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日々、またあしたも日々


ちゃんと残しておかないと忘れちゃうから、どんな方法でも書いておかないといけないな。毎年思ってて夏くらいにすっぽり抜けて秋にまた書き始めるのが流れだけど、今年こそはと思う。忘れてしまわないこと。今年の抱負。

ずっと自分はルーティーンが苦手だと思ってたからいろんなことやってずっと動いてたけど、年末に転職して会社に勤めてみるとこんなに体に負担がないのかとびっくりした。毎日違う時間に起きて違う職場に行くのは意外とストレスだったのかもしれない。今は9時に家を出て20時に帰ってくる。ほんとはもっと早く帰ってきたい。会社勤めるとまわりから仲間に入れてもらえたんだなと思った。特に男女間ってその感じシビアだった。転職してから誘いが増えた。安定してそうに見えるのかな。収入は前のがあるけどそれはどっちでもいい。

昔好きだったひと、ずっと仲良いんだけど、一回好きになったひとだから、ずっとちょっと特別なんだなと思った。すごい久しぶりに会ったけど、全然好きだった。好きだったというか、好きになったことは間違えてないというか、好きだったところが消えてないというか。あの時はわたしはこの人のこと好きだったんだよなあと思った。好きになった人のことをなんで好きだったかわからなくなる時がつらい。叶わなかったけど、あの時一生懸命追いかけて好きだったことは間違いじゃないよ。あのときすきだったんだよって恥じないわたしで言いたい。

愛っていまだにわからない。結局自分が1番かわいくて、わたしが笑ってるとうれしいという人の笑顔を守りきれないところがある。いつどうしてればこうならなかったのかはわからない。もしかしたら中高女子校に行ってしまったからなのか、大学のときに付き合っていたひとがわたしを全否定するひとだったからなのか、親の自己愛が強い部分の遺伝なのか、わたしがわたしを認めてあげられていないのか。写真を撮っている時しか世界を愛せない。そんなの嘘じゃんとも思う。もしそれがほんとならその時感じてる愛は愛じゃないって思うけど、ほんとなんだよ。でもそれも自分が好きだからなのかもしれない。世界に1人の自分。この風はわたしの髪を揺らすためにある。認められた気がするんだよ。受け入れられた気がするんだよ。特別だと思えるんだよ。別に人から好かれないわけじゃない。好きになったひとには好きになってもらえるし、付き合えなくてもすごくいい友達になってずっと仲良くいれたりする。好きな友達もいるし、何年経っても集まってる関係もあって、誰かのお祝いをみんなで祝えるし、だれのことも嫌じゃない。胸を張って褒めてだきしめられる。でもそれはあんまり関係なくて、ただそう言う事実があるんだなというだけ。大切なものは大切にしたいし、長く続けばいいと思う。それが自分を認めることにならないだけ。全く切り離されてる。贅沢な孤独なのかな。誰がいてもさびしいものはさびしい。さびしさはずっと続いていくし、そこにある。わたしがそこに立っている。いやな孤独じゃない。耐えて越えていかなければいけないけど、ずっと付き合っていくしかないから。ひとりはいやなことじゃない。このさびしさがかわいくて、わたしは自分を認めてあげられないのかな。

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