わなくもないようなものまで内容はさまざまだが、トーンは総じてネガティブ。
とはいえ、意外かといわれるとそうでもない。SNS上でのヴィーガンに対する異常なまでの拒絶反応や、沖縄の座り込みに対して吐き出される貧しい言葉を考えれば、いたって馴染みのある風景だ。「環境保護」×「アクティビズム」というだけでも格好の標的なのに、まして今回は、みんなが愛する“芸術”が汚されたのだから――。リアクションは推して知るべし。
かたや英語圏のメディアに目を向けると、諸手を挙げて賛同とはいかずとも、自分たちの感想をただ吐露するのではなく、アクションを起こした本人たちに取材し、かれらの主張や行動の意図を伝えているんですね。
たとえば『frieze』。この世界有数のコンテンポラリー・アートとカルチャーの専門誌は、自分たちがメインに扱う芸術作品が標的になったにもかかわらず、ナショナル・ギャラリーでの事件/アクションのわずか5日後に、スープを投げたふたり(アンナ・ホーランドとフィービー・プラマー)のインタビュー記事をいち早く掲載した。聞き手は同誌編集長のアンドリュー・ダービン。記事の導入部では、次のように読者に問いかけている。
「芸術作品に与えられている保護が、地球に住む大部分の人びとには与えられないのだ。なぜ私たちは棄損された絵画のことになると、すぐに嫌悪感を覚え行動を起こすのに、荒廃した世界だとそうしないのだろうか?」
以下は、インタビューの抜粋。
『frieze』編集長によるJust Stop Oilインタビュー
アンドリュー・ダービン:なぜ抗議の舞台にアートを使うのでしょうか?
アンナ・ホーランド:アートは文化的に大きな価値があるものだからです。だからこそ結果として、人びとがようやく私たちのメッセージや要求について話し出したわけです。これまでにも、3,300万人がパキスタンで発生した黙示録的な洪水により被災し、東アフリカでは3,600万人が飢餓によって困難な生活を余儀なくされています。しかし、二人の若者が絵にスープを投げつけただけで、人びとはかつてないほど気候危機について話すようになったのです。
フィービー・プラマー:それにこのような美しいアート作品を使うのは理に適ってもいます。人びとはアクションを目撃して、「この美しくて価値あるものを守りたい」と直感的な反応を示したわけですよね。じゃあなぜ、石油産業が地球や人類に与えている破壊に対しても同じ反応を示さないのでしょうか?
アンドリュー:《ひまわり》がガラスで保護されていることは元々わかっていたようですね。ゴッホの絵をターゲットに選んだ理由は? ほかの有名絵画も候補にあったのでしょうか?
アンナ:当初はアンディ・ウォーホルの絵にスープを投げようと考えていました。純粋にメタの観点から。ですがフィービーのいったように、とても美しく象徴的なゴッホの絵が適していると判断しました。ゴッホ自身は無一文の芸術家でした。借金を背負いながら生きて、そのまま死にました。もし彼が今日の現〔英国〕政権下に暮らしていたら、この冬、食べるか家を暖めるか(eating or heating)の選択を迫られる人びとの一人になっていたでしょう。
フィービー:ゴッホはこう言っています。「何も挑戦しない人生にどんな意味があるというのか」。彼だったら市民的不服従や非暴力の直接行動の必要性を理解してくれるんじゃないでしょうか。絵画はガラスの下に保護されていますが、目下グローバルサウスでは数百万もの人びとが保護を受けずに生活しています。将来の世代は保護されていません。若者である私たちの未来は守られていないのです。
アンドリュー:アート史は挑発的な身ぶりの歴史でもあります。ですから、芸術家やアクティビストがアート界の関係者を怒らせるとき、かれらは往々にして正しい道を歩んでいるわけです。今回のアクションを考えるうえで、抗議運動の歴史は念頭にあったのでしょうか?
