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セックスレスのモヤモヤを、オープンダイアローグでふれ直してみた。

先日、オープンダイアローグの体験会に参加してみて、「こ、これはセックスレスの悩みへも有効かもしれない」と思ったので、まずはその体験をまとめてみました。

ちなみに、早速ですが、セックスレスでのモヤモヤをオープンダイアローグしてみるイベントを開くことにしました。

9/1(水)昼の部14時~もあります。)

オープンダイアローグとは

1980年代にフィンランドの精神医療で用いられたのが始まり。当事者、家族・知人、医師、看護師、ケアワーカー等の関係者が、オープンにかつフラットな立場で当事者の心配事について話し合う。特徴の1つとして、「リフレクティング」という、当事者の心配事を聞いた聞き手が、”当事者の言葉や主張の意味”をどう解釈するかを意見交換し、当事者はそれを聞いて心の中で静かに受け止めて考えるという時間が設けられる。近年では医療分野にとどまらず、家庭、教育、地域など様々な対話の場で用いられ始めている。

きっかけ

私自身はこれまで「オープンダイアローグ」という言葉は耳にしたことはあったが、具体的なところは無知だった。

きっかけは、私の活動について定期的に意見交換させてもらっている訪問看護師の友人から、「きしなおさん、オープンダイアローグってのがあるよ、たまに支援者同士でたまにやるんだよね」と教えてもらったことだ。

友人に教えてもらった夜、早速オープンダイアローグの書籍をKindleで購入して、フムフムと読みこむ。翌日、どこかで体験できるイベントないかな、と検索すると、ちょうどその日の夜に開催されるオンライン体験会が運よくみつかったため、申し込んだ。

今回参加したのは、《声のアトリエ》髙本裕子さん主催、こちらのオンラインワークショップ。当日申込みに対応いただき感謝でした。

体験会に参加

Zoomに接続。参加者は8人前後、20~50代と幅広く、男性は少数派(というか自分だけ)だった。

初めの30分でファシリテータの方のあいさつと、ウォーミングアップ。

堅苦しい自己紹介はなく、自分が今感じている「感じ」をひと言、さらにそれを「物」のイメージに置き換え、別の参加者に画面を通してプレゼントする、というもの。私は「小腹がちょっと膨れてる」という今の感じを、次の人に「これ、特大の肉まんです~、はい!笑」とプレゼントしたところ、苦笑いとともに受け取ってもらうことができた。

初めは探り合いにも思えた場の雰囲気が、このウォーミングアップでどこか緩まったのを感じた。

本題のオープンダイアローグ体験。4人×2チームにブレイクセッションされ、次のような流れでオープンダイアローグが進んだ。

①語り手が、自身の心配ごとや悩みを語る(3分)
②語られたことについて、語り手・聞き手の双方で黙って受け止めるタイム(30秒)
③聞き手によるリフレクティング(3人×1分)
④リフレクティングを聞いてみての語り手の感想(2分)

この流れを4人が順番に語り手となって、場がまわる。

自分の経験を語ってみた

私はかつてのレス経験について語らせてもらった。自分はセックスを好んでいたこと、パートナーはそうではなかったこと。セックスを誘って手を払うようにされた時に、何とも言えない気持ちになったこと。今日こそはとセックスの約束をしていた日に実現しなかったこと。ただし彼女にも応じることができない理由があっただろうこと。

語りながら、その時の場面や感情が少しよぎった。一方で、語り自体で自分自身が癒される、あるいは楽になるというようなことは、私の場合は感じなかった。

聞き手の方による、私の語りへのリフレクティング。

リフレクティング次のような形で行われる。

・聞き手の人達だけで、私の語りについて感想などを話し合う。
・語り手である私は、カメラON→OFFに切り替え、その話し合いを眺めるように聞く。(これにより、話し合いの場にダイレクトに居合わせることなく、自分の気持ちを感じながら聞くことができた)
・つまり、「話す」こと、「聞く」ことを交互に丁寧に分ける。

聞き手の方からのリフレクティングは、プライバシーな内容が含まれるため、ここには具体的に書くことはできない。

ただ、聞き手の3人の方がそれぞれに感じたこと、響いたことを、その人なりの経験や価値観に基づいてそっと返してくれた。私の気持ちに寄り添ってくれたものもあれば、前妻の気持ちに共感したものもあった。

このリフレクティングを聞き、語り手であった私には、次のような思いが起こった。

・あ、私の話がちゃんと伝わったんだ。
・そうそう、そういうことを言いたかったんです。
・元妻に近い思いを正面から聞けてよかったかな。
・3人もの人が私の語りに耳を傾け、話してくれた。
・悩みに対してどうしたらよかった?という問いもなければ答えも出されない。
・ただただ経験を味わい直して、少し消化された感じ?

私自身でさえ凝視はできない過去の経験について語り、聞いた人が私の語りについて話す、それを私が聞く(リフレクティング)。これは決して複雑なプロセスではない。

リフレクティングを受けてみて、少し抽象的ではあるが、「聞き手の人の中に自分の場所が少しできたイメージ」、別の言葉を選べば、「自分の境界がちょっと外側に広がったようなイメージ」を覚えた。

リフレクティングしてみた

次に、他の参加者の語り聞き、その語りについて私と別の参加者(聞き手)が話す体験。

詳細は例によって書くことができないが、語り手が今まさに経験している育児や仕事などでの悩みが語られた。

その語りの中で、ある1つ2つの言葉が聞き手である私に残った。その言葉について私からは、〇〇のように感じた、ことを話した。再び語り手は、私の発した言葉の中から「別の」1つ2つを拾い、ご自身に嵌め込んで、感想を言った。

上のようなことが起こった。

これは、共感や同調、あるいは否定といった、綱を緩めたり引っ張ったりするような、いわば一次元的なコミュニケーションではない。

他者を介して「言葉」から「言葉」が生成される、それに応じて経験への新たな「意味」が生じる。こんなことが、リフレクティングで起こっていたのではないか。というのが、遠回しな表現ではあるが、今回の体験を通しての私なりの解釈だ。

たった一度のオープンダイアローグ体験なので、今のところはこれ以上でも以下でもない。ただ、だからこそ、さらに2つ、次のオープンダイアローグイベントに申し込みをしたところだ。

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次回、セックスレスへの悩みやモヤモヤに、オープンダイアローグを導入してみることについて書きたいと思います。

長文をお読みいただき、どうもありがとうございました。


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