見出し画像

みんな、コテンラジオを聴いてくれ。

私はコテンラジオという Podcast が好きです。
先日初めてリアルでコテンラジオリスナーの方と出会いテンションが上がり「こういう人ともっと話してぇ〜」と思ったのですが、その後すぐに「そうだ!俺が周りの人に布教して増やせばいいんだ!」と気付きました。

という訳でこの記事ではコテンラジオのざっくりした紹介と、私が思うコテンラジオの魅力、そして実際に私の思考・行動がどう変わっているかを書いていこうと思います。

「御託はいいからとりあえず聴いてみるか」と思った方はぜひ下記よりお聴きください。大体のPodcastアプリとYouTubeで聴くことができます。

コテンラジオとは

公式のキャッチフレーズを借りると「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」の通り歴史の様々なトピックを楽しく学べるPodcastです。

どんなものが語られているかのイメージを抱いていただくためにアーカイブの一部を見てみましょう。

https://coten.co.jp/services/cotenradio/

実に多様ですね。
ざっくりは歴史を次の3つの切り口から様々な題材を通して解説してくれています。

  • 「高杉晋作、ガンディー」などにフォーカスしたもの

  • 「フランス革命、アメリカ開拓史」などイベントにフォーカスしたもの

  • 「お金の歴史、人類のコミュニケーション史」など概念の歴史にフォーカスしたもの

また、コテンラジオの素晴らしいところはその人の行動やイベントが起きた背景を理解するために、かなり遡って時代背景を解説してくれているところです。
例えば織田信長という戦国時代の人物の解説をするために、"武士の成り立ち"まで掘り下げてなんと800年前にまで遡っています。もはや本題に入るまでに5,6エピソード挟むのが定番になっているくらいです。

そんな感じで歴史のいろいろトピックに対してディープに解説してくれるコテンラジオな訳ですが、これだけ読むと「歴史の情報が摂取できるもの」としか感じないかもしれません。

もちろんそれだけでも意義深いのは違いないですが、それに加えてコテンラジオは公式サイトにも書いてある通り歴史を通してメタ認知の促進や人文知と社会の架け橋になることを意図しています。
次はそんな情報を摂取するだけでない影響について語っていきます。

コテンラジオの魅力: 歴史を通してメタ認知を促進する & 人文知への入り口となる

まず私が語るより前にコテンラジオサイトのPhilosophyの内容を引用してみます。

COTENは、人文知と社会の架け橋になることを目指しています。
人間文化にまつわる知的な営みである、人文知。
世界史を中心とした人文知の価値を伝え、
人類にメタ認知のきっかけを提供します。

https://coten.co.jp/philosophy/

この通りコテンラジオを運営している株式会社コテンは人文知との架け橋となることを掲げています。
「人文知とは何か」ついて今の私は自信を持った定義はできないのですが、歴史ももちろん文化人類学や哲学、経済学や宗教学、仏教などなど様々な人間やその社会に対する人類の知識の積み重ねを指しているのではないかと思います。

そしてそういった知識を知ることによってメタ認知の手助けを得ることができます。
メタ認知ってなんやねんという問いに対してもコテンが定義しているので引用してみます。

COTENでは、メタ認知を「他の世界に出会うことで、自分や自分の存在している世界を相対化して捉えること」と定義しています。全てのことに「正解」はないという前提で、誰しもが自分の視点に囚われていることを自覚し、まずは自分達が、メタ認知をし続けることを目指しています。

・一つの価値観にとらわれず自分の中に複数の価値観を持つ
・出来事の属人性よりも、構造や系譜に着目する
・様々な価値観に興味を持つ、知ろうとする

https://coten.co.jp/philosophy/

メタ認知とは名前の通りメタ的に自分の認知を捉えることです。
「自分が認知していることなんて自分で分かってるわい!」と思われる方もいるかもしれないですが、人は思いの外自分が触れてきたコミュニティやしてきた経験によって価値観・思考が規定されています。
それを多様なモノの見方を知ることによって相対化して気づけるようになります。

どういうことかイメージが湧かないかもしれないので具体例を一つ挙げてみます。と言いましてもこれもパーソナリティである深井さん執筆の書籍の歴史思考から引用します。
(ちなみに「歴史思考」はスーパー偉人にもダメダメなところがあることや、当時は良いものと考えられた意思決定が1000年後にはデメリットに転じるなど歴史を通してどんな学びが得られるかについて書いてあるので併せて読んでみるといいかもしれません。)

歴史思考の中で「僕らの「当たり前」は非常識」である一例として同性愛について次のように語られています。

「男性は女性とセックスするのが当たり前だ」という考えは、僕たちの社会の大前提になっています。
    〜中略〜
人類史を見ると、男性同士でも結構、普通にセックスをしています。
    〜中略〜
あまりに普通だったので例を挙げるとキリがないくらいですが、プラトンもソクラテスも、アレクサンドロス大王も男性同士でのセックスをしていました。日本でも織田信長をはじめ、多くの歴史上の偉人が男性間セックスを経験していました。

