あの日見た七月の残骸

詩以前の文章。

今の私には当時のベランダから見えたドロドロとした液体としての七月、脱線した時間、時間と存在、実存、本質。これらは過去であって今ではない。それらは踏み台にすぎなかった。私はなにか世界(私個人の世界)に酷く急かされている。それは確実に終わるのだ。私は言葉を、詩を、暴力的に、そしてあくまで耽美のむせ返る匂いに纏われた、ひとつのオブジェをぶち壊して、かけらで作り上げた、別のひとつのオブジェにしたい。そこに感情などエモーショナルなものはない。あるのは私からどうしても離れない幼少期の頃の情緒だろう。かつてそれこそがポエジーだと言った詩人がいた。若い私は腑に落ちるような感覚を覚えた。しかしそんなものが何の役に立とう。私はかつてのポエジーを捨て、新しい機械的な取り組みにかかった。しかしいざ作品が完成してみるとどうだろう。そこには結局昔のポエジーが残っていた。私からどうしても離れない情緒。それは自殺した母親が作り出すものかもしれない。結局、私は一生、私を背負わなければならない。

などと考えているお盆。さあ一服だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?