アンナ:もちろんです。私たちは非暴力の直接行動(non-violent direct action)という戦術を採用していますが、これは成功を収めた市民のレジスタンス活動の大半において用いられた手法です。公民権運動やサフラジェット〔英国の女性参政権運動〕、クィア・ムーブメントから着想を得ています。サフラジェットたちが抗議の手段として、絵を切りつけていたことはご存じですよね。スープを投げつけるという手法は、それより暴力的ではなく、しかし同程度の注目を集められるものだと考えています。
フィービー:アンナと私はクィアです。私たちが大学に進学したり、投票したりできるのも、いつの日か愛する人と結婚できるようになるのも、市民的不服従や非暴力の直接行動に参加した先人たちがいたからです。
「ジャスト・ストップ・オイル」の概要と目的
ではJust Stop Oilとは、どんな団体なのか。
公式HPによれば、ジャスト・ストップ・オイルは英国政府に「国内の化石燃料の探査・開発・生産のための新たなライセンスや許可を一切付与しない」と約束させることをめざすグループの連合体である。
同団体のスポークスパーソン、アレックス・デ・クーニンは、団体の活動と手段について次のように述べる。
「ジャスト・ストップ・オイルは非暴力の運動、平和的な抗議者です。私たちはこれからも〔社会に〕混乱をもたらし、絵画やアートを襲撃しますが、それも政府が国内における新たな化石燃料所有を終わらせると声明を発表するまでのことです。政府が声明を出し次第、私たちはすぐにその場から立ち去ります」(euronews.cultureのインタビューより)
絵画を汚すだけではない。かれらは交通網を麻痺させる道路での座り込みのほか、ロレックスやフェラーリといった富裕層向けブランドの路面店や、高級百貨店ハロッズのウィンドウ・ディスプレイに塗料をかけるペインティング・アクションも行なっている。
そんなやり方じゃ誰も賛同しないよ、という声が今にも聞こえてきそうだ。しかし、そもそもアクティビズムは人びとの賛同を取り付けるために(あるいは好かれるために)行なわれるものではないとしたら、どうだろうか。
「世間は私たちの手段には賛同しないでしょうが、メッセージには賛同しています」と前述のデ・クーニンはいう。「たとえば、政府に対してすべての公共住宅に断熱材を整備することを求める団体インスレート・ブリテン(Insulate Britain)は、2021年に一連の交通妨害を行ない、国内ではものすごく嫌われていました。しかし、彼らがキャンペーンを終えた数週間後、気候危機に対してどう対応するべきかという世論調査があり、84%の人が家に断熱材を整備するべきだと述べている。彼らのキャンペーンは実に効果的で、労働党はそれから一週間も経たないうちに公約のなかにそれを加え、人びとは急に断熱について話しはじめました。光熱費を見て、気づくのです――断熱材はいいアイデアだったんだ、と」(同上)
アクティビズムの眼目はアクションを通じて、それまでその課題に無関心だった人たちの耳目を集めることにある。彼らにとって、好かれるか嫌われるかは取るに足らない事柄なのだ。
なぜ変革に「多数派の合意」は要らないのか?
作家で歴史家のレベッカ・ソルニットは「聖歌隊に説教をする」というエッセイのなかで、政治や社会の変革をもたらすのは圧倒的多数の合意だという人びとに広く共有されている思い込みを指摘し、次のように書いている。
「合意は待つに値しない。(…)重要なのは、行動に移す者がいることだ。2006年、政治学者のエリカ・チェノウェスは、非暴力が暴力と同じくらい政権交代に効果的かどうかを確かめるべく試みた。彼女自身も驚いたことに、非暴力の戦略のほうがうまくいくということがわかった。人口のたった3.5%ほどの人たちが抵抗すれば非暴力的に政権を倒すことさえできるという(…)言い換えれば、変化を生み出すためにはすべての人が合意する必要はないということだ。ただ、一部の人が情熱的に賛同して寄付をし、選挙運動をし、デモに参加し、ケガや逮捕のリスクを取り、投獄や死の可能性を覚悟すればよいのだ」(『それを、真の名で呼ぶならば』レベッカ・ソルニット著、渡辺由佳里訳、岩波書店)
事実、1960年代初頭の世論調査によれば、当時のアメリカ人のほとんどは公民権運動の戦術を支持しておらず、キング牧師が有名な「私には夢がある」演説をしたワシントン大行進に賛成する人は4分の1に満たなかったという。
「キング牧師は彼に反対する者を説得するのではなく、自分の支持者を鼓舞するために語ったのだ。彼は中庸と漸進主義を非難した。そして、聴衆が不満を抱くのは正当かつ必要なことであり、劇的な変化を要求するべきだと主張した。白人の味方は必要だが、黒人の活動家は彼らを待つ必要はない。多くの場合、他者を転向させるのは、情熱的な理想主義の事例なのである」(同上)
ジャスト・ストップ・オイルは英国の団体だが、同様の運動はアメリカやカナダ、ドイツやフランス、スイス、スウェーデン、ニュージーランドにも広がっている。それぞれの団体は独立して運営されているが、お互いに影響を与え合う関係だという。
ゴッホの絵にトマトスープがかけられた9日後、今度はドイツの環境保護団体Letzte Generation(最後の世代)が、バルベリーニ美術館に展示されているクロード・モネの《積みわら》にマッシュポテトを投げつけた。
同団体のイタリア支部Ultima Generazioneのメンバーは、フィレンツェのウフィツィ美術館でボッティチェリの《春》に接着剤をつけた手を押し付け固定するアクションを行なった。
11月15日には、Letzte Generationのオーストリア支部のメンバーふたりが、ウィーンのレオポルド美術館が所蔵するグスタフ・クリムトの《死と生》に黒い液体をかけて逮捕されている。
これに対し、レオポルド美術館は「気候変動アクティビストの懸念は正当であるが、芸術作品を攻撃することは明らかに間違った方向に進んでいる。美術館は保存機関であり、持続性を示す真の例である」と声明を発表している。
