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「批判をするなら代案を」と言うけれど

何が正しいかはわからないけど、今のままじゃ「違う」と感じることがある。でも、何が正しいのか分からなくて、困ってしまう瞬間がある。


例えば、昼食選び。
相手が提案してくれたお蕎麦はなんか違うけど、「じゃあ何食べたい?」と言われると戸惑ってしまう。

例えば、話し合い。
相手の意見のままだと、ちょっと上手く行かなそうだけど、「じゃあ代わりの意見は?」と言われるのが怖くて意見が言えない。

こういう時は「違う」という感情を細分化できていない状態だ。
だから「違う」ということは言えても、それ以上の具体的な説明はできない。

「批判をするなら代案を」いう言葉があるが、「違う」という意見をいうだけだとただの非難になってしまう

私はこの言葉にちょっと疑問を持っている。
そうすると、この「違い」を細分化できていない人たちにとっては意見を言う権利がなくなってしまうからだ。
それでは場が滞ってしまう。

「違う」ということを伝えることも、大事な意見であるし、そこから編み出す議論もあるだろう。
だから、代案が出せない人の意見も「ふむふむ」と言っていけるような空気を作りたいな。

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