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1月

日付が変わった瞬間は道端にいた。喋っていたら初詣に並ぶ列でみんながカウントダウンをしていつのまにか年が明けていた。特に何も変わらない。同じ夜が続いている。去年は家にいて、テレビに映る途端に明るくなるまばゆい時間が受け止めきれなかったけれど、こういう平坦な変化なら受け止められると思った。

年末はいろんな人に会って、気持ちが忙しなかった。ちゃんと一つ一つ受け止めようと思うほど上手くいかなくて、自分の中でだんだん処理ができなくて、わけがわからなくなってしまった。がんばらないと一緒にいれない人だなと思っちゃったんだよ。ずっと楽しくてでも小さく削れているようなかんじ。気づかないようにするのできたけど、でも気づいちゃった。何も受け取ってもらえていないんだと思った。わたしが悲しくなったこと、そうされたこと、楽しさにまぎれてなかったことにもできると思っていた。なかったというか、許せると思った。許してしっかりまた話していけると思っていた。でもやっぱりちゃんとあの時傷ついていて、それは絶対になくならないと思ってしまった。一緒にいればいるほど、何かわたしに渡そうとしてくれるほど、傷がちゃんとあるよって思い出して素直に受け取れなくなっちゃうんだなと思った。信じたい人といたいと思った。その中にこの人いないんだって気づいたら全部あきらめられて手放せた。

毎年年末に書いていることに「大事なことを見極める」とか「大事なことを大事にする」って書いてあって、やっとそうなれてきたんだと思った。長かった。まわりからしたらあほみたいなことばっかりやってると思うかもしれないけど、失敗して傷を受け止めて腑に落ちないと何にも変われない。進めない。あの人がそうやって言ったからって選びたくない。自分で決めてそれがどんな結果でもいいんだよ。うまくいかなくてもうまくいってもわたしが選んだってことが大事。

あれもこれも書こうって思うと書きすぎてしまう。それが全部じゃないけどそんなに全部じゃなくていい。わたしが知ってればいいことはそれでいいよ。

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