しかし、冒頭で紹介したように、そもそもトマトスープを投げたアクティビストたちは「保護して持続させるべきは芸術なのか、人類の命なのか」と問うていたのだった。これでは議論は一向に噛み合わない。
どうやら、まだまだ美術館はわかってくれなさそうだ。
おまけ:アクティビズムとグラフィティの接近
ここからは蛇足です。
ジャスト・ストップ・オイルのメンバーが高級車の店舗ディスプレイにオレンジの塗料を吹きかけている動画を見て、すぐに思い浮かんだのがKIDULTでした。この覆面グラフィティ・ライターは、消火器を改造した噴霧器でラグジュアリーブランドの路面店にタギングしていくことで知られています。これまでに標的になったブランドはエルメス、シャネル、ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ルブタンなどなど。
![](https://assets.st-note.com/img/1668915502642-dggeD6Xuql.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1668915525834-8P0WsQK3cD.jpg?width=1200)
また別のライターのKATSUは、自身のインスタグラムでジャスト・ストップ・オイルの動画を複数投稿、「どう思う?」とフォロワーに問いを投げかけています。このアクティビズムとグラフィティのイメージ的な接近は興味深いなあと。
最後にもう一蛇足。エッセイを引用したレベッカ・ソルニットが、ジャスト・ストップ・オイルの「frieze」誌インタビューをTwitterで共有しているのを見つけたので、訳しておきます。
「すばらしい。いや、かれらの戦術についてのあなたの感想は送ってこなくて結構ですから。『現在私たちは政府に対して、市民的な抵抗をしています。政府は新たに100以上の化石燃料のライセンスを承認しようとしています。それは人類を殺すでしょう…』」
「引用。『気候危機は地球に暮らす全員に影響を与えますが、真っ先にそしてもっとも影響を受けるのはマイノリティです。現在グローバル・サウスの人びとは、すでに英国以上に気候変動の過酷な現実に直面しています。その主たる原因となっているのは、富裕層なのです』」
They sound lovely. No, I don't want to hear what you think of their tactics. "We’re currently in civil resistance against our government. They’ve been trying to approve over 100 new fossil fuel licenses, which will kill us...." https://t.co/IRuugsQn66
— Rebecca Solnit (@RebeccaSolnit) October 19, 2022
追記:かれらが「テロリスト」だとしたら(2022.11.24)
記事を公開してから4日。Twitterでは、賛同はできないがかれらの意図や論理は理解できた、というものから、トマトスープがもったいないという批判はお門違いではない、というものまで、さまざまなリアクションが見られました。なかには、この記事を翻訳した私が「キチガイ」で「テロリスト」だという意見もあります。
なにも私は記事中で言及している団体に諸手を挙げて賛同しているわけではありません。同じ名前の下に集う人びとは、決して一枚岩ではありえません。したたかな穏健派もいれば、調子に乗って暴走する人もいます。暴走し一線を越えた行動は、当然個別に批判されるべきでしょう。
このインタビューを紹介したのは、日本語圏にJust Stop Oilによるトマトスープ行動について判断する材料が足りていないと感じていたからです。日本の報道機関が配信するニュースだけでは、かれらがトマトスープを投げつける論理(ロジック)がわからなかったからです。
その行為にいたる経緯や団体の論理がわからなければ、賛同も批判も判断保留もできるはずがありません。
この記事の読者には、かれらを「テロリスト」と呼ぶ人も多く見られました。なにをもってそう呼んでいるかはさておき、SNSで流れてくる動画を見てのみそう判断する「テロリスト」と、かれらの論理を知ったうえで判断した「テロリスト」では、まるで意味合いが違ってきます。ろくな情報もなしにする判断は、憶測や認知バイアスに基づくレッテル貼りになりかねません。
この記事を読んだあとでJust Stop Oilをどう判断するかは、改めて言うまでもなく、読者一人ひとりの自由です。賛同するなり、批判するなり、煮るなり焼くなり、ご自由に。
ただ、かれらを「テロリスト」認定する人には今一度想像してほしい。あなたたちは、どうやら器物破損が「暴力」に当たると捉えているようですね。なにも人間が対象じゃなくても「暴力」は発生するのだ、と。すばらしい想像力だと思います。無機物に対するエンパシーですよね。じゃあなぜ、その想像力が気候変動によってもたらされる惑星規模の被害に向けられないのでしょうか。
トマトスープを投げつけるのが「暴力」だとしたら、気候変動も当然「暴力」になるでしょう。ショッキングな動画だと「暴力」に見えやすく、ゆっくりと真綿で首を締め上げるような、構造的な「暴力」は見えにくいのでしょうか。
Just Stop Oilを「テロリスト」と呼べる人は、気候変動の原因を作りだしている主体を「テロリスト」と呼べるはずです。Just Stop Oilに向ける熱量や忌避感あるいは批判を、ぜひともそうした主体に向けてみてください。それぞれが及ぼす「被害」を勘案すれば、あなたの貴重なエネルギーを向けるべき矛先や適切な配分もおのずとわかるでしょう。あなたが気候変動否定論者でないかぎり。
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