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おばあちゃん日記その2【過去にやってきたことは決して無駄じゃない】

シュッとして、かっこよかったおばあちゃんは、長年、英語の先生をしていました。

しかし、それも20年前の話。

(高知に移住したての頃のおぱあちゃん)

英語塾に通っていた小学生〜中学生時代の当時の私は、たびたび塾から与えられる課題の難しさに頭を抱えては、胃がキリキリ…。

そんなときには、おばあちゃんに「自分のためにならないじゃない!」と一言言われるだろうとはわかっていながらも、すがるところはそこしかないのだ!と電話をして、それはそれは幾度となく、課題を解くためにヒントをもらったりして、やり過ごしていました。

厳しさもありつつ、愛を持って接してくれるおばあちゃん。

そんなおばあちゃんを慕う生徒さんは今でも何名かいて、認知症を患い、返信がなかなか出せずじまいのおばあちゃんだけれども、今でも生徒さんたちから手紙が届くことがあります。

引退してから20年以上経過するのに、今でもこうして手紙を出してくれる生徒さんがいるということは、もちろん生徒さんにとっても印象深い先生だったからこそなのはもちろんですが、おばあちゃんとしても記憶に残る生徒さんだからこそ。

その方から手紙が届くと、おばあちゃんはとっても嬉しそうに、昔の話をしてくれます。

その生徒さんが学生時代にどんな生徒さんだったのかを何度も何度も繰り返して教えてくれます。数分おきに。さらに、時には涙を流して、こう言います。

「こうして今も手紙を書いてくれるだなんて、本当に幸せなことよね。」

それに対して、私が「このアツい想いを返事に、文章にして、生徒さんに返そうね」と言うと、おばあちゃんは「そうね」と返事をするものの、その数分後には「何するって言ったんだっけ?」と先ほどのやりとりは幻だったかのように忘れてしまう。これが認知症。

そのやりとりをまた何回か繰り返すわけですが、おばあちゃんが部屋に戻ると、またそのことが脳内から抹消されてしまうので、とりあえず私が一緒にいるうちにハガキとペンを渡して、その場で返事を書いてもらうようにしています。

「メガネがないから後で書くわよ!」

「今は書く気が起きないわ」

「筆不精なのよ」

などなど、これまでにさまざまな理由をつけては断られてきたものの、ヒマヒマ星人(※)のおばあちゃんには、過去の思い出に浸りながら、その生徒さんのことを思って文章を考えて、手紙を綴るということほど、最高なことはないと孫の私は考え、実行させているわけなのです。

(※ヒマヒマ星人とは、ちょっとでもやることがないと判断したら「ひまだわ」「やることない」と延々言い続ける人のことを言います。セイカ辞書より。)

返事をなんとかして書いてもらうと、おばあちゃんの中でもそれなりの達成感は得られるようで、これまた嬉しいのがポストに投函して、数週間後。またその生徒さんから返事がきて、さらにまた別の生徒さんにも波及してお手紙を送ってきてもらうきっかけにもなったのでした。

その生徒さんたちと、孫の私とは全く面識も何もないけれど、綴ってこられる文章を見ると、教員だったおばあちゃんへの愛に溢れ、無関係の私までもらい泣きしそうなほどです。

人の手紙を勝手に読むなんて!と思われそうですが、これも認知症症状のひとつで、おばあちゃんの集中力がほとんどなくなってしまっており、小さい文字や長い文章だと、読み切ることなく途中で寝てしまうこともしばしば。そのため、いつも送ってもらったお手紙は、私が読み上げて伝えるようにしています。

それにしても、32歳の私が50年後、60年後になったときに、こうやって老いた私に見返りなく、手紙を書いてくれるような人間関係が今あるだろうかと、自分の日々の行動なんかを考えさせられたりもします。

認知症患者のおばあちゃんと暮らすというのは、もちろんいいことばかりではないし、上述したように何度も繰り返し伝えないといけないシーンというのは日常に溢れすぎていて、こちら側の気持ちにも余裕がないと、

ああ!!!もう、うんざり!!!!!

となることも多々あるのですが、時々、こういうほっこりした気持ちを与えてくれることもあるんですよね。

センキュー、おばあちゃん。

そして最後に。

「教え子の 便りハゲミに 山くらし」


おかげさまで、おばあちゃんは数ヶ月ぶりに川柳を読む気力が出たようです。

おばあちゃんに生きる活力をありがとう、ありがとう。

サポートありがとうございます!私たち夫婦は山を買うのが夢なので、その資金に充てさせていただきます!