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『催眠ガール』

『催眠ガール』を再読した。以下に感想を述べようと思うが、正直言って私には自信がない。というのも、以前から様々なサイトで書評を書いてきたが、それは法律書のような専門書や実用書がメインで、小説の書評はほとんど経験値がないからだ。学生時代も現代文自体は決して苦手ではなかったが、小説だけは苦手だった。まるでこの物語の主人公・夏目が催眠スクリプトを書く前に躊躇しているときのような心境である。
だから、これは今までFAPでお世話になってきた成果を信じて、私にとってのひとつのスクリプトを書くつもりで書いてみることにする。

心に聞いた

まず、なぜ今回、『催眠ガール』を再読しようと思ったか。それは、「心に聞いた」ことによる。『憂うつデトックス』を読み終えた後、「心よ、次は大嶋先生のどの本を再読したらいいですか?」と聞いてみた。そうしたところ、「『催眠ガール』と『無意識さんの力で無敵に生きる』!」と勢いよく返ってきたのである。
上に述べた通り、私は小説の書評に自信がない。正直、(嫌だな)と思った。なので、その答えが返ってきてから3日間ほど、手を替え品を替えて心に聞き直した。だが、心は頑として譲らない。Twitterでは少し呟いたが、お金のトラウマを想起させる出来事もあったため、「心よ、ここはやはり『「お金の不安」からいますぐ抜け出す方法』ではないですか?」と聞いたが、食い気味に「『催眠ガール』!!」と言われてしまった。
大嶋心理学を実践中の身として、「心に聞く」の結果がこうも変わらないとやはりそうなんだと思うしかない。観念して、読むことにした。

どん底からの青春ストーリー

主人公・夏目明日香は両親、特に母親からなかば虐待のような仕打ちを受け、まともな愛情を注がれない悲惨な家庭環境で育った。当然、勉強にも集中できず、成績は最底辺。家から2時間かけて辛くも受かった三流高校に通学する女子高生である。救いは通学中に読む本だけ。本の中の世界だけが彼女の救いだった。
学校の試験当日、勉強の教材を買いに立ち寄った本屋で、偶然にも心理学のコーナーに目を向け、ミルトン・エリクソンの『私の声はあなたとともに』と、著者近影に冴えない変なおっさんの写真が載った催眠療法の本を見つける。勉強そっちのけで、夏目は『私の声はあなたとともに』を買ってしまう。そしてそのまま『私の声はあなたとともに』を読みふけり、勉強しないまま試験を迎える。
試験は当然できず、失意の中で帰宅の電車に揺られる夏目。そんな中、電車内で酔っ払い同士の喧嘩が勃発する。緊張につつまれていたところ、突然現れた冴えない中年男性が酔っ払い達に声をかける。そしたら何と、喧嘩が収まってしまった。目を疑いながらも、夏目はその中年男性に既視感を覚える。そう、男性はエリクソンの本の隣にあった催眠療法の本に写真が載っていた変なおっさんだったのだ。後日、その本を立ち読みし、催眠療法の講座案内が載っていたことから、夏目はおっさん、もといお師匠さんの弟子に志願するべくオフィスを訪ねる。お師匠さんのオフィスで電話番をすることになった夏目は、お師匠さんの講座から漏れ聞こえてくる〝催眠スクリプト〟に耳を傾けるうち、自身が催眠状態に陥る。その効果なのか、夏目の中で〝何か〟が変わり始め、やがて彼女を取り巻く環境、そして彼女自身が大きく変わり始めるーー。

夏目明日香=大嶋先生のメタファー(暗喩)

なんて悲惨な始まり方をする話だと思った。女子高生が主人公ともなれば、青春に付き物の悩みや葛藤のドラマはあるにせよ、もっと爽やかなものを想像するだろう。だが、夏目を取り巻く環境は徹底して悲惨、どん底にいるのだ。親はまさに〝毒親〟そのもので、ここまで心が折れずに生きてくるだけでも大変だったろうと想像してしまう。夏目は女子高生である以前に〝サバイバー〟なのである。
だが、この話、大嶋先生の著作に触れている方なら既視感があるはずだ。〝勉強ができず、学校ではいじめられて(夏目はいじめには遭っていないが)、家庭では毒親から虐待に近い仕打ちを受けてーー〟というストーリー、これは大嶋先生が折に触れて書籍等で語ってきた自身の半生そのものである。そんな大嶋先生が冴えないサラリーマン風の催眠のお師匠さんと催眠療法の講座で出会い、催眠に目覚めて今の活躍に至るという点も、物語中で夏目の辿る軌跡と重なる。そう、これは大嶋先生の物語そのものであり、主人公の夏目明日香は大嶋先生のメタファー(暗喩)である。それと同時に、悲惨な境遇からFAPにたどり着き、何とか変わっていこうとしている私達の物語でもある。大嶋先生は自身の悲惨な境遇と今に至る活躍をナラティブに、そして私達に向けたひとつの壮大なスクリプトにまで昇華させた。それがこの本である。

催眠スクリプト、全開!

