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英語が話せるようになるまでの自分史

「英語が話せるようになりたい」
なぜか漠然と、しかし常に頭の片隅にあったこの願望
憧れと言い換えることもできる
始まりはおそらく小学生

留学に行きたいと思っている人は絶対に行った方がいい


私はアメリカで生まれている
しかし生後半年で日本に帰ってきた
両親共に日本人
父の仕事の関係で、アメリカに長期滞在している時に
私を含めた姉弟が生まれた
記憶はない
英語も話せなかった
なんちゃって帰国子女

私が小学校の時だ
懐かしき「プロフィール帳」

出身地の欄
なんて書こう
生まれはアメリカだが、英語は話せない
書きたくなかった

その時思った
「英語が話せるようになりたい」
「そうしたら堂々と書ける」

NHKでやっていたホームドラマ
フルハウス
小学生時、私はよく見ていた
テレビ越しのアメリカの生活が楽しそうだった
リモコンのスイッチを押し間違えて、英語が流れた

何もわからなかった

「言ってることがわかるようになりたい」
と思った

母に言った
「アメリカに行きたい」
「英語が話せるようになりたい」

母は言った
「留学しなさい」
「ただ、まずは高校までは日本の学校に通いなさい」
「大学で留学したらいい」
「行きたいなら最低限の常識を身につけてから行ってほしい」
「危険な目に遭うかもしれない。知識を持ってから行ってほしい」
こんな感じのことを言われた記憶がある

今親になって思えば、その通りだと思う
小学生時の私はサッカーしかしておらず、
勉強は二の次だった

私は大学受験に一度失敗している
一年間の浪人生活を経て、大学というものに進学した
アメリカの大学を受験することも考えたが、そこまでの本気度は当時はなかった
まだまだ漠然とした憧れの範疇だったのだろう

また、外国語学部を目指そうかと考えたが、他に専門的に学びたいことがあったので別の学部にした

大学に入り、真面目に授業に取り組みつつ、しっかり遊んだ
単位は一度も落としたことはない
成績も悪くなかった
「親の金で学んでる」
という感覚がそうさせたのだろう
というのも滑り止めの私立大学の入学金を親に現金で渡され、自分で振り込んでいたからだ
「志望校に受かったらこれは無駄になる」
ということを知っていた

また、遊びも妥協せず、やりたいことは全部した
「今しかできない」
そう思っていた
しかし、その場は楽しくてもあの憧れが頭から離れなかった

過ぎた時間の多さに驚愕した3年生

充実した時間はあっという間に過ぎる
大学生活も3年目を迎えていた

「就活するか」

そう思った時、ふと頭に浮かんだ

「あれ、俺、留学してない」
「留学もある意味今しかできないことなんじゃ」

ここから就活や周りの動向など一切考えずに
留学するための準備を始めた
まずは制度の内容を調べる
春出発か夏出発か
向こうの大学でとった単位は互換できるのか
お金はどのくらいかかるのか
日本の大学を卒業できるのはいつになるのか
そして、どうやったら行けるのか
なぜ今まで行動をしてこなかったのか
後悔の連続だった

周りは就職に向けて準備を始めていた
しかし、なぜだか焦りや孤独感はなかった
「なりたい自分へなってやる」
という覚悟を持っていたからだろう

留学するための方法は簡単だった
TOEFL ibtで規定の点数以上を取ればいい
規定は120点満点中、72点だった

私は英語は人並みだ
得意ではない

初めて受けたTOEFL ibtは52点だった
TOEFL ibtというのはリスニング、リーディング、スピーキング、ライティング
の4つのセクションからなるテストだ
大体4時間ほどかかる

一回目を終え、傾向と対策を練った
2回目のテストを1ヶ月後に予約し、勉強に励んだ
そして迎えた2回目
53点だった

どれだけ私が英語を得意としていないかわかるだろう

流石に心が折れそうになったが、もう覚悟を決めていた
受験生以来の猛勉強をした

初めてのTOEFLテストは3月に受けた
リミットは9月だった
「半年で決める」

毎日英語を聞いた
スピーカーなど持っていなかったので
枕のしたにイヤホンを挟み、音量を上げて、寝ながら聞いた
スキマ時間があると単語帳を開いた
30分あれば英語を読んだ
幸いなことに、キャンパス内には留学生コミュニティもあったので
サッカー好きな留学生と仲良くなり、スピーキングの練習に付き合ってもらった

そんなこんなで受けた6回目のTOEFL
73点を取れた

正直、英語が得意な人からしてみた大した点数ではない
しかし、私にとってそれまでの人生の中で一番嬉しかったことを覚えている

そして私はアメリカに1年間留学することができた

留学生活については今後また書いていくことにしよう

留学から帰ってきて、英語は話せるようになったのか

答えはYESでありNOだ
語学にゴールはない
日常会話は問題はないくらいだが、ビジネスレベルかと言われたら
人によって評価が分かれるところだと思うレベルだ

留学から帰ってきて、TOEFL ibtを受けた
95点/120点だった
100点いかなかったところが、私らしいと思った

多くの人から見たら、おそらく私は英語が話せる人だと思われるだろう
しかし、自分の中ではまだまだだ
これからも英語を使い続けて行きたい

留学に行きたいと思っている人は
絶対に行った方がいい