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映画「街の上で」

今泉監督の作品はすごく好きなものもあれば、苦手なものもある。それはどの監督もそうだけど。その映画が結果として好きじゃなくても、わたしは今泉監督の映画はできたら映画館で観たいと思っている。
木村和平さんのスチールビジュアルを見た時、この映画は必ず見ようと決めた。映画館で若葉竜也が見たかった。見たかったけど、公開が延期されていた。やっと公開したと思ったら緊急事態宣言で映画館のタイムテーブルがゆらゆらしていた。用事と用事の間のすきま、思い切って見に行った。

平日の昼過ぎ、シネコンの中の少し小さなシアターでこの映画を見た。

舞台は下北沢、古着屋で働く青年の恋愛というか、生き方の方向性を描く。下北沢にすごく縁があるわけではないけれど、何度か演劇やお笑い、音楽を見に出かけた場所。文化でできている街で、映画を撮る人、お店を持っている人、好きな漫画を片手に聖地として訪れる人。

わたし自身、大学の頃に友達の自主映画を何度か手伝ったことがある。若い時のものづくりって、いらないものは冷たく手放すか、馴れ合ってしまうかのどっちかだったなあと思いながら、あの飲み会のシーンを見ていた。ほんとうにできない素人を使ってしまって、なのに飲み会に声かけたらきちゃって、でもそのケアもしないで恋愛の揉め事と作る上での関係が混ざっちゃったりするのは何度も見たし、きっとわたしはあのチームにいたら監督の子と1番仲良くしながら冷めた目で見ているのだと思う。

イハちゃんとの夜のお茶のシーンがだいすきで、ずっと続けばよかったのに。ああいう夜を知っている。ああいう夜の次に来る朝はあんな感じだし、わたしは自分が知っている世界を見るといいなあと思う。ただの日常がこうしてあらためて物語として存在することがうれしいんだろうか。

ちょうど、自分がものを作っていく上で、それが世の中に出なければ、人に認知されなければ意味がないのかな、と考えていた。自分と向き合うために作っているこれは、いったい何の意味があるんだろう。でもこの映画を見て、わたしは街を作っているような気持ちで、壊して作ってを続けていけばいいのかと思った。

ずっと下北沢に住み続ける人も、越してしまう人も、その街が持つ文化に包まれている。

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