物語中で夏目が習得する催眠の技は「呼吸合わせ」、そして「催眠スクリプト」である。最初はお師匠さんから催眠スクリプトを(間接的に)聞かされて自分が変わっていき、やがて友人達の悩みに触れ、友人を救うための催眠スクリプトを書くようになる。本書では夏目やお師匠さんが作った催眠スクリプトが全文公開されており、物語の転換点に登場する。これは一見私達と関係ないようだが、そこがポイントである。後書きに記されたエピソードを見てみよう。

…ある時、お師匠さんと食事をしている時に「お師匠さん、その人に全然関係がないような物語でも、効果はあるんでしょうか?」と質問したことがありました。お師匠さんは優しく「自分には関係ない、と思うような物語であればあるほど、常識的な抵抗が弱まるのかもしれませんね」と教えてくださいました…

『催眠ガール』300頁より引用

物語中に登場する催眠スクリプトは全て登場人物のために書かれたもので、読み手の私達には直接関係ない。関係がないからこそ、効くのである。私はスクリプトが登場する度に眠りに誘われてしまい、読書がなかなか進まなかった。特に夏目がスクリプトを書こうと思うきっかけとなった友人に向けてのスクリプトでは何度も寝てしまい、そこを読むだけで1日以上かかった。これはたぶん、私の深いところにそのスクリプトが共鳴し、無意識下で〝何か〟が起きたのだと思っている。

読了後に見た〝悪夢〟

『催眠ガール』の再読が終わった後、私は久しぶりに夢を見た。以前「根底の恐怖」という記事で、私には「愛されない恐怖」があると書いた。そこにも関わってくる話なのだが、実は私には好きな人がいる。だが、チャンスを逃し続け、恋愛関係には至れていない。
その人が夢に現れ、私に電話でこう告げた。ある大学教授の愛人のような存在になるという話がきた。これまでの関係を踏まえ、茶白さん(夢の中では実名)の許可を取ろうと思った、と。私は「◯◯さんはそれでいいのか」と確認したが、その人からは何も返事がない。やがてこれは夢だと自覚し始めたが、それでも私は電話越しに何度も「◯◯さんはそれでいいのか」と問い続ける。向こうからは全く反応がないーーというところで目が覚めた。それが昨晩の話だ。深夜に目が覚めたが、嫌な感じ、悲しい感じが残っていて、本当に悪い夢をみたと思った。
夢ながら気持ちの整理がつかず、思わずTwitterに「悪い夢を見た」と投稿した。そうしたところ、たまたま起きておられたフォロワーさん(FAP上級の方)から、トラウマの浄化が始まる際には悪夢を見ることがある、と大嶋先生から教わったとコメントをくださった。嫌な夢だったが、まさに私の根底の恐怖とも関わる内容で、ははぁ、さては『催眠ガール』が効いたな、と思った次第である。

「他人の未来を変える」をやってみた

ところで、今回の再読で『催眠ガール』にはその他の大嶋著作群で明かされたテクニックが随所に散りばめられていることに気づいたが、その中にひとつ、興味深い記述があった。

…これまでいろんな本を読んできたので「友達を変えようとしたら友情が壊れる」とか「相手を助けようとしたら相手との関係性が変わって相手から裏切られる」ということは知っていた…でも、なんとなく、この催眠療法をマスターするためには「友達を催眠で助けてあげたい!」という気持ちが大切なような気がしていた…

『催眠ガール』88頁より引用

これを読んで、私の中にある勇気が湧いた。それは『憂うつデトックス』にあった、「他人の未来を変える」というテクニックを使うことだ。詳細は省くが、これをやるためにはある方法で「その人の気持ち」を感じ取ることが必要になる。私は件の好きな人に対し、向こうの気持ちを知ることが怖くて、夏目と同じく変えることが怖くて、この方法を使えずにいた。
だが、昨夜の夢とこの記述で「やってみたほうがいいかも」と思った。そして、やってみたのである。
感じ取ったその人の気持ちは「孤独」であった。母を亡くした孤独、私が仕事を辞めることで去っていく孤独…。こんな思いを抱えていたんだな、と思った。
「未来を変える」のテクニックで心の中のその人に声がけし、その人は笑ってくれた。これでいいのかも、と思ったが、今、私の中にあることが浮かんでいる。その人に向けたスクリプトの作成を、私は作れないので次回のカウンセリングで先生に相談してみようということである。そのスクリプトと「未来を変える」を合わせてみようという考えである。
もちろん、私が感じ取ったことはひとつのナラティブであり、果たしてそれでいいのかはわからない。このことはよく相談してみようと思う。

最後に

以上、小説の感想ということで、今回は主観の混じりや脱線も恐れずに書いてみた。結果、私の個人的な話に至り、書評としては失格かもしれない。だが、『催眠ガール』は私を根底の恐怖(と、おそらくその浄化)にまで誘った。凄い読書体験をしてしまったな、と思っている。
小説のストーリーにはあまり触れなかったが、始まりこそ悲惨だが読後感はとても良い。普通に小説として読んでも十分楽しめると思う。何か素敵な物語を探している方から、深い癒しを求めている方まで、ぜひ多くの方に手に取って読んでいただきたい逸品である。

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