歴史思考 p.157-158

現代社会に生きる我々が、上記のような感覚を "普通" と表現されると、驚く方もたくさんおられるのではないでしょうか。ですが「異性"だけ"」を愛することが "普通" という価値観こそ長い時間軸で見るとむしろマイノリティなのです。

ここで論じたいのはどちらの価値観がいい・悪いではなく、当たり前と感じているようなものも全然当たり前ではなく、年月と共に、そして社会と共にうつろうものだということです。
そして、当たり前と感じているものはそれ故に自覚的に捉えることが難しい。ですが、歴史を学んでそうではなかった価値観を学ぶことによって比較することができます、これが相対化です。

メタ認知は何が嬉しいのか

そうやって相対化してメタ認知が促進されると何が嬉しいのでしょうか?
これも深井さんのインタビューで語られているので要約しますと

  • 多様な価値観、対立する価値観に対して理解ができ共生しやすくなる

  • 高い視点から今の自分を見られて自分の生き方を選ぶ時の助けになる

  • 主観的な苦しみの原因がメタ的に理解できることによって和らぐ

あたりがメタ認知をすることの価値となるでしょう。自分が囚われている価値観に自覚的になることによって、またそれに加えて多様な価値観を知ることによって人生を生きる上での様々な困難に対しての認知を変えることができます。

若干の宗教くささを感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、「状況は変わってないのに、考え方が変わったことによって気持ちがフッと軽くなった」ということは誰しも経験があるのではないでしょうか。
メタ認知はそんな機会を得る助けになってくれます。

個人的な話 - 実際に私の思考・行動がどう変わっているか

という訳でコテンラジオの普遍的な魅力を語ったところで、ここからは私個人の時間の使い方なり考え方なりがいかにコテンラジオによって変えられてしまったかを語っていこうと思います。

大分自分語りなので「コテンラジオの魅力を伝えよう!」という記事の本筋とは若干離れてしまうのですが、「こんな風に触発された人がいるんだ」という感覚を伝えるのと、あと単純に自分が最近興味あることを誰かに伝えたい、話してみたい欲が高まっているので書きます!!

出会い

私の最古のコテンラジオに関するツイートを掘り起こすと昨年の3月でした。なんとも頭の悪そうなことを言っていますが、もうそろそろ一年経つわけですね。

聴き始めたきっかけは思い出せないですが、元々散歩とかの時にPodcastを聴く習慣があったところ、Spotifyがレコメンドしてくれたものをそれとなく聴き始めたのだと思います。ありがとう、Spotify。

コテンラジオのエピソード数は膨大なので(この記事執筆時点では300エピソードを超えている + 数多の番外編!)コテンラジオ単体を一周聴き通すだけでものすごい時間がかかります。

それに加えてパーソナリティーの一人である深井さんはコテンラジオ以外にも様々なPodcastやYouTubeの動画などに出演されています。

例えば a scope

この番組では歴史だけではなく物理学、文化人類学、仏教、歴史学、宗教学、教育学、脳科学などなど様々なトピックの専門家の方々と対談していきます。

どれも面白いのですが、個人的に一番「うおお!!!」となったのは仏教の松波龍源さん回です。仏教哲学の世界の捉え方がめちゃくちゃロジカルで面白く、自我の拡張とは何か、その感覚を掴むきっかけが仏教にあることを感じられました。

また、それ以外にもみんラボ(みんなの才能研究所)という名前の通り人が才能を発揮するための方法を研究するラジオや、超相対性理論という、何というかすごい色々なトピックを色々語るラジオにも出演されており、どれも大変面白いです。

という感じで深井さんコンテンツを色々摂取し続けた結果すっかり深井さん信者のようになってしまったのですが、こうやって色んな考え方に触れ続け私生活でも色々考えるきっかけがあってここ最近私の中で探求テーマが育まれてきました。

その中で特に最近興味あるのが「脱労働社会」の実現です。
最近はこれにまつわる勉強ばかりしていて完全に沼です。

脱労働社会

脱労働社会という言葉が一般的なのかはあまり分かっていないのですが(井上智洋さんという経済学者の方がよく使われている印象です)、何を指しているかというと「そんなに働かなくても生きていける社会」をイメージしています。

私にこの発想が生まれてきたのは多分コテンラジオの資本主義回でポスト資本主義というフレーズに出会ってからでした。

ポスト資本主義は名前の通り現在の社会の基盤となっている資本主義の次、ないし未来の姿を描こうという試みな訳ですが、一口に言っても様々な切り口の考え方や流派があります。

a scope 〜資本主義の未来編〜 というなんと資本主義についてだけに様々な論客を招待して話している Podcast があるのですが、そこではもう「ほとんど真逆の立場なんじゃないか」と感じるような人たちが出てきて色んな角度からのポスト資本主義(あるいは資本主義の加速)を学ぶことができます。

