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ある男子寮の話 その1

今はなき醜くも美しいあの寮の思い出を虚飾しつつ語ります。

 当時僕は大学進学を機に実家であるH海道を離れ、北陸のI川県に住むことになった。

 現役合格が叶わず浪人していたこともあり、親にさらに負担をかけるのもちょっと…という思いと
 何かの影響から見知らぬ人との共同生活に青春の可能性を夢見ていたので学校附属の男子寮に住むことにした。

 ウェブでの合格発表の後、入寮許可が出たので直接寮に電話をして手続きについて聞くことにした。
 対応してくれた人が北海道では直接聞く機会がまず無い関西弁スピーカーだという事に興奮し(変な性癖ではない)、おかげで内容はほぼ頭に入ってこず、しかたないので2回電話をかけた。
 小学校の授業で札幌雪まつりに来ている外国人観光客に英語で話しかけサインを貰うという無茶振りミッションを達成して以来のカルチャー体験。
自分の世界が広がっていく感覚を覚えた。

諸々の手続きを終え、入居日を連絡する。
本来は4月1日が正式入居日なのだが、新入生行事等の事情により3月29日に入居が決定。

当日、新千歳空港まで送って貰い空港でソフトクリームを食べて出発した。最近のおススメはロイズのソフトクリームだけど当時はあったかな
父が残した熱い想い、母がくれたあの眼差し、地球は回る。

 フライトは1時間程、現地の空港に着きそこからバスで1時間揺られ街へ向かう。一人で飛行機に乗るとなんだか大人になった気がしたあの日々。
 余談ですが生活に初めてが無くなると色を失ってくる気がしますねぇ。

 大学のパンフレットでは京都的な歴史的街並みをこれでもかと推していたが、いざ街を眺めていると本当にごく一部だと気付かされた。目で見た物だけがリアル。
 途中通った繁華街が気になる。

 ↑駅はフォトスポット。ここで知らない人の写真に写り込み思い出にお邪魔するのもいとおかし

 ターミナル駅からバスで15分、さっきの繁華街から5分程の停留所で降り、寮を探す。
 ホームページにも外観は出ていなかったため住所を頼りに歩きながら探す。

 戦火にあっていないので現代的に区画整理されていないラビリンス的路地を抜け、たどり着いた住所に建っていたのは

 かつて学校だったが、風紀が乱れたため窓ガラスは割られ、生徒はところ構わず煙草を吸っては吐き、バイクが廊下を走り回り、何かのきっかけで出火し懸命な消火活動で死者は出なかったものの学校機能を失った末廃校になった学校

 そんな印象を与える廃墟的建築物だった。
のちに、近くに店を構える床屋のマスター(30代半ば)に話を聞くと、彼が小学生の時から廃墟と呼ばれていたらしい。


 鉄筋コンクリート4階建て、総部屋数200 食堂 風呂、トイレ共用というスペックを待つ巨大な廃墟に圧倒される私に投げかけられる視線。

 窓から誰かが僕を見ている。
 第一寮生の気配に緊張が走る。

 見ていたのは男子寮にも関わらず何故か女性。
居住部屋の窓に隙間なく貼られた、ほぼ全裸の2次元美少女達 

はじめまして‼︎今日からお世話になるHと申します!挨拶は欠かさない。それがポリシー。

 疑問が押し寄せる。寄せては返す。
 あんな物を入り口から見上げれば目に入る部屋の窓に、しかもなぜ外に対して貼っているのか。他の住人は何故放置しているのか。あんな物が一体何処に売っているのか?最寄りのコンビニはどこなのか?
 考えてもしょうがないのでとりあえず敷居を跨ぐ。

記憶を頼りにその2へ続く

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