息子に「可愛い」と言えるまで

産後はホルモンバランスが崩れる、10人に1人は産後鬱になる、産後1年の女性で最も多い死因は自殺である。そんな話を産前ちらほらと耳にしていたけど、なんとなく自分は大丈夫なんじゃないかなと思っていた。

そんなことはなかった。
出産してから私の体は変わった。

息子を出産した翌日からなんとなく不安で、何故か涙が止まらなくなった。
じっとしていられなくて帝王切開後の傷が痛むまま点滴を引きずって病室を出ようとして看護師さんに止められた。
母子同室になってからはさらに酷くなった。
自分が抱いている3000gの命が怖い。
命は思いのほか軽い。
私が力を緩めて落としてしまえば死んでしまう。そんな3000gは私を必要としている、そんなことを思えば思うほど怖くて怖くてたまらなかった。

泣かせると死んでしまうような気がして、なんとか泣き止ませようと必死だった。
せまい病室にいるのが耐えられず、子を抱っこして一晩中病院内を歩き回った。

この頃から看護師さん達の間でも「ちょっと危ないかも」と噂になっていたようで頻繁に部屋に来てくれたり特に気にかけてくれるようになった(気がする)

退院して、家に帰ってきた。
里帰り出産だったが私以外の家族は働いているため日中は私と赤ちゃんの2人きり。
それがたまらなく怖かった。

生まれたばかりの赤ちゃんには昼も夜も関係なく2時間おきに授乳が必要になる。
そのためお母さんも赤ちゃんに合わせて生活をする。
「赤ちゃんが寝てる時は、お母さんも寝るんだよ、じゃないと倒れちゃうからね」
いろいろな人にそう言われたが、息子が怖くてたまらなかった私には、それが出来なかった。

まず息子の隣で横になるのが怖い。

泣いたらどうしよう。
泣いたらまた泣き止ませなくちゃいけない。
それでも泣き止まなかったらどうしよう。
死んじゃったらどうしよう。
怖い。
ここにいたくない。
逃げたい。

とてもじゃないが眠れず、そのうち私は息子が寝ている間は部屋を出て、泣き声が聞こえるギリギリの廊下で過ごすようになった。

食欲もなかったが、母乳のために食べなくてはという脅迫概念でなんとか水分と白米だけは食べるようにした。
あんなに大好きだった食事が嬉しいと思わなくなった。


ありがたいことに私は母乳が出た。
しかし息子は上手く乳を飲むことができなかった。

まわりからの「だんだん吸う力がついてくるからそのうち飲めるようになるよ」「母乳が出るなら飲ませなきゃ」という言葉が、悪気はないと分かっていてもひたすらにプレッシャーで、授乳の時間が近づくと息が出来なくなり冷や汗が出た。

「ほら出るよ、出てるよ、お願い飲んでよ」と必死に口元に乳首を近づけても、上手く乳を咥えられず顔を真っ赤にして泣く息子にもうどうしていいか分からず私も泣いていた。

飲ませなきゃ、母乳が出るんだから飲ませなきゃ、せっかく母乳が出るんだから

「飲んで、ほら、飲めるよ」

グイグイと力任せに口に乳首を押し込んだ。
当然そんなので飲めるはずもなく息子はギャアギャア泣いた。

「ごめんね、もう無理だ」

泣き喚く息子を布団の上に放り出し部屋を出て扉を閉め、私は大声を出して泣いた。
部屋から息子の泣き声が聞こえたが戻る気になれなかった。ひたすら泣いた。
息子は何も悪くないのに、一生懸命飲もうとしてくれてたのに私は最低だと、罪悪感に押しつぶされそうになりながらボロボロと泣いた。

しばらくして部屋を覗くと、息子は泣き疲れた様子でぼーぜんと天井を見つめていた。ずっと泣いていたからか顔がまだほのかに赤い。
ミルクを入れた哺乳瓶を近づけると、無我夢中で必死に飲んだ。

おなかがいっぱいになり眠る息子を見て、ああ私は母親にはなれなかったと思ってまた泣いた。

大袈裟ではなく、この頃は1日中ずっと泣いていたと思う。
スマホの検索履歴には
「産後 自殺」「自殺 子供 引き取り先」
そんな言葉ばかりが並んでいた。

自然に目が覚めるなんてことはなく
常に息子の泣き声で強制的に起こされた。
そのたび「また地獄が始まった」と泣いた。

もうダメだ、頑張れない
そう思って台所で包丁を握りしめた。

あーあ
私が死んだら施設に行くのかな
親戚が誰か引き取ってくれるかな
ああでも家で死んだら家族に迷惑かけちゃうな
お母さん泣いちゃうかもな
それは嫌だな

そんなことを考えていると、次の授乳の時間になり息子が泣き出す。その泣き声でハッと我にかえり包丁をしまって授乳の準備をする。
そんな毎日を繰り返した。

物置を漁って首を吊る用のヒモを探した日もあった。頭を打ち付ける用の大きな石を部屋に並べたこともあった(もはや何がしたいのやら笑)

マジでよく死ななかったなと思う。

あと10分息子が泣くのが遅ければ私は今ここにいなかっただろうなと思い出す瞬間が何度もある。ギリギリの日々だった。

いつ頃から心の状態が安定してきたのかは
正直覚えていないし分からない

ただ、夜泣きがおさまったことで私も夜眠れるようになり、睡眠が取れるようになったことと、母乳が直接飲めるようになり授乳のストレスがなくなったことが大きいのかなと今となっては思う。

なにより、私が落ち着くまで何時間でも話を聞いてくれた友達や、息子の世話を積極的に手伝ってくれた家族、「お母さん最近どう?何か心配事はない?」頻繁に電話をかけてきてくれた地区の保健師さん、「母乳にこだわらなくていいんだよ。つらいならミルクにしたっていい。どっちだってちゃんと育つし、自分がどっちで育ったかなんて赤ちゃんは覚えてないんだから」と励ましてくれた母乳外来の先生、たくさんの人の協力があったからこそ、私は今生きていられるんだと思う。

あの時3000gだった命は、9000gの命になった。目も見えず泣くことしかできなかった命は、私を追いかけて部屋中動きまわるようになり、よく笑うようになった。

これからもっともっと出来ることが増えると思うとワクワクする。
1年後には歩いてるかな。
2年後には喋ってるかな。

成長のたびに悩みも増えるし、これから先泣くことだって数えきれないほどある。
子育ては、たぶん今の私が想像するよりもっと大変な道のりなんだと思う。

でも今、私に抱かれて眠る命が愛しくてたまらない。
いつの間にか「かわいいねえ」と自然に言えるようになっていた。そうすると息子は決まってヘラリと笑うのだ。


ハーフバースデーおめでとう。

生まれてきてくれてありがとう。

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