「どうでもいい」という魔法
人付き合いをするうえで「価値観」というのはすごく大事だ。
別に恋愛関係だけじゃなくて、友人関係でも家族関係でもアパートのお隣さんでも。
例えば、友人関係だと、「待ち合わせには15分ぐらいなら遅れても構わない」と感じる人もいれば、「1分でも遅れてみろ、〇してやる」と感じる人もいる。
他にも家族関係だと、「疲れて帰ってきたら夜ご飯がカップヌードルになっても許してほしい」と思う人もいれば、「どれだけ疲れていても、3品ぐらいは作らせてください」と思う人もいる。
そしてお隣さんでも、「別に極端にうるさくなければ、夜遅くに友達と話しても大丈夫ですよ」と言う人もいれば、「夜20時以降に友達を連れ込んでみろ、〇してやる」と言う人もいる。
これらはすべてそれぞれの価値観であるし、極端なものでなければ、お互いが相応の部分で妥協しなければならない。
しかし、この「妥協」という面倒なものを消し去る魔法の言葉(&思考)がある。それは「どうでもいい」だ。
「どうでもいい」、英語で「Whatever」。僕の大好きなオアシスの名曲のタイトルでもあるこの言葉。
どうでもいい、と聞くとやっぱりネガティブなイメージを描きがちである。「何も考えてくれてないのかな?」「興味ないのかな?」なんて思われがちな言葉であるが、決してそれだけじゃない。
たしかにそれほど興味はないかもしれないが、何も考えていないわけではない。こだわりを持たずに生きていくという類まれなるスキルを手に入れた者だけができる所業だ。
僕もまだ特訓中であるが、こだわりを持たないというのは難しい。人はみな欲があるから。しかし、「どうでもいい」欲など捨てるのが吉だ。
自分へのスイーツの取り分とか、ファミレスでの席とか、そんなものはよく考えてみれば本当にどうでもいい。また買えばいいし、近くの人と仲良くしていればいい。
しかし、よく取り違う人がいるのだけれど、自分以外の人も含まれる問題に「どうでもいい」と付す人がいる。これは問題だ。
集団での決め事とか会議で「どうでもいい」なんてぬかした暁には、「やる気ないな、こいつ」と思われるし、まるでいいことがない。
つまり、自分の小さな欲にはガサツに、自分以外の欲にはできるだけ貪欲に、これがいいだろう。前にも言った気がするが、他人とうまくやっていけない自分などいらないのだから。
今日忙しいんでこのへんで!
また明日!
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!