こういった諸々を聴いていく内にいくつか今の社会に対して疑問を抱くようになりました。

  • なぜ人類はかなり生産的・物質的に豊かになったはずなのに未だに週5 x 8時間働くのがデフォルトなんだろう

  • 今の資本にしかフォーカスが当たらない社会では儲からないけど重要な課題へ人間の労働が充てられないけどそれでいいんだろうか。

  • ブルシットジョブには自分も多少共感するところがあるが、なぜこのような仕事が増えているのか、その労働に支払われているような対価はなぜいわゆるエッセンシャルワーカーの方々に分配できていないのだろう

正に当たり前と感じていたことに疑問が湧いてきたといった趣です。
特に労働(とお金)に関しては自分の生活でもいくつか重なる課題感がありました。

一つは人間の労働という商品が技術革新によって需要が減ってきているのではないかという肌感覚です。
私はソフトウェアエンジニアとして生きているのですが、昨今の技術革新は凄まじく様々なフレームワークなどの進歩に加えて ChatGPT のような AI の登場によって働き方が大きく変わる予感がしています。
そうなると確かに生産性は間違いなく上がりますし、そうやって新しい体験が作られること自体にはワクワクしているのですが、一方で一人前のソフトウェアエンジニアになるハードルがどんどん上がっていやしないか、とも感じています。
これで少数のスーパーな人だけでソフトウェアの開発ができるようになると、中間の人の雇用は減ってしまうでしょう。

もしこういった現象がソフトウェアエンジニアのみならず、様々な企業や職能で起きた場合人間の労働が AI によって代替され、今の働かざる者食うべからずの社会システムが維持されたままだと雇用がなく社会が鬱々としたものになっていくものではないかと想像してしまいます。

また、もう一つ感じているのが病気や様々なライフイベントで働けなくなった時に生きていける安心感の重要性です。
このような社会でも活躍できるスーパーな人たちでも、長い人生病気や様々なライフイベントで働けなくなる時期が出てくる可能性はあります。

私自身も9ヶ月ほど休職した経験があるのですが、その時は「ずっと治らなかったらどうお金を得ていこう、生きていけるんだろうか」ということが気になってしまい、心理的に休むことが難しかったです。幸い私は復帰できましたが、もしかしたらお金が理由で治療ができなかった・できない人もいるかもしれません。

これらは私個人の主観的な感覚なので、実際にこういった事象が起きているか、社会として取り組まなければいけないレベルの大きい課題なのか、そのファクトは調べられていないのですが、もしそうだと仮定した場合に労働の需要が下がっている中で労働を前提にした社会は様々な不和を産むのではないかと感じています。

という訳で「働かなくても生きていける社会」を実現したいな〜という欲が昨今私の中で高まっているのですが、ではそれは具体的にどんな社会なのか、そこに至るまでに何をすればいいのか、私には知識が足りな過ぎてそのビジョンを描くことができません。

例えば、こういった社会の実現するために提案されていてよく聞くのがベーシックインカムですが、これに関しても財源はどう用意するのか、極度なインフレは本当に起きないか、経済学の理解が乏し過ぎて自分の言葉では何も語れません。
またかつての共産主義に挑戦した国の失敗と、現代の資本主義によってもたらされた豊さを鑑みるに、今の資本主義に課題はあれど完全に撤廃などではなくどこかグラデーションのような概念になりそうです。ただ、ではそれが具体的に何なのか?と問われると私は何も想像できておりません。

という訳で経済学は勉強する必要があるのはもちろん、過去や現在の様々な国やコミュニティの事例・歴史も学びたいですし、そういったものを俯瞰的に研究したコミュニティ論や組織論も学びたいです。
また「働かなくても生きていける社会」の "生きていける" とは本当に最低限生命を繋げられるのか自己実現も含むのか、働くことは人にとってどんな意味があるのか、などを考えると哲学や心理学なども学んだほうが良さそうです。

という感じで長くなりましたが、もう完全に沼です。学びたいことが無限に湧いてきます。コテンラジオが一年がかりで私にじわじわと影響を与え沼にハマらせました。
もはや最近は本業に関わることそっちのけでこういうことばかり勉強しているので、労働市場における私の "価値" はどんどん減っているんじゃないか疑惑があるのですが、学ぶのが非常に楽しいので止めることができません。困った。

おわりに

という感じでコテンラジオの魅力を語ってきました。
歴史という切り口から自分に重ね合わせて色んなことに興味を持つようになる、正に人文知との架け橋になってくれました。
今までプログラミングと仕事する上での実利的な本ばかり読んでいた私が最近では歴史や哲学の本を貪るように読んでいます。

私も思考・興味が変わりコテンラジオが「人生に影響を与えた」…と言えるかはこれからの私の行動次第ではありますが、おそらくそう言っても過言ではない状態になるでしょう。

何より最近学びたいことが無限に湧いてきてめちゃくちゃ楽しく生きています。ありがとうございます。

ぜひコテンラジオを聴いて、それをきっかけとして人文知の沼にハマってみてください。
それでは!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?