自由にオタクという趣味を楽しみたい
最近TwitterのTLで見かけた、
32歳の腐女子の記事から派生した、友達サイド側から考察した記事について。
たぶん、ざっくりと内容をひとまとめにすると、オタクはほどほどにして、年相応に落ち着きなさい的な記事だと思って私は読んだ。
ある意味では至極全うなご意見だとは思うんだけど、年相応ってなんだろう?という疑問が頭からからはなれない。
自分がオタクだから否定的な意見を受け入れられない的なことではたぶんない。
本人が「周りに迷惑をかけずに楽しんでいる」なら、それでよくない?と思ってしまうのである。
人が好きなもの否定するって、ある意味、相手に対する人格否定だしモラハラだと思うのだけど、どうでしょう。
自分の好きなことを否定されることって、自分自身を否定されるよりも辛いことが多い、個人差はあると思うけど私はそう。
だから、自分自身では「なにがおもしろいんだろう?」とか思っても、「へー、いいね!楽しんでるね!」的な返答を心がけるようにしている。
相手が好きで楽しんでいることが例えば「法に触れたり」「健康に悪影響があったり」そういう相当なマイナス点がない限り、「楽しんでいる相手自身をほめる」ことを心がけている。
「えー、それの何がいいの?」「結局、あれいらなかった、解釈違い」「え?あれが面白かったの?」みたいな返答は滅んでほしい。
そう思っててもそっと心の中にしまってほしい。
そして否定的な言葉は心にしまって「〇〇はあれが好きなんだね、私はこれが好き!」というお互いの好きをぶつけて、楽しく盛り上がりたい。
確かに、30歳をこえて定職に着けていないとか、服装や化粧品にお金を使ってないからセンスが悪いとか、ソシャゲに課金しすぎではとか、色々お互いに思うところはあるだろう。
でも、それはあなた自身の人生ではない。他人の人生だ。
自分の中で育てた価値観を、他人に押し付けてはいけない
これは重々肝に銘じなければいけない。それがたとえ親子・兄弟であっても。
私自身のことをここで振り返ってみる。
多趣味で浪費がち。一つずつの出費は小さくても、趣味が積もると大金が消える。
転職を経験し、収入減少による資金難も経験済み。一度大金を手にすると、浪費ルーティンができてしまい、収入が減ってもなかなか節約できない。
職業の影響もあって化粧(汗で落ちる)や服装(制服がある)に興味を持たなかったが、趣味観劇を始めてからだいぶマシになった、と思う。以前よりは。
ざっくりというとこんな感じだが、これまでに周囲からは、いろんなアドバイスを受けてきた
・節約して貯金した方がいいんじゃないか
・化粧はちゃんとしないと
・服装、一緒に買いに行って選んであげるよ
どのアドバイスも、私のことを思って周囲の人がしてくれたことで、大変ありがたい。
ありがたいのではあるが、結局、人から何度も言われて頑張ったことより、新たな趣味で火がついて自発的に取り組んだことの方が身についてるし、続いている。
アドバイスもらってても、結局本人次第なんだから、そんなもんだと思う。
近くにいる友人からみたら、気になることはたくさんあるだろう。
教えてあげたいアドバイスもたくさんあるだろう。
幼馴染であれば、それこそ家族のように色々助けてあげたくなる場面はあるはずだ。
しかし、相手からアドバイスの依頼があった場合を除いて、そのアドバイスはおそらく余計なお世話だ。
相手にとって不要なアドバイスをするよりも、久しぶりに会ったのなら、お互いの「好きなこと」をプレゼンしたり、それについてポジティブに褒めあったりすることで、良好な関係で、長いお付き合いをしていけるのではないかと思う。
私が小学生から続いている唯一の友人とは、
「いま〇〇が気になっているからライブ行こ!」とか「スノボ一緒に練習しない?おもしろそうじゃん!」みたいな「お互いの好きのプレゼン」がメインのコミュニケーションになっている。
小学生、中学生のころは毎日一緒で、けんかもしたし、ふざけあったり、スマブラしたり、マリパしたりしてたけど、大人になって、具体的には高校生以降、すこしずつ関係性が変わっていった。
年相応の付き合い方って、こういうことじゃないかなと私は思う。
大人になって、生活環境や価値観の差が大きくなっても、いい友人関係を続けるには、「大人」な配慮がお互いに必要なんだと思う。
「大人な配慮」は、オタク趣味に使う金額や、化粧の有無や、フォロワーの平均年齢や、ファッションセンス、そんなものはたぶんあまり関係がない。
ファッションが好き、漫画が好き、ゲームが好き、俳優さんが好き、コスメが好きなど、色んな人の色んな「好き」でこの世界はあふれている。
お互いに否定し合わない、みんなそれぞれの「好き」を尊重できる関係性こそ、年相応な「大人のつきあい」ではないかなと思う
これが、〇歳になったら年相応に落ち着きなさい的な記事のに感じる違和感と、本当の「年相応」な対応のズレな気がしている。
たぶん、このズレを埋められないうちは、「年相応ではないオタク」のままなのではないかと思うと怖くなってくる。これは自省である。
最後に、私は「趣味を楽しんでいる人の話を聞いたり」「趣味を楽しんで人生を謳歌している人」を見るのが好きなので、これからも周囲の人の「好き」をたくさん聞きたいし、それが私の「好き」でもある。
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