初夏の史跡巡り(国分寺市篇)その4
REV12
ブログ投稿しています。複数画像付き等最終版は此方から、ご覧ください。
感染症は再び拡大している感じがしていますが、報告方法が変わったため、実体が容易には把握できない状況と思われます。感染症に注意しながら、脱水症状等も気を付けながら、散歩の目的として史跡めぐりを継続してみようと思いました。
尚、史跡だけでなく、色とりどりの可憐なお花も撮影できたらと思います。
先ずは場所を確認する為に、インターネット上の国分寺の史跡情報を確認しました。(継続です、新アイテムが見つかり次第UPDATEしていきます)
以下、インターネットで確認できた、国分寺の史跡名です。(既に訪れた史跡は紫色で表示しています)
熊ノ郷遺跡
恋ヶ窪遺跡
忠魂碑
東山道武蔵路跡遺構平面レプリ
恋ヶ窪東遺跡
東山道武蔵路跡
土師堅穴住居跡
中門跡
尼寺北方の塚
武蔵国分寺跡
恋ヶ窪廃寺後
日影山
柄鏡形敷石住居跡
武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)
金堂跡
庚申塔
鐘楼跡
七重塔跡
武蔵国分僧寺七重の塔跡
武蔵国分僧寺七重の塔跡2
武蔵国分寺跡 参道口
築地堀跡
武蔵国分寺僧寺 南門跡
武蔵国分寺僧寺 南門跡
武蔵国分寺 経蔵跡
武蔵国分寺礎石
講堂跡
武蔵国分寺金堂跡
金堂基壇
パークハウス国分寺史跡公園
青面金剛像
国分寺のコウヤマキ
国分寺桜門
地蔵堂
武蔵国府中国分寺碑
旧本多家住宅長屋門
武蔵国分寺七重塔推定復元模型
武蔵国分寺跡資料館
お鷹の道遊歩道休息所
武蔵国分寺公園
中央鉄道学園記念碑
殿ヶ谷戸庭園(仮)?(紅葉亭)
旧岩崎家別邸
馬頭観音
小柳九一郎翁頌徳碑
不動橋・石橋供養塔
日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑
王貞治国民栄誉賞受賞記念碑
田用水堰記念碑
国指定史跡武蔵国分寺跡附東山道武蔵路跡
武蔵国分寺跡(その他多く?)
武蔵国分尼寺跡
武蔵国分尼寺中門跡
武蔵国分尼寺中枢部北辺
金堂跡(武蔵国分尼寺)
中枢部区画東辺の区画施設跡
堀立柱建物跡:武蔵国分尼寺堀立柱跡
講堂想定地
尼坊跡
巨大な幢竿跡:金堂前に立てられた幢竿跡
巨大な幢竽跡
尼坊前面に立てられた幢竽跡:武蔵国分尼寺尼坊の幢竽跡
斜めに立つ幢竽跡:武蔵国分尼寺 斜めの幢竽跡
TBD
こうして、国分寺市内の史跡を並べてみると、結構沢山のアイテムがある様です。
今回写真を掲載する史跡アイテムは、アイテムの文字色を青色にしました。
今回は、以前訪れた武蔵国分寺跡を道路で挟んだ反対側(地図上で言うところろ、武蔵国分寺跡が右側で、今回は国分寺市の左側に位置する史跡です)
三回目の今回で、武蔵国分尼寺関連の史跡は終了の予定です。(未だ二つほど史跡が別に存在している様ですが、長い雑草が多く、丘の上の状態を当面確認できそうにありませんので)
以下は、巨大な幢竿跡:金堂前に立てられた幢竿跡です。
以下は、巨大な幢竽跡です。
以下は、尼坊前面に立てられた幢竽跡:武蔵国分尼寺尼坊の幢竽跡です。
以下は、斜めに立つ幢竽跡:武蔵国分尼寺 斜めの幢竽跡です。
講師は史跡後で初めて”幢竽”というものをみました。
インターネットで調べてみると、”幢竽”というのは旗(幢)を立てるための竿という事の様です。またその旗というのも昔からある大漁旗やこいのぼりのようなものとは全く異なる様です。
幢は旗の一種との事ですが、戦国時代の、”のぼり”の様な旗ではなく、もっと儀礼的な要素の強い旗:幢:波太の様です。
国分寺市の史跡資料館の説明を見ると、幢というのは儀礼的な色彩の強い、見た目は、江戸時代の火消しが使用していたと言われる、”まとい”に似ている様に講師には見えます。
元々、木材の”幢竽”だったと推定されている様ですが、写真の木は、復元時設置されたものではと思います。(史跡の年代からして木材が残っているとは思えません)
皆さんは、温かくなってきたこの頃、お散歩などはされていますでしょうか?
講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。