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【小説】図書館-2【ある喫茶店にて】

まずはコーヒーを少しだけ口に含む。
火傷をしないように気を付けながら味わって飲み干すと、むしょうにフィナンシェを食べたくなった。
ピックにフィナンシェをひとかけら刺して口に運ぶ。
しっとりとした生地と甘さがこれからの読書に備えて脳にエネルギーを送ってくれているような感じがした。
よし、気合を入れて、読むか。

「お客様、あと5分で閉店の時間です。退店の準備をしてください。」
そんな声が少し離れた場所から聞こえてきた。
スマホを取り出して時間を確認すると、「15:55」と表示されていた。
集中も途切れてしまったし、オレも準備を始めよう。
ギリギリまで粘ったところで、ぜんぶ読み終わるわけでもないし。
カップの底に少しだけ残ったコーヒーを流し込んで、スマホと本をしまい、席を立つ。
オレのほかに店内にいたのは二人組の老人だったらしい。
会計をするため、オレは彼女たちの後ろに並んだ。

「ねえ、こんど、おともだちを連れてお茶会をしたいの。でも、ここは大きなテーブルがないでしょう。座席をくっつけてくれるとうれしいんだけど。」
「私たちが使ってた丸テーブルにいすを増やすだけでもいいわ。ほんとはあの畳のとこを使いたいけど、だめなんでしょ?だから、ね。」

失敗したなあ、と思った。
これなら、座席で待ってて声がかかるまで本を読んでいればよかった。
自分の行動に後悔していると、ふたりのおばあさんはオレをダシにして話を進めようとしている。

「ほら、今日は後ろのおにいさんも待たせちゃうし、ね。電話番号かなんかおしえてちょうだい。あらためてお話しましょ。」
「それか、おにいさんのお会計が終わるまで待ってるわよ。どうせ閉店なんだし、ゆっくりお話できるでしょ。」
「そうよ、それなら電話もいらないわよ。ね、ほら、あたしたち、どいておくから。はやく、ね。」

店員だけでなくオレの会計まで急かすバアさんたちにギョッとして顔をあげる。
なんとも香ばしいバアさんたちだというのが正直な感想だ。
接客業をやっているとこんなのに当たるのはしょっちゅうだけど、慣れるからって何も感じなくなるわけじゃないんだよな。
自分にも経験がある。この人はどう対応するんだろうか。
少しのハラハラと不謹慎かもしれないわくわくでもって、目の前の状況を見守った。
店員は相変わらず愛想のない顔のまま口を開くとこう言った。

「ご利用ありがとうございました。どうぞお帰りください。」

オレは思わず拍手しそうになった。
バアさんたちは面食らってちょっとだけ黙ったが、気を取り直すと
「あ、ああ。そうね、おにいさんのお会計が先よね。」とか「じゃ、あたしたちは座って待ってようか。その方がそのまま話しやすいし。」と勝手に話をまとめて離れようとした。
店員がオレに「すみません、少しお待たせします。」と断ると、レジからするりと出てきてあっという間にバアさんたちの前に立ちふさがった。
「聞こえませんでしたか?どうぞお帰りください。」
このセリフでバアさんたちはやっと素直に意味を受け取ることにしたらしい。
顔を真っ赤にしながら鼻の穴をふくらませて、キーキー言い始めた。

「だからっ!お茶会の時の座席の相談をするって言ったでしょう!」
「なあに、あなた。あたしたちの親切を無碍にして。お金払ったらハイサヨウナラって、お客様のことを雑に扱い過ぎじゃない?」
「私はひとつも了承していません。当店でお茶会はお断りします、椅子を増やすことも畳のスペースを解放することもしません、電話番号は公開していません。閉店時間後も居座られるのは迷惑です。店に迷惑をかける輩は“お客様”ではありません。ついでにいえば、あなたがたは何も親切なんてしていません。お金を払ったら店から出る、そんなのは当たり前のことです。」
店員は静かに、しかしはっきりとよどみなく返事をした。
正論だ。聞いていてめちゃくちゃ気持ちが良かった。
だけど、このバアさんたち相手にはマズいやりかただな。

「あなた、あなたねえ……!お客様を、目上の人を馬鹿にするのもたいがいにしなさいよ!!」
「こんな店、すぐにつぶれるわよ!最低の店だって、みんなに言いふらしてやる!私、グーグルのレビューだって書いてるんだから!」
バアさんたちはプルプルしながら吠え続けた。
店員が黙って聞いていると、バアさんたちはヒートアップした。
その後も増えるキーキーに、もうそれは暴言だよ、名誉棄損だよ、脅迫だよと心の中でツッコミをいれながら事態の収束を待つ。

「何をするのもあなたがたの自由ですが、今までの様子は全て音声付きで録画されています。名誉棄損や脅迫にあたる行為があれば、これを証拠に対応するだけです。当店は店の都合を無視したり、客としてのマナーが悪かったり、自分のことを“お客様”・“目上の人”と呼ぶような人をお客様として迎える用意はありません。お引き取りください。そして、当店の利用を今後いっさい禁止といたします。」

店員は出口に向かい扉をあけると、そこから「どうぞ。」とだけ声をかけた。
バアさんたちは他にどうしようもない事を悟ると歯を食いしばって店から出て行った。
からから、ぴしゃん。
引き戸が閉まったのを確認して、俺はふうーっと息をはいた。

「面倒に巻き込んでしまって、誠に申し訳ないことでございます。」
玄関からレジまで戻ってきた店員は深々と頭を下げた。
「先にお帰りいただくことも考えたのですが、第三者にいてもらったほうが良さそうな状況だったため、ご迷惑をおかけしました。」
「あ、いえ。気にしないでください。オレ、時間はいっぱいありますから。」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。せめてものお詫びに、お代はけっこうです。」
「いや、そんなわけには。お菓子もサービスしてもらったし。コーヒー、400円ですよね?」

そういいながら500円玉を出すと、店員は「少々お待ちください」と言ってカウンターに引っ込んでしまった。
戻ってきた手には持ち帰り用の容器があった。
「閉店後に飲もうと思って準備していたコーヒーを詰めさせていただきました。よろしければ、お土産にお持ちください。マンデリンは集中力を高める効果も期待できます。」

せっかく用意してもらったんだし、家で本の続きを読もうと思っていたオレは「そういうことならいただきます!」とテイクアウトコーヒーを受け取って帰ってきた。
時刻は19時をすぎたところだ。
本を読み終え、ブクログにデータを入力する。
「あ、レビュー率が52%を超えた。」
“読みたい”と登録した本に対して“読んだ”印をのこしたものが半分以上になった。
着実に読みたい本を読めていることが嬉しくて、オレはにんまりした。

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