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展示の記録 深瀬昌久

深瀬昌久、写美 3月

めずらしく展示に行った感想を色んな人に話した。深瀬、深瀬昌久。
こんなにも早く出会わなくてよかったと思ったことはない。今でよかった。もっと若かったらわたしは写真をやめていたかもしれない。

写真は呪いだ。
写真だけじゃないけど、その分野に足を踏み入れてしまって、その気持ちよさ(あるいは苦しさ)を知ってしまうと簡単には抜け出せない。やめられなくなる。
しがみついて、なににもなれなくて。わたしはそれを呪いだと思っている。

でも違う、これはそんなかわいい呪いじゃないよ。ペースメーカーみたいな、マグロが泳ぐのをやめたら死んでしまうような、それを続けないと生きていく術がない。
そういう呪い。

写真の中のモノや人がいなくなることに執着したらこうなるんだな。なくなってしまったものが写真の中に残ることが希望なはずなのに。いずれいなくなってしまうもの、として残している。写真を撮ることは絶望であり希望。

自分の目に映るすべてのものを残していかないと、という強迫観念のものさえ感じる。この人はこうすることでしか生きられなかったのか、これ以外に道を選べなかったのか、こんな怖いもの見たら写真始められないよ。
こわくてやめちゃうかも。こんなふうになれないし、なりたくないって思っちゃうかも。

わたしは写真を撮らなくても生きていける。でも、撮るから生きていける。ファミレスで、なんで写真やってるのって聞かれた時、生きていたいからだよ、息をしてるって自分でわかってないと、わたしはすぐに溺れてしまうからだよ、と答えた。彼はすごく悲しそうな顔をしてた。そのあと、彼は交通事故に遭って、あやうくあの夜がさいごになるところだった。

そういうの思い出した。写美の独特なにおいとその記憶が混ざって、なんだか不思議だったよ。
もっと写真撮っておけばよかったとか、もっと話がしたかったとか、一日中ずっと不安で涙が止まらなくて、あの日のこと思い出せた。

写真、こわくてたまらなかった。吸引力。写真を見て、撮った人のことを想像する。彼の望みどおり、彼の目は見た人の目になっていた。

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